梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・32

■表情
【要約】
 表情は本来、内的・情動的状態の自然的な表出であり徴候であるが、音声言語行動の未発達な時期には、外的事象の表示手段としてもある程度利用される。聾幼児では、音声的手段をほとんどもつことができないために、表情を表示の手段として用いる傾向が強く、急速に発達する。一般に、聴児が音調によって与える影響の多くが、聾児では表情で伝えられるが、その上に、外的表示にも使われる。聴児は音声言語行動によって、音声型で表示を、音調で感情を伝える。音声活動がこのように表示性と感情性の両面を同時に生産しうることが、音声の長所の一つである。
 聾幼児は、しかめ面で不快を伝えるが、のちには不快なものすべてにこの表情が拡張使用され、このように表情が“概念的”な地位を占めるようになる。一方、聴児では、このような表情の利用の分化が進む以前に言語的伝達が進んでくるので、表情による伝達手段の進歩は十分みられない。しかし、未熟な談話をする時期では、表情は少なからず伝達内容の細部を補っているように思われる。表情は語の代わりというよりも、“意味の強調”の役割を果たす(Leopold,1949)といわれるが、聴児でも、まだ文の習得が十分ではない段階では、表情は表示手段として不可欠な場合が生じてくる。たとえば、ボク ニーチャン
タタイタ といったときの幼児の表情がにこやかで得意な様子のときには、ボクがたたいたのであり、表情が哀訴的で不満そうで暗いならば、ボクはたたかれたのである。
 多くの場合、表情には身体の全体的な特徴ある運動ないし姿勢が伴う。これは一瞬の“しぐさ”あるいは“身のこなし”といってよいもので、幼い子どもでは生理的ないし自然的な基礎をもつものが多く、特定の文化の域を超えて、人間共通の型となっているものがある。たとえば、拒否を示す首の横振りや、肯定を示す首のたて振りがこれである(
Spitz,1957)。しかし、このような人間共通の型がなぜできあがるかについては明かではない。


【感想】
 ここでは、表情が外的事象の表示手段として利用されることについて述べられている。
特に、聴覚障害のある幼児はその傾向が顕著であり、「表情が“概念的”な地位をしめるようになる」ということである。なるほど、手話通訳者の表情は、一見不自然(大げさ)だが、それは通訳者自身の感情とは無関係であり、外的事象を表示するための「概念的」な手段であった、ということがよくわかった。
 自閉症児の場合、乳幼児期において「音が聞こえないかのようにふるまう」ことが指摘されている。そのため、この時期における「鑑別診断」は難しい。しかし、「表情」を聴覚障害児のように「表示手段」として利用することは少ないように思われる。総じて、自閉症児の表情は乏しい。特に、初めての場所、対人場面での「表情」は固く、また「痛い」「驚いた」時にも、泣き出すことは少ないのではないだろうか。
 また著者は、音声活動は「表示性と感情性の両面を同時に生産しうる」長所をもっていると述べているが、感情性の源は「泣き声」と考えてよいか、自閉症児の音声活動は表示性の面に偏っていると考えてよいか、以下を読み進めることで明らかになればと思う。
(2018.5.6)