梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

私の戦後70年・期待外れ

 満州で父は応召、母とは死別したので、私は父の友人夫妻に保護され引き揚げた。当時は2歳頃(記憶は皆無だが)、夫妻家族とともに母の実家のある静岡駅頭に降り立った。出迎えた母の親族は、私の姿を見るなり、思わず「期待外れだっけやー」と嘆息したという。さもありなん・・・、数年前母が満州へ渡る時、親族は歓送会の席上で「渡航を思い止まるよう」最後の説得を試みたが、母は頑として応じなかった。その結果、私の誕生となったが、目の前の姿はやせ細り、腹だけが異様に膨らんだ栄養失調状態で、亡母の面影は露ほどにも感じられなかったのだから。しかし、祖母を筆頭に親族一同は、友人夫妻に感謝、当面の住居を提供した。私もまた母の「形見」として溺愛され、以後、小学校入学直前まで、私の「静岡生活」は続いたのである。温暖な気候に包まれた賤機山、安倍川、浅間神社、臨済寺の佇まい、そして賑わい始めた街々の風景は、「忘れがたき故郷」として、今でも私の胸中に蘇る。(2015.3.20)