梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

私の戦後70年・引き揚げ

 私は昭和19年に満州ハルピンで生まれたが、母は翌年の3月に病死した。父は応召され、やむなく友人夫妻に、私を預ける。友人夫妻には三人の男子がおり、末っ子が私と同年齢のため、夫妻は快諾したという。まもなく終戦、引き揚げとなる。夫妻は四人の男子を抱えて過酷な帰途に就くことになった。無蓋車を乗り継ぎ、ようやく引き揚げ船に乗船できたが、子どもたちの衰弱は激しく、とうとう末っ子は落命してしまった。帰国後、しばらくして父も生還、夫妻家族との交流も再開される。しかし、その場で末っ子の死が話題になることはなかった。わずかに「コーちゃんは温和しかったから生き延びられたのよ」と、夫人が呟いた言葉が思い出される。古稀を過ぎた今、私は、夫妻が父と私のために、愛児を犠牲にしたと確信している。「私の戦後70年」は、その尊い犠牲によってもたらされたことを肝銘しなければならない。はたして、夫妻・愛児に報いられる70年であっただろうか。(2015.3.19)