梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「自閉症」への《挑戦》・3

3.方法
⑴ 調べる
 まず相手の「出生から現在まで」の《生育史》を「知る」必要がある。こちらの立場が「親」ならば、調べるまでもなく熟知している事柄であろう。・胎生期の状態・出生時の状態(時期、分娩の様子、産声の有無)・新生児期の状態(哺乳の様子、泣き声の強弱、体重の増加、黄疸の状態)・乳児期の状態(微笑み、聴覚反応、泣き声の変化、視覚反応、首のすわり、喃語の有無、人見知り、抱きぐせ、はいはい、独り座り、笑う、芸、離乳の状態、つかまり立ち、ジャーゴン)・幼児期の状態(始歩、始語、好きなオモチャ、排尿便の予告、好きな遊び、描画、添い寝の習慣、二語文、すべり台、ブランコ、友だち遊び、、多語文、排尿便自立、衣服の着脱、幼稚園・保育園)、学童期の状態(対話、登下校、集団生活、学習能力、運動能力、作業能力)・少年期の状態(嗜好品、スポーツ、趣味)・青年期の状態(性徴、家事労働、企業労働)・・・、そうした歴史をふりかえり、「こまった」「どうしよう」「変だ」と感じる行動が、「いつごろから始まったか」「どのようなときに始まったか」、その行動は「どのように変化したか(変化しないか)」、その行動に対して、「周囲はどのように対応したか」、また「本人はどのように感じているか」を明らかにすることが必要である。


⑵ 考える
 「自閉症」と呼ばれる子どもの場合、①泣き声が弱かった、②泣き出すとなかなか泣きやまなかった(母の声を聞いても泣きやまなかった)、③寝てばかりいた、④おとなしく手がかからなかった。⑤抱かれることを嫌がった、⑥相手をじっと見つめることがなかった、⑥音がしてもそちらを向こうとしなかった、⑦視線が合わなかった、⑧泣き声が変化しなかった(反射的発声から、怒り泣き・ぐずり泣き・訴え泣き・甘え泣きなどへ)、⑨人見知りをしなかった、⑩抱きぐせがつかなかった、⑪指しゃぶりをしなかった、⑫あやされても笑わなかった、⑬喃語、ジャーゴン(メチャクチャことば)が少なかった、⑭母の後を追わなかった(母が見えなくても平気だった)、ということが「あったか、なかったか」「今も、続いているか」、もし「あった、今も続いている」とすれば、そのことに対して「自分はどのように対応したか」を省みる必要がある。そして、「子どもはなぜそうだったのだろうか」「自分はなぜそのように対応したのか」について《考える》ことが大切である。
 上記①から⑮までの事柄は、出生後2歳頃までに起きる「出来事」である。「そんな昔のことは忘れてしまった、今さら考えたってしょうがない。過去の出来事をほじくるよりも、大切なことは、今どうするか、これから何をすべきか、ということではないか」と考えることは禁物である。なぜなら、「今」は突然「今」になったわけではない。過去の「積み重ね」として、「今」があるからである。さらに言えば、相手を見て「困った」「どうしよう」「変だ」と感じる(相手の)行動の源は、この①から⑮までの事柄と「無関係」ではないのである。むしろ、それらの事柄に端を発して、「今」のような行動が形成されていると考えた方が妥当かもしれない。
 たとえば、子どもが「寝てばかりいて、おとなしく手がかからなかった」とする。その時、自分はどう対応したか。「心配して起こそうとした」、「無理に起こしてはいけないと思いそのままにしておいた」「抱き上げて反応を見た」「手がかからなかったので、うれしかった」等々、答は様々であろうが、その「是非」が問題なのではない。そうした、自分の対応が、子どもの「行動」と無関係ではないと《考える》ことが重要なのである。自分と子どもの関係は「表裏一体」であり、子どもが①から⑮の事柄に該当したのは、自分の対応の「結果かもしれない」と考えることが、「今」から「今後」のことを考える上で極めて重要になってくる、と私は思う。  
 「自閉症」の定義では、第一番に「他人との社会的関係の形成の困難さ」「対人関係の形成が難しい『社会性の障害』」が挙げられているが、その源泉が①から⑮の事柄にあることは間違いないことだろう。そして、その問題を、軽減・改善できれば、おのずと二番目の「言葉の発達の遅れ」や三番目の「興味や関心が狭く特定のものにこだわること」「想像力や柔軟性が乏しく、変化を嫌う」という問題も解決するに違いない。したがって、「自閉症」と呼ばれる子どもと「接し」「かかわる」ためには、まず「他人との社会的関係」「対人関係の形成」をめざすことに特化されなければならない。そしてまた、「それだけで十分」だと、私は考えている。
(2016.4.20)