梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

戦後文学の思想と方法・戦後の状況・Ⅱ・《2》

 五味川純平は、それを裏打ちするものとして、マルサス主義と「大アジア主義」をあげている。

 〈日本の国土は狭く資源は貧しい。しかも人口は多い。このまま進んだら日本民族はほろんでしまう。滅亡がいやなら外に向かって進出するほかはない。(略)満州を中国から取りあげて日本将来の発展に備えることの、一体どこが悪いのか?優勝劣敗は天の配済だ。そして資本主義列強もみな、今も昔も、同じことをやっていたではないか・・・・。これは一種のマルサス主義、社会ダーウィン主義であるに違いない。それは、たしかにわれわれ大衆が日常見聞している経験的事実に合致している側面をもっている。(略)中国侵略を合理化する思想としてマルサス主義を一つの支柱とすれば、もう一つの支柱が「大アジア主義」ではないか。(略)アジアを白色人種の帝国主義から解放するためには、とくに「同文同種」の日中両国民が固く手を握り、日本を盟主としてアジアが一つに団結する必要があると説く。これもまた欧米列強のアジア侵略という現実の一面をとらえたかぎりにおいて、そして肌の色にはきわめて敏感である日本人にピッタリくるような人種主義理論を借りて欧米帝国主義のへの引き出した点において、大衆的な説得性をもっている。〉(前出・33頁)
 それではいったい、何故にそうした支配者のイデオロギー(マルサス主義、「大アジア主義」)を、人々は説得性のあるものとして受け止め得たのであろうか。それは多分に彼らの生活形態によっている。五味川はその具体的なものとして軍隊(生活)をあげている。
 〈軍隊体験とは違う意味と内容をもつ一般的な戦争体験が、そういうものとしては成立しにくいのではないだろうか。軍隊が日本の政治と経済の圧倒的大部分を吸いとってしまったのと同じ具合に、軍隊が日本人の思想と意識・感覚をも吸収してしまい、それらの一切に日本軍隊の刻印を押しつけてしまったのではないか。(略)戦争そのものと軍隊とは明らかに別の二つのものであるに相違ないのに、この二つはいつしかピッタリと重なってしまう。〉(前出・44頁) 
 私はそうしたことをより明確なものとするためには、人々の生活形態に規定されてくるところの、日本人としての精神構造・意識構造を切開しなければならないと思う。
 絶対的な天皇制権力機構の中で、人々はどのような生活意識をもっていたのであろうか。日高六郎は、その生活意識を《国体観念》と《順風美俗》の二要素に分析し、それらを明確に規定している。
 〈「旧意識」は、いわば「上からの」旧意識と「下からの」旧意識を、その構成要素としてふくむものであった。「上からの」旧意識は空間的には八紘一宇にまで広がり時間的には天壌無窮の永遠性をたもつ一君萬民の国体観念であり、その心理的核心は神格化された天皇にたいする絶対従順と家父長化された天皇に対する《赤子》の情(「義は君臣・情は父子」)であった。(略)いっぽう「下からの」旧意識は、典型的には封建的な閉鎖的村落のなかで固定化された村秩序意識と家父長家族主義であり、それは習俗としての《醇風美俗》へと行動様式化されるものであった。〉(『日本資本主義講座』・Ⅸ・岩波書店・173頁)

戦後の状況・Ⅱ・《2》 : 戦後文学の思想と方法

戦後文学の思想と方法・戦後の状況・Ⅱ・《1》

【ぼくはこんど戦争があったら、やはり戦争にゆくであろう。そしてきれいに死のうとするであろう。》(「戦中派の条理と不条理」・村上一郎)】


 私は前の章において、「戦前」から「戦後」への歴史的転換を、政治・経済的」な視点からながめた。いったい1945年8月15日を境として、日本の社会はどのような転換を行ったのか。変わったものは何であり、変わらなかったものは何なのか。前の章にしたがうなら、それはひとくちにいって政治的な天皇制権力機構の崩壊ということであった。そしてその崩壊は、第二次世界大戦の勝利者である反ファシズム連合軍、とりわけアメリカ合衆国によってもたらされた。また新憲法制定の経緯からもわかるように、その崩壊現象の中には、現代世界の基本的矛盾、すなわち「二つの世界」の冷戦という政治・経済的矛盾が集約的に表現されていた。それゆえ、日本の社会は、天皇制権力機構の崩壊と同時に、また世界の基本的な矛盾のまっただ中に投げ出されざるを得なかったのである。そして、変わらなかったものは、日本が資本主義社会であるという経済的事実であった。もし人間の生活を直接的に規定するものが経済活動であるとするなら、日本人の生活は8月15日を境として、本質的には何ら歴史的転換を行い得なかったということも、あるいはいえるかもしれない。
 さてこの章で私のめざすことは、そうした問題と直接」かかわってくる。すなわち変わったものと変わらなかったものの《はざま》の中で、人々の意識は、とりわけ生活意識はどのような状況にあったかということ。それをみることがこの章でめざすことである。
 そのとき、まずはじめなければならないことは、人々の意識は8月15日の時点でどのような状態にあったかということである。それは当然のことながら、人々がそれ以前において、第二次z世界大戦をどのように評価していたかという問題とかかわりをもつ。というより、むしろそうした問題を明らかにしなければ、8月15日の意識は解明できないという方が正確である。文学における「日本浪漫派」の問題はそのようなものとして存在するだろう。だがここではふれずに、前の章で引用した次のようなことに注目したいと思う。
 〈わたしたちが日頃「戦争」というとき、それはほとんどつねに太平洋戦争をさしており、太平洋戦争は対米英戦争にほかならないとされている。そのような意味で日本人の戦争意識は“12月8日”にはじまったということができる。〉(『日本現代史』・上・合同新書・21頁)
 同じことは、作家五味川純平によっても指摘されている。
 〈われわれ国民の圧倒的大多数は、昭和16年12月8日をもって《はじめて》戦争を実感したのではないだとうか。それ以前には戦争はなかったのだ。昭和6年満州侵略からまる10年間ひきつづきおこなわれている中国との戦争は戦争として自覚されてはいなかった。つまりせいぜいが「満州事変」であり「支那事変」にすぎなかったのである。〉(「精神の癌」・五味川純平・『現代の発見』・Ⅰ・春秋社・16頁)
 すなわち、人々の「戦争」意識の中には、第二次世界大戦の帝国主義国間の戦争という側面、とりわけ太平洋戦争という側面しか入っていなかったのである。

(1967年3月)

戦後の状況・Ⅱ・《1》 : 戦後文学の思想と方法

戦後文学の思想と方法・戦後の状況・Ⅰ・《10》

〈第一。生産過程以外からの収奪。最大限利潤(注・資本主義の基本的経済法則)は、まず「その国の住民の大多数」を搾取することである。これは直接的な生産過程における労働者にたいする搾取以外に、農民、小生産者、商人および一部の資本家・・アメリカ独占資本と直接に関係がなく、国家機構を自己の利益に従属させることもできないような資本家・・をもふくむ国民の大多数を搾取の犠牲にすることである。なおこの場合、労働者は生産者として搾取された後、人口として消費者としてもう一度搾取される立場になる。〉(『日本資本主義講座』・Ⅳ・前出・67頁)

 〈第二。生産過程における労働者からの搾取。戦後においても、日本独占資本主義の最大限利潤のもっとも重要な源泉が低賃金、低米価であること、換言すれば、国内とくに農村にある封建性の残物に基礎をおく労働者階級への植民地水準の搾取にあること。(略)依然として独占資本による労賃の労賃の価値以下への切り下げが、最大限利潤の「完全な実現」を保障することになっている。(略)労賃を切り下げるために、独占資本主義は戦争体制とアメリカ製の労働搾取技術と、日本農村、都市マニュファクチュアの封建的残存物とを利用している。〉(前出・73頁)
 日本国民は一方でこのような経済的支配下にありながら、他方では日本国の主権をもっていることになっている。そしてそれを具体的に保証するものは、選挙権である。
 〈個々人の個々の要求は知りえても、大衆全体の意志を知るものは誰もいない。むしろ大衆の意志自体が存在したことはないかもしれない。大衆の意志を反映する最大の機会といわれる総選挙といえども、既に存在する大衆の意志を反映するというより、個々人によって相互に矛盾する要求を結び合わせて一定の方向をもった政治的表現に形成する機会ということができる。その意味で総選挙は大衆の意志形成の過程である。さまざまの質的に異なった要求と期待(政治的無関心も含めて〉がさまざまの行動様式を通じて結局一票に量化され、その集計である選挙結果が国民大衆の意志と名づけられる。そして少なくとも議会主義の下では、これが立法国策の唯一の正統性の根拠である。〉(『日本資本主義講座』・Ⅲ・前出・187頁)
 だがしかしそうした選挙のもたらすものは何なのであろうか。
 〈国家は最高であるという議会主義が採用されているにもかかわらず、その議会において労働者階級が多数を占めても国家権力を握ることにはならないというのが議会主義への批評であるが、それは具体的な執行権が官僚に握られこれが資本家階級と結びついているために、議会は正に「饒舌の機関」(レーニン「国家と革命」)にすぎなくなっている。〉(前出・107頁)
 正に事実において、「主権在民」という理念は否定されているのだ。
 〈およそ資本主義国家において国民主権といわれるものは、国民が権力の実現をもつという事実に裏付けられているものではなく、現実の権力はブルジョアジーと結びついた官僚の手にあって、それにもかかわらず国民に主権ありとされるのは一つのフィクションであり一つの装飾であるのを原則とする。それはブルジョアジーが実権を握っているにもかかわらず、国民全体がそれを持つかのようなフィクションを必要とするからである。〉(前出・95頁)
 戦後日本の「民主化」を具体的に保証するものとしてあった「日本国憲法」は、その基本理念をみただけでも、そのようなものであった。むしろ「日本国憲法」は、戦後日本の「民主化」の本質を象徴するものであり、さらにその象徴を象徴するものが、実に象徴天皇制であった。敗戦によって天皇制権力は崩壊したが、天皇制そのものは残存させられた。
 〈日本の(注・憲法)の場合には、連合軍によってアジアの後進性が意識され、一方ではブルジョア・デモクラシーへの育成指導いう理想主義と、他方ではアメリカ帝国主義への従属性という現実主義の二つの要素が織り込まれている。前者の代表的なものは基本的人権の保障、とくに自然法的な表現にみられ、後者を代表するものは天皇制を象徴として温存したという点である。これは一方では天皇制を利用することによって一種の間接統治を実現せんとするために、どうしても極端なファシズムや侵略主義へ発展することを防ぐ必要があり、他方では基本的人権の尊重が陽性されたのであってこの二つのものは相互に無関係なものではなかった。〉(前出・90頁) 
 以上が「新憲法」にみる戦後的特質である。私はこれまでにおいて、戦後の状況をとらえるために、「戦前」から「戦後」への歴史的転換を政治・経済的な視点からごく大ざっぱにながめたわけであるが、もとより戦後の状況は、それだけでは明らかにならない。またその内容は引用文の多い、きわめて非主体的なものであったが、それは私の視点が政治・経済的なところにあるときでもたえず生活意識的なところへずれていこうとする傾向があったために、社会科学自体としては知識の域を出るものではなかったことを意味する。それゆえそれにたいする私自身の結論を、特別に述べようという気持ちはない。ただ人間の生活を根柢から規定する経済・政治的な状況と、生活意識の関係を追求するためにはそうした知識もまた重要な出発点となるように思われる。そして次の章では、そうした知識にもとづいて、生活意識(文化)の状況を追求しつつ、戦後の全体的状況をより明確にしていきたいと思う。

(1967年3月)

戦後の状況・Ⅰ・《10》 : 戦後文学の思想と方法