梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・33

■絵画的身振り
《絵画的身振りの意味》
【要約】
 他者の身体運動を自己の身体運動で模倣しようとする傾向は0歳10ヶ月~1歳0ヶ月ごろからみられる。子どもの絵画的身振りはこのような人間行為の模写にはじまるようである。この場合、模写の媒体となる身体部位は、はじめのうちは一定せず、相互交換的にある範囲のものが用いられる。たとえば、足の運動を手や身体全体の運動で模写するといったぐあいである。これは子どもがその運動現象の力動的な特質を把握し、これを自己の身体運動で再現することのなってきたことを意味するという解釈(Piaget,1945;Werner and
Kplan,1963)によって、とくに重要性を帯びてくる。まったく異なる身体部位による運動の間での類似性の発見は、感覚運動期の最終段階(2歳0ヶ月前後)においてであるといわれている。
 絵画的身振りが役割学習の初期の発現であるという見解もある(Church,1961)。社会的地位には、その地位を占める個人の態度・行動がどのようにあるべきかについて、社会一般の人々が共通に期待する一定の型がある。これが“役割”である。役割の最も原初的な学習はきわめて幼いときに生じるのかもしれない。そう考えるとき、子どもの身振りにこのことを暗示するものが認められよう。たとえば、いばって歩く人が肩をいからせ、あごをつきだしている形がこれである。
《絵画的身振りの象徴性》
 柱時計の振り子を見て身体を左右にゆすり、飛行機や鳥の飛ぶのを見て両手を左右に伸ばして走る、といった身振りは子どもによっては非常にひんぱんに生じる。その上、象徴性が高められるとき、さらにそのバラエティーは豊かとなり、独創性が加えられる。“大きなオレンジ”を頬をふくらますことによって表し、“火花”を瞬きで、“波”を手をうねらせる動作で、“ボートが波に揺れている様子”を両肩をゆすることで、それぞれを表すなどがこれである。
《絵画的身振りの模倣性と独創性》
 絵画的身振りは自然の個人的あるいは独創的な起源をもつものなのか、成人(とくに育児者)の行為の模倣を通じて形成されるものなのか、それとも、個々の身振りによってその成因に創造的なものと模倣的なものとがあるのか。 
 バロン(Barron,1940)は、身振りを“自然的身振り”“記述的身振り”“定型的身振り”の3種類に分けている。彼によると、自然的身振りの特徴は模倣によらないことと、現前する事象の表示だけにそれが用いられることである。手を伸ばすとか指示がこれである。記述的身振りは模倣の要因もふくまれているが、子ども自身の“創意”も加わっていて、非現前事象を表すことができる。パントマイムがこの典型的な例である。定型的身振りは純粋に他者からの模倣を通じて形成され、記号性が強い。“家屋”や“家庭”を表すのに、尖った屋根を両手で作る角度で表すのがこれである。
 しかし、身振りをこのように、それぞれの発生過程からきりはなして分類するだけでは不十分である。レオポルド(Leopold,1949)は、追跡的観察資料を分析することによって、身振りの独創性ー模倣性の真の区分が可能であることを示した。その例をあげると、1歳5ヶ月の頬たたき(“おいしい”)や、両手掌を上向きに揃えて親指だけを開く行為(“終わり”)は、模倣により形成され、1歳6ヶ月に旅行の話を聞かせたときに遠くを見る身振り、雷鳴を聞いて手を振る身振りは、独創的なものであった。こうしたことはバロンの分類によっては知ることができない。
 マン(Munn,1955)はつぎのような見解を述べている。身振りの最初の発現が自然発生的であったとしても、それは遅かれ早かれ育児者からの干渉を免れることはできず、大なり小なりの変形を余儀なくされよう。また、逆に、子どもの模倣的身振りにも独創的な面がまったくないことはない。子どもの身振りは、その一つ一つがまったく独創的でもまったく模倣的でもありえない。
 模倣的な身振りの型に対しては成人は干渉を加えず、独創的な型に対する干渉が相対的に強いと考えられるから、全体としては、身振りの独創性は次第に失われていく傾向があるというべきだであろう。独創的身振りは、当初に限って独創的でありうるが、その後漸次、慣用的なものに変化することを強いられるであろう。これは身振りが対人的相互伝達の手段に供せられるかぎり、まったく避けがたいことなのである。


【感想】 
ここでは、絵画的身振りの意義、象徴性、模倣性と独創性について述べられている。絵画的身振りは、足の運動を手や身体全体の運動で模写するといった「感覚運動期の最終段階」に達したことを意味する。また絵画的身振りは役割(社会一般の人々が期待する、社会的地位にふさわいい態度・行動の型の)学習の初期の発現であるという見解もある。絵画的身振りの特徴は「象徴性」だが、それは模倣によって獲得されるものか、独創によるものかについては、双方がふくまれていて判然としない、ということである。
 バロンは、指示(指さし)を自然的身振りに分類し、模倣に因らないとしている。生後8ヶ月以降の子どもは一様に「指さし」をしているが、育児者が「指さし」をしなくても、自然にそのような状態になるのだろうか。また、「バイバイ」という手を振る動作は、模倣によると思われるが、自閉症児の場合、手の甲を相手の向けて行う「逆バイバイ」が目立つことも指摘されている。その要因は何だろうか。まだ「感覚運動期の最終段階」に達していないからだと考えるべきだろうか。私の謎は深まるばかりである。以後を読み進めることで、その謎が解ければ幸いである。(2018.5.7)