「自閉症治療の到達点」(太田昌孝・永井洋子編著・日本文化科学社・1992年)精読(17)・Ⅴ章 Stage別の認知発達治療・2
【要約】 【2.StageⅠの治療教育】 1)StageⅠの状態像 ・子どもたちの多くは言葉がなく、あったとしてもオウム返しがほとんどである。状況に合っていれば言葉かけに応じた行動ができるようになるが、言葉の意味は理解しておらず、その場面での行動のきっかけとなる信号としての機能しか持っていない。 ... 続きをみる
「自閉症治療の到達点」(太田昌孝・永井洋子編著・日本文化科学社・1992年)精読(17)・Ⅴ章 Stage別の認知発達治療・2
【要約】 【2.StageⅠの治療教育】 1)StageⅠの状態像 ・子どもたちの多くは言葉がなく、あったとしてもオウム返しがほとんどである。状況に合っていれば言葉かけに応じた行動ができるようになるが、言葉の意味は理解しておらず、その場面での行動のきっかけとなる信号としての機能しか持っていない。 ... 続きをみる
「自閉症治療の到達点」(太田昌孝・永井洋子編著・日本文化科学社・1992年)精読(16)・Ⅴ章 Stage別の認知発達治療・1
【要約】 《Ⅴ章 Stage別の認知発達治療》 【はじめに】 ・この章では、StageⅠからStageⅢ-2までの認知発達治療の実際を、Stage別に具体的に述べる。 ・この章の内容は、技術的な側面に絞って記述しているので、背景となる理論的な側面については第Ⅳ章までを参照いただきたい。 ・ここでは... 続きをみる
「自閉症治療の到達点」(太田昌孝・永井洋子編著・日本文化科学社・1992年)精読(15)・Ⅳ章 Stage評価と認知発達治療
【要約】 《Ⅳ章 Stage評価と認知発達治療》 【はじめに】 この章では、第1に、太田のStage評価について説明する。第2に、太田のStageによる認知発達治療の方法論を示す。第3に、認知発達治療の評価について述べ、最後に、この治療法による異常行動・不適応行動の予防とそれへの対応について述べ... 続きをみる
「自閉症治療の到達点」(太田昌孝・永井洋子編著・日本文化科学社・1992年)精読(14)・Ⅲ章 「太田のStage」評価法・4
【要約】 3)Stage評価の臨床的検討 ・我々は、臨床的な側面での有用性に関しても臨床研究を行いつつ、デイケアの治療教育の実践の中で深めてきた。ここでは、Stageの有用性を確認したり、さらに深めるのに役立った臨床研究を紹介する。 ⑴StageiⅠの検討 ・4症例を通してまとめた研究(仙田ら,1... 続きをみる
「自閉症治療の到達点」(太田昌孝・永井洋子編著・日本文化科学社・1992年)精読(13)・Ⅲ章 「太田のStage」評価法・3
【要約】 【2.「太田のStage評価」の妥当性と有用性】 ・自閉症児の認知発達における障害には、①感覚運動期からの脱出に困難さがある、②シンボル表象的な思考の段階に移行できない、③シンボル機能を獲得後も、比較や空間の概念などが獲得しにくい、などの問題がある。さらに比較的良好に発達を遂げた場合でも... 続きをみる
「自閉症治療の到達点」(太田昌孝・永井洋子編著・日本文化科学社・1992年)精読(12)・Ⅲ章 「太田のStage」評価法の開発・2
【要約】 2)シンボル表象期への移行期の問題 ・自閉症児にとって感覚運動期からシンボル表象期への移行は滑らかではない。言葉の芽生えが認められても、その後、シンボル機能を獲得していく移行期の意味を持っている場合と、本来のシンボル機能を容易に獲得できない場合とがある。 ⑴シンボル機能を伴わない言葉 ・... 続きをみる
「自閉症治療の到達点」(太田昌孝・永井洋子編著・日本文化科学社・1992年)精読(11)・Ⅲ章 「太田のStage」評価法の開発・1
【要約】 《Ⅲ章 「太田Stage」評価法の開発》 【はじめに】 ・東大の精神神経科で25年の歴史を持つ小児科デイケアにおいても、20年近く前には行動療法を取り入れた治療が行われた。(太田,1971;徐,1975)。しかし、子どもは教え込んだ課題の行動自体は学習したが、課題の意味は学ばなかった。我... 続きをみる
「自閉症治療の到達点」(太田昌孝・永井洋子編著・日本文化科学社・1992年)精読(10)・Ⅱ章 自閉症の治療と治療教育・3
【要約】 【5.薬物療法の基礎】 ・自閉症の薬物療法の適応、留意点、目的および実際に関して、基本的なことを簡単に述べる。(詳細と文献については第Ⅷ章を参照されたい) 1)自閉症に対する薬物療法の適応 ・薬物は、症状の緩和を目的にして、対症療法的に用いられる。しかし、薬物の適切な使用により、相当程度... 続きをみる
「自閉症治療の到達点」(太田昌孝・永井洋子編著・日本文化科学社・1992年)精読(9)・Ⅱ章 自閉症の治療と治療教育・2
【要約】 【2.治療形態】 ・治療の形態としては、医療機関に限れば、外来、デイケア、入院の別がある。外来治療では、通常は子どもと母親と一緒に来院し、子どもの発達評価などに基づいて母親が療育指導を受ける。この延長として、比較的長い時間治療を受けるデイケアがあり、デイケアより短い治療の場として外来ケア... 続きをみる
「自閉症治療の到達点」(太田昌孝・永井洋子編著・日本文化科学社・1992年)」精読(8)・Ⅱ章 自閉症の治療と治療教育・1
【要約】 《Ⅱ章 自閉症の治療と治療教育》 【はじめに】 ・自閉症の治療は、受容的遊戯療法から、子どもに積極的に働きかける治療教育と薬物治療へと変化してきている。さらに、異常行動の改善や適応行動の獲得のみならず、認知と情緒の発達を促す方法にすすんできている。そして、認知発達的な見方から、子どもを受... 続きをみる
「自閉症治療の到達点」(太田昌孝・永井洋子編著・日本文化科学社・1992年)精読(7)・Ⅰ章 自閉症の概念と本態・5
【要約】 【7.思春期から青年期での変化と問題】 1)自閉症と思春期 ・自閉症者にとって、思春期は精神発達の加速があって、自尊心が芽生えてきたりする時期である(Schopler & Mesibov,1983)が、危機の時期でもある。自傷行為、パニック、他者に対する攻撃行動、執着傾向が強まったり、強... 続きをみる
「自閉症治療の到達点」(太田昌孝・永井洋子編著・日本文化科学社・1992年)精読(6)・Ⅰ章 自閉症の概念と本態・4
【要約】 【6.自閉症の障害の今日的理解】 1)自閉症の障害の連鎖 ・自閉症の障害を整理すると次のようになろう。まず、脳に障害を起こす何らかの原因がある。いくつかの原因がからみ合って、ある特定の脳機能システムに障害を起こすことになる。そのために表象機能障害が起こり、それが一方では認知の障害、他方で... 続きをみる
「自閉症治療の到達点」(太田昌孝・永井洋子編著・日本文化科学社・1992年)精読(5)・Ⅰ章 自閉症の概念と本態・3
【要約】 【4.自閉症の認知障害】 ・自閉症の特徴的な行動(3つの必須症状)は、親の性格や養育態度により強まったり弱まったりすることもある。また、現代文明の“非人間的な”環境にも影響を受ける。それらこそが自閉症の原因とまことしやかに述べ立てる人もいる。 ・確かに、自閉症児の行動がこれらの環境因に影... 続きをみる
「自閉症治療の到達点」(太田昌孝・永井洋子編著・日本文化科学社・1992年)精読(4)・Ⅰ章 自閉症の概念と本態・2
【要約】 【2.疫学と予後】 1)疫学 ・自閉症は、男に圧倒的に多く、男女比は4対1程度である。 ・出現頻度は、1万人に対して3~4人とされていたが、最近の日本の研究では1000人に1人以上の割合で出現すると報告されている(石井ら、1983)。これは、日本人に特に多いという民族差の問題であるという... 続きをみる
「自閉症治療の到達点」(太田昌孝・永井洋子編著・日本文化科学社・1992年)精読(3)・Ⅰ章 自閉症の概念と本態・1
【要約】 《Ⅰ章 自閉症の概念と本態》 【はじめに】 ・自閉症は、アメリカのKannerにより、1943年に“情緒接触の自閉的障害”として最初に記載され、翌年、早期幼児自閉症と命名された。当時のアメリカの精神医学は、子どもの精神障害をすべて精神分析的に理解しようとしていた。子どもの情緒や行動に異常... 続きをみる
「自閉症治療の到達点」(太田昌孝・永井洋子編著・日本文化科学社・1992年)精読(2)・はじめに・謝辞
【要約】 《はじめに》(太田昌孝・永井洋子) ・世界に自閉症が初めて報告されて50年、東大精神神経科に発達障害児を対象としたデイケアが開かれて25年になります。 ・当科のデイケアにおいて(も)、自閉症の治療は保育的なアプローチから始まり、世界的な動向とともに行動療法を取り入れた時期を経て、本書にま... 続きをみる
「自閉症治療の到達点」(太田昌孝・永井洋子編著・日本文化科学社・1992年)精読(1)・序
【感想】 「自閉症治療の到達点」(太田昌孝・永井洋子編著・日本文化科学社・1992年)を読み始める。「序」(佐々木正美)によれば、〈東京大学医学部精神神経科小児部で、25年という長い年月をかけて真摯に取り組まれてきた自閉症治療の今日の到達点を示す著作が完成した。わが国で初めての本格的な臨床研究... 続きをみる
◎要約 《訳者あとがき》(お茶の水女子大学家政学部児童学科 言語障害研究室 田口恒夫) ・これは「自閉症」の本としては、きわめて異色のものである。まず、著者が変わっている。著者は児童精神科医でも心理学者でもない。もちろん治療士でも教師でも自閉症児の親でもない。40年以上にわたってカモメやらイトヨや... 続きをみる
「自閉症 治癒への道」解読・37・《追記》【プレコップ博士の中間報告】
◎要約 《追記》 【プレコップ博士の中間報告】 ・ドイツのプレコップ博士は、(ニコ・ティンバーゲン博士の情報を得て)1981年からウェルチ博士の「強制抱きしめ療法」を37組の親に始めてみた。対象児37例のうち8例は、子どもの力が強すぎる、母親の体調が十分ではない、母親の時間がとれない、両親にとって... 続きをみる
「自閉症 治癒への道」解読・36・《付録2 地域社会における自閉症児の治療》(ミッシェル・ザッペラ)
◎要約 《付録2 地域社会における自閉症児の治療》(ミッシェル・ザッペラ) 【「非専門家」にも自閉症児と対話できている人がいる】 ・この報告は自閉症の子どもと、日常生活をともにする人々との「相互交渉」を促進する治療の8年間の経験の要約である。 ・この仕事は、(特殊学級や施設が閉鎖になり)子どもたち... 続きをみる
「自閉症 治癒への道」解読・35・《付録1 母子抱きしめ療法による自閉症からの回復》(マーサ・G・ウェルチ)・2
◎要約 《付録1 母子抱きしめ療法による自閉症からの回復》(マーサ・G・ウェルチ) 【治療の方法】 《母と子の絆をつくることがすべての基本》 ・治療の課題は、自閉症の子どもとその母親との間に強い絆を確立することにある。 ・治療をうまく成功させるには、治療者が母と子の間に立ち入らないことである。しか... 続きをみる
「自閉症 治癒への道」解読・34・《付録1 母子抱きしめ療法による自閉症からの回復》(マーサ・G・ウェルチ)
◎要約 《付録1 母子抱きしめ療法による自閉症からの回復》(マーサ・G・ウェルチ) 前章で、著者・ティンバーゲン夫妻による著述は終了し、以下は「付録」である。その1は、本書の「核心」ともいえる「母子抱きしめ療法」がウェルチ博士自身の手によって綴られた論文である。以下はその要点である。 【はじめに... 続きをみる
「自閉症 治癒への道」解読・33・《第10章 事例》(12)
◎要約 【出版されている六つの論文】 《6.パーク「包囲・・自閉症児との接触のための闘い」》(エリー) ・この本は、自閉症児を救おうとした家族の苦闘の物語であり、両親の熱心な努力、適切な措置、率直に報告されている過ちなどからみて、きわめて重要な問題を提起している。 ・この本は、これまで紹介してきた... 続きをみる
「自閉症 治癒への道」解読・32・《第10章 事例》(11)
◎要約 【出版されている六つの論文】 《5.アクスライン「開かれた小さな扉」》(ディブス) ・この本は、遊戯療法の先駆者(の一人)である臨床心理学者によって書かれた小さな宝石ともいうべきものである。 ・ディブスは科学者夫婦の第一子で、下に妹がいた。 ・夫婦は、自分たちに子どもができることを知った時... 続きをみる
「自閉症 治癒への道」解読・31・《第10章 事例》(10)
◎要約 【出版されている六つの論文】 《④.コープランド&ホッジス「愛の軌跡」》(アン) ・アンは第二子で、兄が1歳4か月の時に生まれた。出産は正常だったが、「一時的仮死状態」になった。(事故?) ・アンは初めから極端におとなしい赤ちゃんで「そこにいることを忘れてしまいがち」だった。 ・発達が正常... 続きをみる
◎要約 【出版されている六つの論文】 《ベック「アホウドリの悪魔払い」》 ・ステファンは兄が4歳の時に生まれた。母親は出産時の激しい出血で衰弱していたので、ステファンと一緒にいることがめったになかった。ステファンはおとなしい赤ちゃんだった。 ・9か月の頃、母親はステファンが「ひきこもって疎遠な感じ... 続きをみる
◎要約 【出版されている六つの論文】 《2.ヴェクスラー「サンディの物語」》 ・サンディは2歳前になって歩きはじめたが、歩き方はぎこちなかった。 ・2歳過ぎに妹が生まれると、歩行を止めてしまい、いくつかの面で退行を示した。(単語や音声を出さなくなる。人前で元気がなくなり完全にひきこもる。長い間、か... 続きをみる
◎要約 【出版されている六つの論文】 《1.カウフマン「愛することは共に幸せになること》(長男ローンの物語) ・ローンは長男(7歳と3歳の姉がいた)で出産は正常だったが、最初は「鉛色」だった。・ほとんどたえまなく泣いて、働きかけにも反応を示さなかった。 ・4週目に中耳感染症にかかり、集中管理棟に入... 続きをみる
◎要約 《ジュディ》(両親から提供された情報) ・ジュディは1970年1月9日、予定日より5週間はやく出生、体重2000グラム。母親は,高血圧、妊娠中毒症のため1月4日から入院。絶対安静を指示された。「赤ちゃんは望みなし、母体は五分五分の危険がある」と医者は考えていた。ジュディは保育器に入れられた... 続きをみる
◎要約 《ジョージ》(1979年に両親から提供された情報) ・両親は教員、ジョージは第四子。 ・ジョージの出産は正常、「何も別に変わったことはなかった」。 ・「たいへん楽な子だった」「父親にはほとんど気にとまることがなかった」 ・ほぼ2歳の頃、「ややひきこもりがち」「他人との接触を避ける傾向がある... 続きをみる
◎要約 《フェイ》(両親から提供された情報) ・フェイは1975年11月11日に生まれた。(両親はその1年前、4歳の男児・アドリアンを養子にもらっていた) ・出生時体重3000グラム、陣痛促進、鉗子分娩。 ・母乳をスムーズに飲めず、1日目は何も飲んでいなかった。(誰も気づかなかった) ・4日後、た... 続きをみる