梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

78歳、当面の課題

 今日は、私の78回目の誕生日である。昔、節分では自分の歳の数だけ豆を食べたものだが、もう78個の豆は無理である。「ずいぶん歳をとったものだ」というのが実感だ。《あの人はまだ生きてるか歳の暮れ》という戯れ句が浮かんでくる。そして《墓銘碑を増やす昭和の男たち》、同時代を生きた著名人が次々と旅立っていく。そんな中で、「踊子」を歌った三浦洸一は、まだ生きている、94歳。「若いお巡りさん」を歌った曽根史郎も生きている、92歳。そんな姿に、私は大いに励まされるのだが・・・。
 21歳になる孫娘から「今後の抱負は?」と尋ねられて絶句した。私の「今後」とは何なのだろうか。《僕らはみんな生きている 生きているから「何なんだ」》といったところが、本音なのだ。 
 私の「健康寿命」は72歳で終わった。それまでは「元気いっぱい」だったが、73歳の時、急性心筋梗塞を発症、緊急手術によって一命を取りとめた。以後の5年間は「不快感」の連続であり、体調が元に戻ることはなかった。これからも、元に戻ることはないだろう。せめて「今より悪くならない」ように心がけて過ごすことが、重要である。
 「不快感」はいろいろで、その時々をつぶさに思い出すことができないが、病院で循環器内科の薬を処方されたとき、「ああ、これで自分の体はダメになる」と実感したことは覚えている。それまでにも前立腺肥大で泌尿器科の薬を3種類飲んでいたが、それに加えて5種類の薬を飲まなければならない。その副作用が不快感の原因であると、私は思っている。退院後、間もなく「吐き気」「腹部膨満感」が生じ、食欲は激減、体重も徐々に減って、現在は49キロ台である。さらに、そのために消化器内科を受診、6種類の薬が追加されたという次第・・・。まさに「薬漬け」の毎日なのである。そのことで「爽快感」が得られるのならともかく、「今以上に不快感が増さないように」という程度のことなのだから情けない。
 しかし、愚痴をこぼすのはよそう。私は孫娘の問いかけに答えなければならない。78歳からの抱負は何か。とにかく「生きる」ことである。何のために?「私自身が前世代から学んだ財産を、次世代に引き継ぐために」。明治、大正、昭和の「文化遺産」を平成、令和に引き継ぐこと、それが私の願いだが、これまでに綴った駄文の数々に目を通してくれるのはほとんどが「昭和世代」だ。その内容は、「令和世代」はもちろんのこと「平成世代」にも伝わらないだろう。その世代間の「溝」をどのようにうめるか、それが当面の課題である。
(2022.10.25)