梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「急性心筋梗塞」体験記・2・《集中治療室》

梨野礫

 ストレッチャーに乗せられて集中治療室に到着すると、ただちに左前腕部に点滴注射2本が装着される。鼻腔には酸素のチューブ、右前腕部にはカテーテル挿入時の傷口が2箇所、止血装置が施されている。胸には心電図のモニターのコードが貼り付けられた。とはいえ、それらは後からわかったことで、私自身はただ「なされるまま」で何もできない。
 担当の看護師が言う。「これから10時間ほど、絶対安静にしていただきます。身動きはしないようにお願いします」。それを聞いて、私は決意した。「こんな所にいつまでも居られない。最短時間で出てやるぞ!」。ほぼ30分から1時間毎に誰やらがやってきて、血圧、体温を測り、採血をくり返す。体温は37度台に上昇していた。「熱があるようですね」。その原因はわかるような気がする。あの手術室は寒かった。そして、この集中治療室も寒い。看護師が心電図をとろうとして、私の胸に電極を貼り付けたあと「少々、お待ちください」と言ったまま戻らない。「少々とは何分のことか? せめて、上着を閉じていってくれればいいのに」などと考えるとイライラしてくる。私の発熱は、要するに「風邪をひいた」のだ。(そう確信している)看護師がアイスノンを二つ持ってきて、一つは首筋、もう一つは右前腕部に当てるようにと言う。私が「あの室温が低いようですが」と言うと、「そうですね。調べてみましょう」、やがて「23度でした」と答えた。 
 今できることは「聞くこと」「話すこと」「見ること」、それ以外は何ごとも全くできない。食事は「点滴」、排泄は「導尿」「紙おむつ」に依存するほかはなく、情けない限りだが、次第に気持ちが萎えていく。最短時間でここを出たとしても、先は知れている。もう入院前の生活に戻ることはできないだろう。タバコ、アルコールは厳禁、美味しい料理も食べられない。でも、まあいいか。73年間も「好き放題で」生きてきたのだから、最後ぐらいは「道徳的に」「健全に」生き、死んでいくべきなのだろう。
 ふと天井を見上げると、その模様が「地図」のように見えたかと思うと、浮き出てくる。
あの「ステレオグラム」現象をいとも簡単に体験できることに驚いた。おそらく、点滴薬の影響だろうと考えているうちに10時間が経過した。「もう、足だけは動かしていいですよ」と看護師が言う。どこかで「管は外せません。感染予防です!」などという大声がしている。私と同様に手術を終えた患者が「トイレに行きたい」とでも言ったのだろう。「便器を用意しますのでそこにしてください」しばらくすると男性の唸り声。
 私の周辺では、しきりに右前腕部に注目する。「出血が認めらる」「水疱ができた」などという声の後、医師らしき男性が思いきり右上腕部を締め上げた。「これで様子をみるしかない」。何が起きているのか一向に理解できなかったが、今思えば、カテーテルの挿入創からの出血が止まらないということだった。おそらく手術中から、あるいは手術直後から「血をサラサラにする薬」を点滴注入していることはたしかであり、術後の傷口から出血が続くということは、当然の結果である。この際、梗塞の再発を防ぐために不可欠の手段であり、私はこの事態を受け入れなければならないということが、よくわかった。

(2018.7.2)

「急性心筋梗塞」体験記・1・《入院・手術》

梨野礫

 先週の月曜日(6月25日)、「急性心筋梗塞」のため緊急入院、カテーテルによる手術他の関連医療を受けた結果、本日、その記録を以下の通り綴れるまでに回復した。消防署救急隊及び病院の医療関係者各位の御尽力に、心より感謝申し上げたい。
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 先週の月曜日(6月25日)、夜半から早朝にかけて胸痛が生じ、治まらない。以前にも、同様な症状で「肋間神経痛」と診断されたことがあったので、今回も「起床すれば治まるだろう」くらいに高をくくっていた。しかし、起床、着替え、トイレを終えても、胸痛は治まらない。「この分では、今日一日は耐えられそうにない」と直感して、救急車を依頼した。約10分後、救急隊員がレスキュー・キャリーマットを持参して2階に到着、私は「歩いて行けます」と言ったが、隊員は「ともかくここに入ってください」と言いながら直ちに脈拍を数える。「診察券のある病院は?」「〇〇病院□□病院です」「△大学附属病院は?」「以前、受診したことがあるのでどこかにあるはずです」。いつのまにか、隊長も来ていて、隊員に指示する。「すぐに搬出、救急車で△大学附属病院に搬送する。病院との連絡完了。医師が待機中・・・」。キャリーマットに担がれて1階に降りると、救急車の他に、赤い消防車も止まっていた。キャリーマットから担架に移され、救急車の人となった。隊長は「これから△大学附属病院に向かいます。もう大丈夫ですよ」と言い残し、赤い消防車に戻って行った。この間約5~6分、救急隊長の冷静で的確な判断が、私の危機を救ったのである。事後、医師の話。「救急車で来られたことは正解です。もし、タクシー・外来受付の順だったら、間に合わなかったでしょう」。
 救急車には、以前、知人の付き添いとして便乗したことがある。その時にはあまり感じなかったが、「けっこう揺れるな」と思った。隊員は「心電図をとります」と言い、操作を始めながら、氏名、生年月日、住所、電話番号、これまでの病歴、通院機関名などを尋ねた。合わせて体温、血圧、心拍数、酸素濃度などのデータ(詳細は不明)も集め、その結果を病院に情報提供しているようだ。私が覚えているのは「体温は36度2分、意識清明、冷や汗の痕跡有り」という隊員の声である。また、胸に添付していた3個の金属粒を見て、「これは何ですか?」「ゲルマニウムの粒です」「はがしていいですか?」「はい」といった「やりとり」もした。(現在、ゲルマニウムの所在は不明であるが・・・)
 やがて△大学付属病院に到着、ただちに手術の準備が始まった。担当医の話。「心臓の冠動脈が詰まっているので、すぐに手術をします」。洋服を脱がされ、おそらく仰向けの全裸状態。「しばらく動けなくなりますので、管(尿道カテーテル)を入れます」。(そしてまたまた、右足・右腰に添付していた8個のゲルマニウムを見つけて「これは何ですか?」以下、救急隊員と同様の「やりとり」をし、結果も同様、8個のゲルマニウムは、現在もまだ行方不明である。)
 かくて準備終了、手術台の上に。「さあ、急いで手術をしましょう。早いほうがいい」。担当医はそう言って、手術室に移送する、そこの状況は全くつかめなかったが、医師が数名、看護師も数名、脇に大きな画面が設置されていることだけはわかった。私に対応するのは「若い男性医師」で、まず「麻酔を打ちます。少し押された感じがします」と言い、私の右腕を下に押しつけた。以後は、ほとんどスタッフ同士の対話が続き、私が聞いていても意味不明、理解不能であった。胸痛は持続しているが息苦しさはない。しかし、寒かった。ふるえが止まらない。「意識清明」なだけに、進行状況が気になる。そのうちに尿意をもよおしたので「尿を出していいですか?」と医師に問うと、「はい、どうぞ」と言う。この「導尿」体験は、生まれて初めてだったので、コツを飲み込めるまでに時間がかかった。(自然排尿の方法で行おうとするとかなりの痛みが生じる。要するに、導尿なのだから、少量ずつ時間をかけて排尿する方がよい。その代わり、自然排尿の爽快感を味わうことは無理である)
 「若い担当医師」が、「カタクテ、クロスデキナイ。スパイラル、バルーン。造影剤は?」などとスタッフと話しながら、「すみませんね。時間がかかって」と私に言った。その後方から別の男性の声が聞こえた。「××してみたら?」「ああ、そうですね!ありがとうございます」。しばらくして、再び後方から男性の声、「もういいんじゃない。終了して」「はい、わかりました」。私にとって最大の関心事は「手術はうまくいったのか」という一点だが、それは私自身の身体に聞いてみればわかる。「はたして、胸痛は消失したか」。残念ながら、「全く消失した」とは言えない。初めの痛みを10だとすれば、7~8までには減ったようにも感じられるが。
 開始から(おそらく、およそ)1時間~1時間半後、「若い担当医師」が、私に言った。「お疲れ様でした。手術は無事終わりました。心臓にある冠状動脈3本のうち1本が詰まっていましたので通り道を作りました。3本とも詰まる場合もありますので《不幸中の幸い》だと思って下さい。まだ胸痛は残っていると思いますが、徐々に減りますので安心してください」そして最後の言葉に私は小躍りした。「さあ!帰りましょう」。 
 ありがたい、帰れる!と思って起き上がる機会を待ったが、そうは問屋が卸さなかった。手術台からストレッチャーに「自力」で移ろうとすると、周囲から「ダメダメ!」と厳しく制止される始末で、「若い担当医師」からは「これから2週間、入院して経過を見守ります」と宣告されてしまった。ナーンダ、帰り先は「心臓血管疾患集中治療室 - CCU (Coronary Care Unit)」だったのか!2週間入院という医師の言葉に、全身の力が抜けていくのがわかった。(2018.7.1)

私家版・昭和万謡集・《結び》

梨野礫

《結び》
 千年後まで遺したい昭和歌謡100曲を選び終えた。「万葉集」に収められた歌は約4500首だから、「私家版 昭和万謡集」は遠く及ばない。「昭和歌謡百人一曲」といったところであろうか。今後は引き続き「私家版・昭和拾遺集」を編んでみたい。
(2024.1.27)