梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

梨野礫・著作集の新着ブログ記事

  • 私の戦後70年・陸上競技部

     中学1年生になり、私は陸上競技部に入部した。野球部、ハンドボール部などに比べて人気は薄く、新入部員は三人だけであった。初めての活動日、部長は私たち三人に向かって「まじめにやれよ、サボるなよ。」と言った。サボる?、練習するために入ったのだから覚悟はできている、と思ったが、いざ始まると先輩には着いて... 続きをみる

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  • 私の戦後70年・中学校入学式

     昭和32年4月、私は「学区外」の中学校に入学した。入学式は校庭で行われ、担任が新入生を一人一人、呼名する、呼ばれた生徒は「ハイ」と叫んで起立する。順番が回り、私も返事をして起立、不動の姿勢をとったが、その直後に「笑い声」が上がった。「コウタロウ」という名前が古めかしく、時代遅れだったからであろう... 続きをみる

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  • 私の戦後70年・学区外通学

     昭和27年の大晦日に祖母を亡くし、父と私は文字通り「父子家庭」の生活を始めた。 申し込んでいた公団住宅が当たったので、これまでの間借生活は終了、他区に新築された鉄筋コンクリート4階建ての公団住宅に転居した。小学校3年生の時である。当然、転校しなければならないが、父は担任の先生に頼み込み、特別に「... 続きをみる

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  • 私の戦後70年・メガネ

     小学校入学時から私の視力は弱かったが、四年生の頃から黒板の字が見えなくなった。メガネをかけたいと思ったが、恥ずかしくて言い出すことができなかった。クラスの誰ひとりメガネを装用していない。学校の視力検査でも「見えない」ことを隠したい。私は順番がくるまでに検査表の文字列を必死で憶えた。「コ・ナ・ル・... 続きをみる

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  • 私の戦後70年・神宮球場

     小学校時代の男児の遊びといえば野球、焼け跡の原っぱで、時間を忘れて興じたものである。春・秋には、父に連れられて信濃町の神宮球場に通った。当時の東京六大学野球はプロ野球と肩を並べるほどの人気があった。外野席の芝生に座って観戦することが多かったが、私は極度の近視のため、ボールの行方を追うことができな... 続きをみる

  • 私の戦後70年・学校給食

     戦後の小学生は、昭和33年頃まで給食で「脱脂粉乳」を飲まされた。喜んで飲む子どもは少なく、ほとんどが目をつむり鼻をつまんで一気に飲み干す。中には隠れて流しに捨てる子どももいた。当時の小学生は毎日、給食袋にアルミの皿、コップ、椀を入れて登校した。給食の献立は三品、コッペパン、ミルク、総菜だけであっ... 続きをみる

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  • 私の戦後70年・友だち

     小学校の一学級は50名を超えていた。いずれも敗戦の中で生まれた子どもたち、父が戦死した母子家庭4人、養父1人、父子家庭3人など戦禍の傷跡が残っていたが、時代は「新生日本」に向かって第一歩を踏み出す。その息吹の中で、大人も子どもも希望に満ち溢れていた。私たちの学年は6年間、編制替えがなかった。その... 続きをみる

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  • 私の戦後70年・メエ婆

     私は母方の祖母をメエ婆と呼んでいた。メガネをかけていたからである。彼女は、戦前から「祖父に分家させられて」、娘一人とともに下宿屋を営んでいた。近くにある旧制高校の学生が多く利用したという。私の父もその一人、母は下宿屋の娘ということである。父は成人して満州に渡り、母もその後を追ったが、私を出産後ま... 続きをみる

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  • 私の戦後70年・静岡浅間神社廿日会祭

     静岡市の浅間神社では恒例の廿日会祭が四月初旬に開催される。小学生の私は、毎年春休みになると、亡母の実家がある静岡の祖母宅に帰省して、そのお祭りを楽しんだ。満開の桜が散り始める神社の境内では、神楽舞台の他、大衆芸能の余興用舞台、オートバイサーカス、お化け屋敷、見世物小屋などが特設される。仲町から赤... 続きをみる

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  • 私の戦後70年・「太郎花子国語の本」(教科書)

     小学校の国語教科書は「太郎花子国語の本」であった。一年から六年まで一貫して太郎、花子の兄妹が登場し、その生活が描かれる。今、私の手元には「おはよう」「あかいとりことり」「ゆうやけこやけ」(一年上中下))、「ひばりのうた」「青いお空」(二年上下)、「みどりの教室」(四年上)「田園のしらべ」(六年上... 続きをみる

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  • 私の戦後70年・蓄音機

     昭和26年、上京した父と祖母、私の三人は山の手の親類宅に「仮住まい」した。親類の家族は四人、合わせて七人が八畳、六畳、三畳、物置、台所の瀟洒な平屋住宅で雑居することになった。当時の娯楽はラジオ中心、一同は「のど自慢」「二十の扉」「とんち教室」「三つの歌」「今週の明星」等々の番組を楽しんだが、親類... 続きをみる

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  • 私の戦後70年・キャラメル

      昭和20年代後半、小学生男児の嗜好品はキャラメルであった。その魅力は何よりも強力な「甘味」だが、それ以上に箱の中のカードの一枚、一枚が射幸心を煽った。東京では「紅梅キャラメル」「カバヤキャラメル」が覇を競う。紅梅のカードは「ヒット」「二塁打」「ホームラン」などと記されており、集めて得点すると巨... 続きをみる

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  • 私の戦後70年・白いかげろう

     私が物心ついた昭和20年代半ばから30年代にかけて、白衣をまとい戦闘帽を被った男たちが、都心の街角、祭礼の境内、電車の通路など「人混み」の中に出没した。彼らは、たいてい二人一組となって、一人がアコーディオンを奏で、他の一人が軍歌を唄う。「さらばラバウルよ また来るまでは・・・」その光景を目にする... 続きをみる

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  • 私の戦後70年・遠足

     毎年、春・秋にある小学校の遠足は、その日一日勉強をしなくてよいというだけで、楽しかった。一年・井の頭公園、二年・向丘遊園地、豊島園、三年・ユネスコ村、浜離宮、四年・相模湖、江の島、五年・稲毛海岸、高尾山、六年・城ヶ島、箱根と重ねられた楽しい思い出がアルバムに残されている。しかし、一年・春の一枚だ... 続きをみる

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  • 私の戦後70年・白いカーネーション

     五月といえば端午の節句、鯉のぼりが空に舞い青葉の美しさが際立つ季節だが、私の心は曇っていた。恒例の「母の日」がやって来るからである。小学校2年の時、担任の先生は「お母さんのいない人は、天国のお母さんに感謝しましょう」と言って、私と、K君、H君に「白いカーネーション」を手渡した。「自分だけではない... 続きをみる

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  • 私の戦後70年・金魚

     小学校二年頃のことだったか、私は秋祭りの夜店で金魚すくいをした。収穫は和金一匹、ビニールの袋に入れて持ち帰ったが金魚鉢がない。やむなくコップに入れて玄関先に置いた。しかし翌日には和金の姿は消えてしまった。あまりの狭さに跳び出してしまったのだろう。消沈している私を見て、父は豪華な太鼓型の金魚鉢を購... 続きをみる

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  • 私の戦後70年・祖母の葬儀

     昭和28年1月4日、焼き場は順番を待つ棺でごった返していた。祖母の棺を窯に入れたが、その数分後、誰かが叫んだ。「違う!違う!お棺を間違えた」、一同「えええっ」と驚き、係員が窯の扉を開けて、「熱い!熱い!」と言いながら、再び、祖母の棺を取り出した。釘付けされた蓋を、大急ぎで打ち破る。一同、おそるお... 続きをみる

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  • 私の戦後70年・《障子の中》

     昭和27年の大晦日、祖母は当時大流行したインフルエンザで病死した。焼き場は「三が日」が終わるまで休業、父と私は祖母の棺と、間借りの八畳一間で「空しい正月」を過ごさなければならなかった。「棺を見守りなさい。生き返るかもしれないから」などと言う父の言葉を信じて・・・。線香の煙と、供物の林檎の匂いが入... 続きをみる

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  • 私の戦後70年・祖母の死

     昭和28年元旦、その日は快晴であったが、私の心は、どんよりと曇っていた。前日の大晦日、同居していた祖母が、当時大流行していたインフルエンザで、息を引き取ったからである。母はすでに亡く、父と祖母の三人で、八畳一間の「間借り生活」をしている時であった。祖母は72歳、10日間ほど床についた後の、あっと... 続きをみる

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  • 私の戦後70年・指しゃぶり

     物心ついた時から、私は両手の親指をしゃぶっていた。そうすると、気持ちが落ち着くからである。退屈なとき、淋しいとき、入眠するときは必ずしゃぶっていた。祖母は、親指に包帯を巻き付けたり、辛子を塗ったりして止めさせようとしたが、効果はなかった。父も気に病んでいたようだが、表情を曇らせるだけで何も言わな... 続きをみる

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  • 私の戦後70年・登校拒否

     昭和26年4月、小学校に入学した私はまもなく「登校拒否」状態になった。理由は単純、仲よしの友だちができなかったからである。近所には同級生もたくさんいたが、彼らは幼稚園時代からの知り合いで、その輪の中になかなか入れない。静岡弁まるだしの私は、その度に笑われた。登校時になると、家の柱にしがみつき、泣... 続きをみる

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  • 私の戦後70年・小学校入学式

     昭和26年4月、新しいランドセルに草履袋、革靴、学帽、よそゆきの洋服・・・、「ピカピカの一年生」の装いで、私は入学式に臨んだ。しかし、学校に対する恐怖心は増すばかりで、「泣き通し」の一日であった。セピア色になった記念写真には、当時の「泣き顔」が残されている。式が終わって、新入生は教室に入った。皆... 続きをみる

  • 私の戦後70年・身体検査

     昭和26年2月、私は東京の小学校に入学するために上京させられた。まもなく、学校の身体検査(現在の就学時健診)があった。激しい雨の中、親類の女性に伴われて入学する小学校に向かったが、私はすべての検査を「泣いて」拒否した。薄汚れた校舎、厳しい表情で指示する教員、新入生を世話する上級生、東京弁で楽しそ... 続きをみる

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  • 私の戦後70年・アンヨ婆

     父方の祖母を、私は「アンヨ婆」と呼んでいた。彼女は関東大震災で左足を負傷し、膝下を切断、義足を装着していた。松葉杖で歩行するので荷物が持てない。祖母が銭湯に赴くときは、小学校1年の私が随行する。脱衣所に入り、祖母が義足を外そうとするのを、子どもたちが取り囲み、こわごわと見つめている。彼らの視線は... 続きをみる

  • 私の戦後70年・夜のプラットホーム

     昭和26年2月、父・祖母に伴われて私は静岡を出立、東京に向かった。列車が東京に近づく頃はもう夜だった。横浜を過ぎた頃,車掌がやって来て「東京駅構内で事故が発生しました。この列車は品川止まりになります」という。乗客には不安が走った。今日のうちに目的地まで行き着くことができるだろうか。降り立った品川... 続きをみる

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  • 私の戦後70年・上京

     昭和26年2月、私は父と祖母に伴われて上京することになった。静岡駅で東京行きの列車を待っていると,下りのホームにアメリカ兵が鈴なりに乗っている列車が入ってきた。彼らは,上りのホームで待っている私たちに向かい,大きな叫び声をあげながらチョコレート,キャラメル,チューインガム,ヌガーなどの高価な菓子... 続きをみる

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  • 私の戦後70年・Yちゃん

     父の友人夫妻に伴われて満州から引き揚げてきた私は、小学校入学まで静岡市内にある祖母宅で過ごした。その隣家にはYちゃんという、私と同年齢の男児がいた。まもなくYちゃんにはFくんという弟も生まれ、三人は両家宅の庭先で遊び呆けていたのだが、ある時、異変が生じた。Yちゃんの母親が肺結核を発症したのである... 続きをみる

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  • 私の戦後70年・異国の丘

     真夏のある日、床の間のある八畳間で、祖母はラジオのスイッチを入れた。雑音に混じって途切れ途切れに聞こえてきたのは、「異国の丘」のメロディーだった。「今日も暮れゆく異国の丘に 友よ辛かろ切なかろ 我慢だ待ってろ 嵐が過ぎりゃ 帰る日も来る 春が来る」まだ五歳だった私に、歌詞の意味など解らない。ただ... 続きをみる

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  • 私の戦後70年・自家中毒

     五月の中旬だったろうか、夜の10時過ぎ、父の知人が柏餅を土産に訪れた。寝ていた私を起こしていわく「コー坊、美味しいものがあるぞ」。当時の甘い物といえばサツマイモかサッカリン、あん入りの菓子は珍しかった。私はありがたく頂戴し床についたのだが、翌日から体調に異変が生じた。頭が締めつけられる。米兵のG... 続きをみる

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  • 私の戦後70年・新聞紙

     祖母宅の押し入れには、古い新聞紙が捨てられずに収められていた。私は、それを引っ張り出して、画用紙代わりに絵を描いたり、ちぎったり、まるめたりして遊ぶのが好きだった。祖母は叱りもせず眺めていたが、時には、「折り紙」のようにして、ヒコーキや二艘舟、紙財布などを作ってくれることもあった。5月の節句には... 続きをみる

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  • 私の戦後70年・跳んで来る少年

     静岡市を流れる安倍川、その上に架かる安西橋の両側には、欄干がなかった。四~五メートルごとに石の柱は残っていたが、柱と柱をつなぐ横棒は鉄製のため、兵器工場に徴発されたのだろう。祖母は、病みあがりの私を乳母車に乗せて、その橋を注意深く渡り始めた。五歳の私が生死をさまよった「自家中毒」から辛うじて快復... 続きをみる

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  • 私の戦後70年・父との再会

     いつのことかは定かではない。一足先に満州から引き揚げ、祖母の元で暮らしていた私の所へ、兵役から生還した父が訪ねてきた。それまで溺愛されていた私は、人見知りが激しく、成人男性には寄りつかなかったという。その場の一同は、父と私が再会する場面を興味深く見守っていた。父は笑いながら「オイ、コウタロウ、お... 続きをみる

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  • 私の戦後70年・期待外れ

     満州で父は応召、母とは死別したので、私は父の友人夫妻に保護され引き揚げた。当時は2歳頃(記憶は皆無だが)、夫妻家族とともに母の実家のある静岡駅頭に降り立った。出迎えた母の親族は、私の姿を見るなり、思わず「期待外れだっけやー」と嘆息したという。さもありなん・・・、数年前母が満州へ渡る時、親族は歓送... 続きをみる

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  • 私の戦後70年・引き揚げ

     私は昭和19年に満州ハルピンで生まれたが、母は翌年の3月に病死した。父は応召され、やむなく友人夫妻に、私を預ける。友人夫妻には三人の男子がおり、末っ子が私と同年齢のため、夫妻は快諾したという。まもなく終戦、引き揚げとなる。夫妻は四人の男子を抱えて過酷な帰途に就くことになった。無蓋車を乗り継ぎ、よ... 続きをみる

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  • 私の戦後70年・階段のある川

     鬱蒼とした森の茂みの中を一本の小川が流れている。辺りは静まりかえり、水音だけがサラサラとオルゴールのように聞こえる。両岸は竹笹やイヌワラビが生い茂り、その脇のの小道を上流へと進むうち、川の中に段差(堰)が現れた。透明な水が、滝のように流れ落ちる。また進むともう一つ、さらに進むともう一つ・・・とい... 続きをみる

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  • 続・小さな公園の三本の桜

     今年も「小さな公園の三本の桜が」が満開になり、そして散っていく。私は5年前に以下の駄文を綴った。 ◆小さな公園の三本の桜 家の近くに、猫の額ほどの小さな公園がある。そこには三本の桜が植わっているが、いずれもが満開、その花びらが吹雪のように舞い散りながら地面に積もる。その様は雪景色と見紛うばかりで... 続きをみる

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  • 小さな公園の三本の桜

     家の近くに、猫の額ほどの小さな公園がある。そこには三本の桜が植わっているが、いずれもが満開、その花びらが吹雪のように舞い散りながら地面に積もる。その様は雪景色と見紛うばかりで、筆舌に尽くしがたい。一方、少し離れたマンション群の傍らには大きな公園がある。そこにも倍以上の桜が植わっているが、そこの桜... 続きをみる

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  • 映画「生さぬ仲」(監督・成瀬巳喜男・1932年)

     ユーチューブで映画「生さぬ仲」(監督・成瀬巳喜男・1932年)を観た。原作は大正時代に連載された柳川春葉の新聞小説で、ウィキペディア百科事典ではそのあらすじが以下のように紹介されている。  東洋漁業会社社長、渥美俊策の一子、滋子をめぐって生母、珠江と、生さぬ仲の継母、真砂子との葛藤をえがく。 【... 続きをみる

  • 映画「何が彼女をそうさせたか」(監督・鈴木重吉・1930年)

     ユーチューブで映画「何が彼女をそうさせたか」(監督・鈴木重吉・1930年)を観た。この映画はフィルムが消失し永らく「幻の名作」と伝えられていたが、1990年代になってモスクワで発見され復元されたものである。私は高校時代、日本史の授業でその存在を知った。原作者・藤森成吉の名前もその時に受験知識とし... 続きをみる

  • 映画「雄呂血」(監督・二川文太郎・1925年)

     ユーチューブで映画「雄呂血」(監督・二川文太郎・1925年)を観た。阪東妻三郎プロダクション第1回作品で、大正末期、日本に「剣戟ブーム」をもたらした記念碑的作品と言われている。あらすじは以下の通りである。(「ウィキペディア百科事典」より引用)   〈漢学者松澄永山の娘・奈美江と、その弟子で正義感... 続きをみる

  • 「自閉症」への《挑戦》・11

    4.いくつかの補足・確認  ①「自閉症」への《挑戦》とは?  「自閉症」への《挑戦》とは、「自閉症は治らない」という通説に挑戦するという意味である。「自閉症」の原因が何であれ、それが発達の障害だと考えられている以上、その発達を促進することは可能である、と私は考えている。  ② 「対人関係の形成」を... 続きをみる

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  • 「自閉症」への《挑戦》・10

     ④「対話」(言葉のやりとり)をする。  「自閉症」の定義の中に、第二の特徴として「言葉の発達の遅れ」が挙げられている。かつては、それをまず一次的な障害として考えられたこともあるほど、周囲には目立つ(気になる)特徴である。それは、要するに「言葉が通じない」(コミュニケーションの障害)という問題に帰... 続きをみる

  • 「自閉症」への《挑戦》・9

     ③ スキンシップでかかわる  「スキンシップ(和製英語: skin-ship)は、母親と子供を始めとする家族関係にある者や、ごく親しい友人同士が抱きしめ合ったり手を握り合う、あるいは頬ずりするなど身体や肌の一部を触れ合わせることにより互いの親密感や帰属感を高め、一体感を共有しあう行為である」(ウ... 続きをみる

  • 「自閉症」への《挑戦》・8

    ② 「物のやりとり」をする。 乳児期、辺りにある物を手にとって渡す、「ありがとう」とこちらが喜ぶと、また手渡す。こちらが「もういいよ」と言っても、さらに手渡す。今度は、こちらがお菓子を手渡すと「アンガト」などと言って受け取る。「モット」「チョウダイ」と言って手を重ねたりするようになる。そうした繰り... 続きをみる

  • 「自閉症」への《挑戦》・7

    ⑷ 相手との「接し方」・Ⅱ  これからが、いよいよ正念場である。   まず初めに、相手とこちらの関係を見直し(振り返り)、《機は熟しているか》を判断することが大切である。①相手はこちらを見るか、②近づいて来るか、③視線を合わせるか、④こちらのマネをしようとするか、そして何よりもまず、⑤相手はこちら... 続きをみる

  • 「自閉症」への《挑戦》・6

     ③相手からの「働きかけ」に応える  子どもが激しく泣いている。そんな場面はどこでも見られるが、親にとってはあまり嬉しくない出来事かもしれない。何か異変が起きたのかと心配することは当然である。しかし、思いあたることがないのに泣いている。しかも、泣きやまない。周囲から苦情が来ないか、親の育て方が悪い... 続きをみる

  • 「自閉症」への《挑戦》・5

     ②相手のマネをする。  マネをすることは、古くは「まねぶ」であり「まなぶ(学ぶ)」の語源であるとも言われている。したがって学習は《マネをする》ことから始まる。親と子ども、教員と子ども、という関係の中で《マネをする》のは子どもの側である、と通常は考えられている。しかし「自閉症」と呼ばれる子どもたち... 続きをみる

  • 「自閉症」への《挑戦》・4

    ⑶ 相手との「接し方」・Ⅰ  ①相手に働きかけない  まず、相手と「同じ場所」「同じ時間」を共にする。つまり「相手と一緒にいる」ことから始める。「できるだけ長い時間、一緒にいる」ことが大切である。そのためには「寝食を共にする」ことが理想である。親や家族はその条件を十分に満たす立場にいる。  その際... 続きをみる

  • 「自閉症」への《挑戦》・3

    3.方法 ⑴ 調べる  まず相手の「出生から現在まで」の《生育史》を「知る」必要がある。こちらの立場が「親」ならば、調べるまでもなく熟知している事柄であろう。・胎生期の状態・出生時の状態(時期、分娩の様子、産声の有無)・新生児期の状態(哺乳の様子、泣き声の強弱、体重の増加、黄疸の状態)・乳児期の状... 続きをみる

  • 「自閉症」への《挑戦》・2

    2.こちらの心構え  「自閉症(スペクトラム)」と呼ばれる子どもや成人たちと「接し」、「かかわる」際の《心構え》について、いくつか述べたい。 ⑴ 相手を「自閉症」だと思わない。  相手を理解することは、「接し」「かかわる」際に、最も大切なことである。その方法は、まず直接、自分の目で見、聞き、相手を... 続きをみる

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  • 「自閉症」への《挑戦》・1

    ◆はじめに  現状では「自閉症は治らない」ということが通説になっている。自閉症の原因は「脳の機能障害」だと《推定》されている。「親の育て方」が原因だと思われた時期もあったが、今、はっきり「それは誤りだ」と《断定》されている。  私自身も35年間の教員生活の中で、20年ほど「自閉症」と呼ばれる子ども... 続きをみる

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  • 「自閉症児」の育て方(17) あとがき

    【あとがき】  現代では「哺乳びん」「紙オムツ」「ベビーカー」が育児の《三点セット》になっているようである。親にとっては、甚だ「都合のよい」便利で合理的な用品に違いない。しかし、育児は、それらに頼れるほど《便利》《安直》にできるものではない。子どもを「親の付属物」のように飾り立て、親もまた「スマー... 続きをみる

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  • 「自閉症児」の育て方(16) いくつかの留意点(4)

    ⑷ 「自閉症児」(と呼ばれる子ども)の育児は、まず何を措いても、この「対人関係」に注目し、いつでも、どこでも、完全に「できる」ようになるまで、繰り返し「続ける」ことが肝要である。その具体的方法について、『言語発達の臨床第1集』(田口恒夫編・言語臨床研究会著・光生館・昭和49年)では、以下のように示... 続きをみる

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  • 「自閉症児」の育て方(15) いくつかの留意点(3)

    ⑶ (5歳頃までの)「自閉症児」(と呼ばれている子ども)の実態を「遠城寺式・乳幼児分析的発達検査表」(九州大学小児科改訂版)」(遠城寺宗徳・慶應義塾大学出版会・1977年)で評価すると、子どもによって千差万別の違いがあるが、《「運動」に比べて「社会性」「言語」に遅れがある》という特徴は共通している... 続きをみる

  • 「自閉症児」の育て方(14) いくつかの留意点(2)

    ⑵ 子どもは、「学習」を通して成長・発達する。「学習」とは「学ぶ」ことであり、「学ぶ」とは「真似る」ことから始まる。子どもは生後間もなく《親》と出会い、その《親》とのかかわりを通して、《親》の言動を「真似る」ことによって、成長・発達していくのである。そのためには、《親》を認識し(見分け)なければな... 続きをみる

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  • 「自閉症児」の育て方(13) いくつかの留意点(1)

    4 いくつかの留意点・(1) ⑴ 子どもが「自閉症児と呼ばれる」ようになるのは、通説では「自閉性障害のの基本的特徴は3歳位までに表れる」とあるので、早くて1歳半健診時、遅くて3歳児健診の頃であろう。したがって、その「疑い」もしくは「断定」を受けたときには、すでに1年間以上の「時間」が経過している。... 続きをみる

  • 「自閉症児」の育て方(12) まとめ

    12 「自閉症児」の育て方・10・《まとめ》  「2 基本的な考え方」で述べたように、「自閉症」の《本態》は「人に関する関心・反応が乏しい」という一点に絞られる。したがって、「自閉症児」の《育て方》も、その一点、すなわち「人に対する関心・反応」をどのように芽生えさせ、拡げ、深めるか、ということに「... 続きをみる

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  • 「自閉症児」の育て方(11) 「動作」のやりとり

    11 「自閉症児」の育て方・9・《「動作」のやりとり》  乳幼児は、これまでに述べた「泣くことによって人を呼ぶ」「笑顔のやりとり」「表情のやりとり」「声のやりとり」などを土台として、あるいは《それに伴って》「動作」のやりとりができるようになる。「独り座り」ができ、両手を動かすことができるようになる... 続きをみる

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  • 「自閉症児」の育て方(10) 「物」のやりとり

    10 「自閉症児」の育て方・8・《「物」のやりとり》  「物」のやりとりをするためには、以下のようなレディネス(土台)が必要条件である。①触れた物を握っている(1か月)、②手を開いたり閉じたりする(1か月)、③手を口のもっていってしゃぶる(2か月)、④ガラガラ(玩具)などを少しの間握っている(3か... 続きをみる

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  • 「自閉症児」の育て方(9) 「声」のやりとり

    9 「自閉症児」の育て方・7・《「声」のやりとり》  生後1か月頃になると、乳児は「泣く」とき以外にも「声」を出すようになる。授乳後、満足して、気分がいいときなど、「アー、ウー」「オックン」など、いかにも「話をしている」様子に見受けられる。いわゆる「喃語」である。親は、この「喃語」に対して、《無条... 続きをみる

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  • 「自閉症児」の育て方(8) 「表情」のやりとり

    8 「自閉症児」の育て方・6・《「表情」のやりとり》  「笑顔」は表情の一つだが、それ以外にも「泣き顔」「怖い顔」「驚いた顔」「変な顔」「寂しそうな顔」「悲しそうな顔」「浮かない顔」等々、人間の表情は「千変万化」する。また「表情一つ変えない」というように、《無表情》という表情もある。人間(という動... 続きをみる

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  • 「自閉症児」の育て方(7) 「笑顔」のやりとり

    7 「自閉症児」の育て方・5・《「笑顔」のやりとり》  新生児は2カ月頃になると(あるいはそれ以前でも)、「一人で微笑んでいる」ことがある。親は、その「微笑み」を見逃してはならない。「笑った、笑った」などと言いながら、頬をなでたり、軽く突っついたり、息を吹きかけたりして、新生児自身が「今、笑ってい... 続きをみる

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  • 「自閉症児」の育て方(6) 「泣く」ということ

    6 「自閉症児」の育て方・4・《「泣く」ということ》  「泣く(ことができる)こと」は、人間にとって素晴らしいことである。  新生児にとっては「親を呼び寄せ」「自分の不快感」を取り除くことができる。乳幼児にとっては、自分の気持ちを表現して訴えることができる。「泣く」ことを繰り返すことによって、気持... 続きをみる

  • 「自閉症児」の育て方(5)泣き声の観察・3

    5 「自閉症児」の育て方・3・《泣き声の観察・3》  新生児・乳児は、「泣いて」親を呼ぶ。親は、その呼びかけに《無条件》に応じる。そのことによって、両者の「愛着関係」が形成される。これがコミュニケーションの「第一歩」であり、「人間の生活」の基礎になる。  生後3カ月以後になると、「泣き声」に変化が... 続きをみる

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  • 「自閉症児」の育て方(4)泣き声の観察・2

    4 「自閉症児」の育て方・2・《泣き声の観察・2》  現代では、新生児・乳児が「泣く」ことに、(過度な)《不安》をもつ親がいるかもしれない。できるだけ「泣かない」状態を維持しようと努め、子どもが「泣き出す」前に、(授乳、おむつ交換などの)「世話」を始めてしまうかもしれない。昔から「寝る子は育つ」と... 続きをみる

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  • 「自閉症児」の育て方(3)泣き声の観察・1

    3 「自閉症児」の育て方・1・《泣き声の観察・1》  新生児を評価するチェック・ポイントとして、分娩の様態、「生下体重」、「黄疸の程度」、「乳の飲み具合」、等が挙げられるが、最も重要な観点は「産声の有無」「泣き声の強さ」である。「出生」は、人生の中で最も「危険を伴う時期」である。これまでの安定した... 続きをみる

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  • 「自閉症児」の育て方(2)基本的な考え方

    2 基本的な考え方  定説によれば「自閉症児」(と呼ばれる子ども)は、〈1.対人相互反応の質的な障害2.意思伝達の著しい異常またはその発達の障害 3.活動と興味の範囲の著しい限局性〉を主な行動特徴としており、周囲からは〈・言葉の発達が遅い、人に対する関心・反応が乏しい、落ち着きがなく多動である、耳... 続きをみる

  • 「自閉症児」の育て方(1)自閉症児とは?

    《「自閉症児」の育て方》  【まえがき】  本来なら「自閉症の治し方」「自閉症の防ぎ方」といったタイトルにしたかったが、現代では「自閉症は治らない」ということが定説になっており、そのような定説に異議をとなえる気など毛頭ないので、というより、そのような定説など全く信じていないので、上記のタイトルを採... 続きをみる

  • 新型コロナワクチンの《効能》

     今日の東京新聞朝刊2面、3面に週刊誌の広告が載っている。そこには以下のような文言が見える。《「接種後死亡」1カ月で47件増加 コロナワクチン「不都合なデータ」から目を背ける「河野太郎」の妄言 河野大臣がファイザー初期治験結果で安全性を謳う愚 「データ不開示を取り消せ」ついに国を訴える福島名誉教授... 続きをみる

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  • 新型コロナ「2類相当から5類へ」の《根拠》

     政府は「新型コロナウィルス感染症」の位置づけを「2類相当」から「5類」に引き下げることを決定した。その根拠は何か。  私はこれまで厚生労働省ホームページで示される数値をエクセル入力して、「陽性者数」「入院治療を要する者の数」「重症者数」「一日当たりの新規死者数」の推移を見てきた。そのグラフは以下... 続きをみる

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  • 二葉あき子の《歌唱力》

     二葉あき子の歌を聴いたことがあるだろうか。私が初めて彼女の歌を聴いたのは「夜のプラットホーム」(奥野椰子夫作詩・服部良一作曲・昭和21年)であった。昭和26年2月,当時6歳だった私は,父と祖母に連れられ,住み慣れた静岡から東京に向かうことになった。静岡には母の実家があった。満州で生まれた私は,す... 続きをみる

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  • 尾身茂会長のインタビュー

     1月13日夜のNHKニュース番組で「尾身会長に聞く」というインタビューが放映された。コロナ感染から1か月後、尾身会長は「突然」姿を現したことになる。私は昨年12月末に「おそらく「重症化」することなく「軽快」しただろうと想像はできるが、報道関係者も沈黙を続けているのはなぜか。」と書いたが、その想像... 続きをみる

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  • 「コロナ死者過去最多」

    「東京新聞」1月13日付け朝刊1面のトップ記事の見出しは「コロナ死者過去最多 なぜ更新」「『未把握の感染者』増影響」「専門家『第7波超えている』「死者の高齢化強まる 都内、97%が60代以上」「ワクチン接種伸び悩みも一因」であった。  その内容は要するに、①(現在、第8波の渦中にあるが)死者数は第... 続きをみる

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  • 尾身茂会長の《異常事態》

     政府の新型コロナウィルス感染症対策分科会の尾身茂会長がコロナに感染してから1か月が経過したが、いまだに感染後の様子について全く音沙汰がないのはどうしたことか。 私は昨年12月末(23日)にも以下の駄文を綴った。   〈政府の新型コロナウィルス感染症対策分科会の尾身茂会長がコロナに感染してから10... 続きをみる

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  • 専門家の「見解」

     1月7日の「yahooニュース」に「軽症が多いはずのオミクロン株で、新型コロナ死亡者数が過去最多 理由は?」というタイトルで専門家(倉原優氏・国立病院機構近畿中央呼吸器センター呼吸器内科医)が見解を発信している。新型コロナ死亡者数は、ここにきて1日当たり300人~400人を推移しているが、すべて... 続きをみる

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  • 私の《体調管理》・10

     「・・・アア、キモチワルイ」が口癖になってから4年が経過した。その口癖は今もなおらない。現在、私は三つの慢性疾患をかかえている。その一は「前立腺肥大」、その二は「陳旧性心筋梗塞」、その三は「逆流性食道炎・機能性ディスペプシア」である。そのため、泌尿器科、循環器内科、消化器内科に通院、合計14種類... 続きをみる

  • 排他主義

     1月5日の新型コロナウィルス感染症による死者は498人で、1日当たりの死者数としては過去最多となった。しかし、政府も専門家もマスコミも、そのことに関しては、それ以上に触れようとしない。本来なら「世間のトップニュース」に値すると、私は思うが、なぜなのだろうか。「ニュースバリューがない」ということな... 続きをみる

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  • 「ありがとう」

     今年の目標は「他者のために奉仕する」だ。では、それが達成されたかどうかは、どうやって判断するか。自分の「したこと」に対して他者が「ありがとう」と言ってくれたとき、「奉仕できた」と考えてよいのではないか。他者が「家族」「友人」「知人」である場合はもちろんだが、「見ず知らずの他人」でなければ価値がな... 続きをみる

  • 2023年・「一年の計」

     79回目の元旦だ。健康寿命がつきる73歳までは、「もうやるべきことはやり尽くした。いつ死んでも悔いはない」と思っていたが、急性心筋梗塞を発症、一命を取り留めてからは「決して自分の力だけで生きているのではない。他者によって生かされているのだ」と思うようになった。にもかかわらず、去年の目標は「大晦日... 続きをみる

  • 除夜

     今日は大晦日である。今年の目標は「大晦日まで生き延びる」ということだったが、「やっとの思いで」達成できた。しかも「自分の力で」というよりは、「周囲に支えられて」という点が重要だ。感謝の気持ちを忘れてはいけない。  コロナ禍は3年間続いているが、いっこうに収まりそうもない。加えてインフルエンザも流... 続きをみる

  • 2022年の《大団円》

     今年もあと1日、そんな時「最後を飾る」「すばらしいニュース」を見つけた。以下の通りである。 〈「なめるなクソガキ」電話の主は豹変した 高齢者救った大学生の対応                      12/27(火) 11:58配信 朝日新聞デジタル  福岡工業大学(福岡市東区)の3年、蔵森歩... 続きをみる

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  • 警察の責任

     埼玉県飯能市で起きた殺害事件について報道されているが、容疑者が供述を拒否しているため、その全容がわからない。12月25日午前7時頃、飯能市の住宅街に住む米国籍の夫(69歳)とその妻(68歳)、さらに長女(32歳)の3人が、容疑者(40歳)に撲殺された。どうしてそんなことが起きたのか。県警によると... 続きをみる

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  • 「世も末」だ・2

     新型コロナウィルス感染症による1日当たりの死亡者が400人を超え、過去最多となった。だが、ただ数値が公表されただけで、その事態に関する「専門家」のコメントはいっさい見当たらない。いったいどのような人たちが死亡していくのだろうか。高齢者であることは間違いないが、それ以外のことはわからない。  さも... 続きをみる

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  • 「世も末」だ

     「東京新聞」12月27日付け朝刊1面に「秋葉復興相きょう更迭 閣僚4人目 政治資金多数疑惑 差別問題 杉田政務官も交代」という見出しの記事が載った。岸田首相は復興相を更迭し、政務官を交代させるそうだ。内閣支持率が30%を割る中、少しでも信頼を回復しようとする「試み」であろうか。むなしい「悪あがき... 続きをみる

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  • 「旧約聖書」通読・《出エジプト記》・第4章

    ■第4章 ・モーセは言った。「しかし、彼らはわたしを信ぜず、またわたしの声に聞き従わないで言うでしょう。『主はあなたに現れなかった』と」。主は彼に言われた。「あなたの手にあるそれは何か」。彼は言った。「つえです」。また言われた。「それを地に投げなさい」。彼がそれを地に投げると、へびになったので、モ... 続きをみる

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  • 「旧約聖書」通読・《出エジプト記》・第3章

    ■第3章 ・モーセは妻の父、ミデヤンの祭司エテロの羊の群れを飼っていたが、その群れを荒野の奥に導いて、神の山ホレプにきた。ときに主の使いは、しばの中の炎のうちに彼に現れた。彼が見ると、しばは火に燃えているのに、そのしばはなくならなかった。モーセは言った。「行ってこの大きな見ものを見、なぜしばが燃え... 続きをみる

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  • 「旧約聖書」通読・《出エジプト記》・第2章

    ■第2章 ・さて、レピの家のひとりの人が、行ってレピの娘をめとった。女はみごもって、男の子を産んだが、その麗しいのを見て、三月のあいだ隠していた。しかし隠しきれなくなったのでmパピルスで編んだかごを取り、それにアスファルトと樹脂を塗って、子をその中に入れ、これをナイル川の岸の葦の中においた。その姉... 続きをみる

  • 「旧約聖書」通読・《出エジプト記》・第1章

    ■第1章 ・サテライトオフィス、ヤコブと共に、おのおのその家族を伴って、エジプトへ行ったイスラエルの子らの名は次のとおりである。ルペン、シメオン、レピ、ユダ、イッテカル、ゼブルン、ベニヤミン、ダン、ナフタリ、ガド、アセルであった。ヤコブの腰から出たものは、合わせて70人。ヨセフはすでにエジプトにい... 続きをみる

  • 尾身茂会長のコロナ感染・その後

     政府の新型コロナウィルス感染症対策分科会の尾身茂会長がコロナに感染してから10日余りが経過した。当初、7日間程度「自宅療養」するとされていたが、感染後の様子について全く音沙汰がないのはどうしたことか。おそらく「重症化」することなく「軽快」しただろうと想像はできるが、報道関係者も沈黙を続けているの... 続きをみる

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  • 尾身茂会長のコロナ感染

    12月12日付けの産経新聞に以下の記事が載っている。  〈尾身茂会長がコロナ感染 喉に違和感    2022/12/12 20:11  政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長(73)が新型コロナに感染したことが12日、分かった。尾身氏が理事長を務める公益財団法人「結核予防会」が発表し... 続きをみる

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  • 宗教と政治

     宗教は「心の安定」を目指し、政治は「生活(社会)の安定」を目指す。宗教は「心」の次元の営みであり、政治は「物」の次元の営みである。しかし、双方に共通しているのは、ともに「幸せを求めている」ということだ。しかも、それは「自分」の幸せだけではなく、「他人」の幸せをも求めているという点が重要なのである... 続きをみる

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  • 《コロナ禍》の正体・5

     新型コロナウィルス感染症による死亡者は、12月4日現在50334人と公表されているが、これまでどのような推移をたどってきたのだろうか。  1日あたりの「新規死者数」は以下のグラフに示されたとおりである。 *(グラフ)  これを見ると、「第1波」「第2波」のピークはは20人前後、「第3波」「第4波... 続きをみる

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  • 《コロナ禍》の正体・4

     デジタル庁の資料によれば、12月1日の時点で、新型コロナワクチンの接種状況は、1回目・全人口の77.73%、2回目・77.22%、3回目・67.01%、4回目38.98%、5回目7.89%ということである。  これまでに、全国民のほぼ70%が3回目のワクチン接種を終えているが、4回目以降は40%... 続きをみる

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  • 《コロナ禍》の正体・3

     ここのところ、新型コロナウィルス感染症による1日あたりの死亡者は、100人を超える日が目立ち、これまでの累計では49000人を突破し、5万人に達するのも時間の問題だろう。感染者数(陽性者数)は累計で2451万人余りだから、致死率は0.2%程度である。死亡者はほとんどが70歳以上だから、最も気をつ... 続きをみる

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  • 《コロナ禍》の正体・2

     厚生労働省のホームページで、新型コロナウィルス感染症の「国内の発生状況」を見ると、11月21日現在、「PCR検査人数」は約8043万人(累計)で、そのうち「陽性者数」は約2381万人(累計)、「入院治療等を要する者の数」は約55万人(現在数)、「重症者数」は259人(現在数)である。これまでに全... 続きをみる

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  • 《コロナ禍》の正体

     新型コロナウィルスの感染拡大は「第8波の入り口」にあるようだが、ここに来てようやく《コロナ禍》の正体が見えてきた。   厚生労働省のホームページ・「国内の発生状況」に示されている「入院治療等を要する者等の数」「重症者数」「死亡者数」の数値をエクセルに入力して、これまで3年間の推移のグラフを見ると... 続きをみる

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  • コロナ「第8波」に向けて

     「東京新聞」11月18日付け朝刊1面のトップ記事は「『第8波の入り口』インフル同時流行時 1日9.3万人発熱想定 医療体制拡充急ぐ 都モニタリング会議」という見出しであった。その内容は、①新型コロナウィルスの都内の感染状況は、第8波の入り口に差しかかってる、②季節性インフルエンザと同時流行した場... 続きをみる

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  • 教育の目的

     教育の目的は、以下のように記されている。〈教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。〉(教育基本法第1条)  つまり、①人格の完成を目指す、②社会の形成者として必要な資質を備えた国民の育成を期す... 続きをみる

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  • コロナと社会

     コロナ禍によって日本の社会はどのように変化したか。  まず第一に、乳児を除くほぼ全員がマスクを着用するようになった。なぜマスクを着用するのか。目的は「感染予防」に違いないが、自分が「うつらない」ためか、他人に「うつさない」ためかは、判然としない。様々な施設等が利用者に着用を「強制」しているので、... 続きをみる

  • 78歳、当面の課題

     今日は、私の78回目の誕生日である。昔、節分では自分の歳の数だけ豆を食べたものだが、もう78個の豆は無理である。「ずいぶん歳をとったものだ」というのが実感だ。《あの人はまだ生きてるか歳の暮れ》という戯れ句が浮かんでくる。そして《墓銘碑を増やす昭和の男たち》、同時代を生きた著名人が次々と旅立ってい... 続きをみる

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