梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「自閉症」への《挑戦》・11

4.いくつかの補足・確認
 ①「自閉症」への《挑戦》とは? 
「自閉症」への《挑戦》とは、「自閉症は治らない」という通説に挑戦するという意味である。「自閉症」の原因が何であれ、それが発達の障害だと考えられている以上、その発達を促進することは可能である、と私は考えている。


 ② 「対人関係の形成」を図る
「自閉症」の本態は、定義の第一番目に挙げられている「対人関係の形成の困難さ」「社会性の障害」に起因する。したがって、その問題を解決することに専念しなければならない。発達的に見ると、対人関係は、感情の「交流過程」(不安・緊張→安堵・安心・安定→愛着→好奇心→あこがれ→嫉妬→羞恥→自戒→・・・、といったプロセス)を通して形成される。そのスタートは母子の交流から始まり、父子、家族、親類、隣人、同輩との交流へと拡がっていく。そのプロセスのどこに支障が生じているかを、対人関係の当事者である「本人」と「相手」の《関係》の中で究明することが重要である。


 ③「泣く」ことは重要である 
 感情の「交流過程」の中で、《泣く》という活動はひときわ重要である。しかし、現代社会では、子どもが泣いていると「うるさい」「めいわくだ」「虐待しているのではないか」という、周囲の反応が返ってくる。《泣く》ことは忌避され嫌悪される。そうした風潮は、「自閉症」の問題と無関係ではない。子どもを泣かせている親は、周囲から責められる。その気持ちが子どもと向き合うゆとりをなくさせる。先回りして、泣かない工夫をする。泣かないということは我慢することである。自分の気持ちを閉じ込めることである。誰も頼らないことである。一見、自立して頼もしく見えるが、鬱屈した気持ちをいつ爆発させるかわからない。子どもは、泣くことで気持ちを発散する。思い切り泣いた後で、気持ちが静まる。その繰り返しが気持ちを安定させるのである。欲しいといって泣く、できないといって泣く、つまらないといって泣く、寂しいといって泣く、悲しいといって泣く、かわいそうといって泣く、最後には、うれしいといって泣く、それが「人間」の健全な姿なのだ。まさに「泣く子は育つ」のである。


 ④「言語指導」について
 「自閉症」に対する「言語指導」で、最も大切なことは「言葉を聞いて理解する能力」を高めることである。そのステップは以下の通りである。              
 ①単語(名詞、動詞、形容詞・一語文)を聞いて、相当する事物、写真、絵を指さす(手渡す)。②句(文節・二語文)を聞いて、相当する事物。写真、絵を指さす、③文を聞いて、場面の絵を指さしたり、図示したり、動作化したりする。④単語を聞いて、その音節数を数える。(め→1,みみ→2、あたま→3、てぶくろ→4、すべりだい→5というように)⑤単語を聞いて、文字(漢字・仮名文字)カードを指さす、⑥語音を聞いて、相当する仮名文字を指さす。
 ここまでの活動を「完全にできるように」すること、「話すこと」「読むこと」「書くこと」の指導は行わない方がよい。行わなくても機が熟せば、子どもの方から自発的に話したり、読んだり、書いたりするようになるからである。
 文字の学習は「見分ける」ことから始まる。初めは。漢字、仮名文字を見分けられれば。読めなくてもよい。見分けることと読むことを「同時に」行おうとすると、子どもは混乱するだろう。見分ける活動とは、同じ文字を集めることである。文字と文字を見比べて「同じか」「違うか」を判断することである。その時に「さりげなく」その文字の語音を(BGMとして)聞かせるのがよい。仮名文字で言えば「く」「し」「へ」、「は」「ほ」、「ぬ」「の」:「ち」「さ」などの違いを見分けられるかどうか、数字で言えば「1」「7」、「3」「8」、「7」「9」、「6」「9」などの違いをみわけられるかどうか。それらが見分けられるようになった時、その違いを「音」で聞かせて確認するのである。
 「五十音」や「アルファベット」、「数字の数え順」「絵本の文章」を読んだり、暗誦したりすることは、この段階ではあまり意味がない。しかし、子どもが自発的に行うとすれば、それを「言葉のやりとり」(の材料)に活用する価値はある。「五十音」を交互に読む、アルファベットを交互に歌う、数え順を交互に唱える、絵本を復唱音読する、リレー音読するなど、二人以上で「楽しめる」活動につなげればよいのである。 
 さらにまた、「助詞」「助動詞」、文型、時制などの《文法指導》も行わない方がよい。私たちが日本語を獲得したのは、文法を「学習」したからではない。相手と「対話」したからである。対話を通して、相手との「気持ちのやりとり」を楽しんだからである。今、さかんに行われている「英会話」。その他、外国語の「講座」でも、必ず「発音」「文法」の学習(模倣や修辞法の理解)が強調されている。だから、(特別に関心があり、それを楽しいと感じている人以外は)なかなか身につかないのである。もし、外国語の学習も「聞いて理解する」ことだけに徹すれば、違った結果になるのではないだろうか。


 ⑤「親子関係」に注目する
 「自閉症」という問題の第一が「対人関係の形成の困難さ」であるならば、当然、その出発点となる「親子関係」のあり方も注目しなければならない。しかし、研究の対象になるのは、おおかた「子ども」の側であり、「親」のあり方は不問にされているようだ。現在では「自閉症」と「親の育て方」は《無関係》であり、「親の育て方が悪いから自閉症になった」という考えは《誤り》だとされている。たしかに、「育て方」(=しつけ)という曖昧な概念で片付けていること、「良い、悪い」という基準を導入している点は《誤り》だと、私も思う。しかし、「親の接し方」「親からの働きかけ」が、子どもに強く影響していることは、誰も否定できないだろう。「自閉症」と呼ばれる子どもの「親」にはどのような共通点が「ある」か、あるいは「ない」かを調査研究し、「共通点は何ひとつ存在しない」ということが明らかになった時、はじめてその《誤り》が証明されるのではないだろうか。ただ、「同じ」親が育てたのに、ある子どもは「自閉症」と呼ばれ、その兄弟姉妹はそう呼ばれなかった、という理由だけでは不十分である。親が同じであっても、その時の気持ち、生育環境、家族構成等々は、つねに「同じ」とは言えないからである。


◆おわりに(両親へのメッセージ)
《私自身は「自閉症」の専門家(研究者)ではありません。一教員として「自閉症児」と呼ばれる児童・生徒たちと接した経験があるだけです。また近年、「自閉症児」と呼ばれる男児の祖父という立場にもなりました。男児の両親は、私の息子夫婦です。両親は幸いにも「困った」「どうしよう」「変だ」と思い詰め、悩んでいる様子はないようですが、やはり本当のところは「両親」という立場にならないとわかりません。
 皆様もまた様々な苦労を重ねていらっしゃることでしょう。もし壁にぶつかって「困った」「どうしよう」などと感じることがありましたら、拙い文章ではありますが本稿を御一読いただき、御参考になることがあれば、という思いで筆を執りました。お役に立つことは少ないと思いますが、合わせて『「自閉症児」の育て方』も御一読いただければ幸甚に存じます。
 終わりに、皆様の御苦労、御奮闘に心から敬意を表し、御多幸をお祈り申し上げます。最後までお付き合いいただき、誠にありがとうございました。》


◆引用文献◆
・『言語闊達の臨床第1集』(田口恒夫編・言語臨床研究会著・光生館・昭和49年)
・『自閉症 治癒への道』(ティンバーゲン夫妻著・田口恒夫訳・新書館・1987年)・・『我、自閉症に生まれて』(テンプル・グランディン著・学習研究社・1994年) 
・『自閉症からのメッセージ』(熊谷高幸著・講談社新書・1993年)
(2016.5.1)