梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「自閉症児」の育て方(1)自閉症児とは?

《「自閉症児」の育て方》 
【まえがき】
 本来なら「自閉症の治し方」「自閉症の防ぎ方」といったタイトルにしたかったが、現代では「自閉症は治らない」ということが定説になっており、そのような定説に異議をとなえる気など毛頭ないので、というより、そのような定説など全く信じていないので、上記のタイトルを採用することにした。私の独断・偏見によれば、「自閉症は治らない」という定説は《百害あって一利なし》である。なぜなら、「自閉症は治らない」という定説に従う限り、「自閉症は治す必要がない」ということになり、自閉症の《本態》を究明することよりも、自閉症に対してどうすればよいか、といった対処法だけが優先・強調されるからである。加えて、その定説は「証明」する必要がない。「治る」もしくは「治す」ことを証明するためには、そのための方法を提示して、科学的な実験・検証の手続きが不可欠だが、「治らない」ことは、何もしなくても、すでに証明されているからである。これまで多くの専門家が、自閉症を「治そうとして」様々な試行錯誤を重ねたが、有効的な結果は得られなかった。ということだけで「自閉症(の本態)は治らない」と断定できるだろうか。事実、私自身の(乏しい)臨床経験の中でも「自閉症が治った」という事例は、わずかに《一例》しかなかった。しかし、それは私自身が「自閉症は治らない」という定説に従い、これまで「治そう」としたことなど一度もなかった結果に他ならない。
 今、私は「自閉症は治るかもしれない」と思っている。また、もし治るものなら「治さなければならない」とも思っている。そんな思いで、この拙文を書き始めることにする。


1 「自閉症児」とは?
 定説では、〈自閉性障害の基本的特徴は、3歳位までに表れる。以下の3つを主な特徴とする行動的症候群である。1.対人相互反応の質的な障害2.意思伝達の著しい異常またはその発達の障害 3.活動と興味の範囲の著しい限局性〉(ウィキペディア百科事典)、〈自閉症の初期症状 ・自閉症は、幼児期の早期より起こる発達障害である。・言葉の発達が遅い、人に対する関心・反応が乏しい、落ち着きがなく多動である、耳が聞こえていないように振る舞う、対人関係がうまくできない、などが自閉症児の特徴的な初期症状と言うことができる。*自閉症児の母親は、言葉と行動上の異常を強く訴えている。これに対して、精神遅滞児の親は、運動発達の遅滞をより強く訴えている。〉(「自閉症治療の到達点」(太田昌孝・永井洋子編著・日本文化科学社・1992年)などと、説明されている。
 それらを読むと、現実に、そのような「自閉症児」が《実在》しているように思われるが、それは《錯覚》である。《実在》しているのは、「何の某」という名前を持った(普通の)「子ども」である。その子どもには「初期症状」が見られる。その症状を「自閉症」というのはかまわない(専門家の勝手だ)が、その子は《「自閉症児」だから》そのような「初期症状」が見られるのだ、といった「決めつけ」(決めてかかり)は、臨床上、許されない。「はじめに(先天的な)自閉症ありき」といった医学、教育、福祉、行政サイドでの風潮は「虚構の産物」(フィクション)に過ぎないのである。
 したがって、「自閉症児」と呼ばれる子どもは居ても、「自閉症児」は《実在》しない。臨床家は、子どもに「自閉症児」というレッテルを貼って、「自閉症児だから・・・」という前提で、その子どもと関わることがないように、肝銘すべきである。臨床家の前に居るのは、「何の某」という名前を持った、生身の「人間」であり、その「人間」と《ともに》当面する「問題」を解決しようとすることが、臨床の仕事なのだから。蛇足ながら、「自閉症児」と呼ばれる子どもは、普通の「人間」である。普通でない、異常な「人間」が存在するのは、虚構(フィクション)の世界だけである。(2015.1.1)