2021年8月のブログ記事
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《旧約聖書》(1955年改訳・日本聖書協会) ■創世記 第1章 ・はじめに神は天と地を創造した。地は形なく、闇が淵のおもてにあり、神の 霊が水の面を覆っていた。神は「光あれ」と言った。すると光があった。神は 光と闇を分けた。神は光を昼と名づけ、闇を夜と名づけた。夕となり朝となっ た、第一日である。... 続きをみる
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インターネットの「ヤフーニュース」に「工藤会の野村被告ら再び接見禁止 控訴審の影響考慮か 福岡地裁」(8/27(金) 22:23配信 毎日新聞)という見出しで、以下の記事が載っている。 〈市民襲撃4事件で殺人や組織犯罪処罰法違反(組織的殺人未遂)などの罪に問われ、福岡地裁で死刑判決を受けた特定危... 続きをみる
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第5は、マスクの効果(是非)について「研究」するべきである。今や乳児を除く国民の《すべて》が、《1年中》マスクを着用している。何のために・・・?。①感染を防ぐため、②他人に感染させないため、③皆が着用しているから(同調圧力を感じているから)。 ウィルスの大きさはマスクを自由に通り抜けるほど小さ... 続きをみる
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第4は、「新型コロナワクチン」に関する情報を《透明化》することである。現在、6300万人余りが接種を終えた。ほぼ国民の2人に1人の割合である。このワクチンの効果は《発症や重症化を防ぐ》ことであり《感染を防ぐ》ことではない。だから、ワクチンは《自分の身を守る》ために打つのである。ところが、ワクチン... 続きをみる
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第3は、感染者イコールPCR検査陽性者という意味づけを変えて、感染者イコール発症者という意味にすべきである。この疾病が指定感染症(2類相当)に位置づけられているので《無症状の陽性者》も感染者に含まれるという考えなのだろうが、あまり有効とは思えない。PCR検査陽性者のうち、何人が発症者(患者)なの... 続きをみる
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第2は、明らかにした「新型コロナウィルス感染症」の《病態》によって、指定感染症の《位置づけ》を《再検討》(見直し)することである。現在「指定感染症」(2類相当)に位置づけられているが、そのままの状態でよいか。2類相当の疾病は「急性灰白髄炎」「ジフテリア」「SARS」「結核」「鳥インフルエンザ」だ... 続きをみる
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昨今の「コロナ禍」に関して、今、何をすべきか。 まず第1に、専門家は「新型コロナウィルス感染症」という疾病の特性・特徴を、客観的に(根拠を示して)明らかにすることである。特に、これまでの経過(臨床経験)から得た知見にもとづいて、感染率、発症率、感染経路、症状、治療方法、治癒率、致死率、予防法等を... 続きをみる
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《第十四章 浴衣》 微かな光の中で、あの歌声が聞こえた。 夕空晴れて 黄昏の街 (以下割愛) 二人だけの 黄昏の街 (以下割愛) 目を開けると、マリ子の顔が見えた。私の頬に手のひらを当てて「キス」をした後で、 「おはよう」 と、言った。 「おはよう・・・。マリが歌っていたの?」 「そ... 続きをみる
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《第十三章 乾杯》 応接間の時計が、午後八時を知らせた。(そうか、もうこんな時間だったのか) 私は、マリ子の体からそっと離れ、両手を握りながら言った。 「マリ、おなか空いていないか?」 マリ子は、にっこりとうなずいた。 「そうか、じゃあ、二人で乾杯しよう」 しかし、あらためてよく見ると... 続きをみる
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《第十二章 邂逅》 ○○警察署に着いたのは五時を少し回った頃だった。受付で免許証を見せ、用件を告げると、若い婦警が「生活安全課」に案内してくれた。マリ子は、その廊下の長椅子の上に全身をすっぽりと毛布にくるまれ、寝かされていた。二人の警官がそばで監護している。 「どうも、先ほどお電話いただいた、... 続きをみる
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(日本の社会では)障害児をもつ母親の表情は、一様に暗い。その表情を見るたびに、私の気持ちも暗くなる。なぜなら、それは、日本の社会全体がが「病んでいる」証しに他ならないからである。障害児は社会の役に立たない、「厄介者」である、障害など「無い」方がいいに決まっている、障害者が居ることでその集団は迷惑す... 続きをみる
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シロは力強く歩き出した。ぐいぐいと私を引っ張りながら、「どこに行くかは、任せてくれ」と言うように、脇目もふれずに歩いて行く。私は、犬橇に引かれるような気持ちで、全身をシロに任せていた。まだ、足元がふらつくようで、そうする他に方法はなかった。心の中では、ちあき・なおみの歌声を口ずさみながら・・・・... 続きをみる
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気がつくと、夜が明けていた。私は、あのまま応接間のソファに横になり、眠ってしっまったらしい。喉がからからに乾き、頭が重い。ズーン、ズーンと痛みが波のように押し寄せている。台所に行こうと立ち上がると、目の前が真っ暗になり、思わずその場に座り込んでしまった。(やばい。ジョー、だいじょうぶか?)自分の... 続きをみる
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その日から、一月が経った。案の定、花形親子からは何の連絡もなかった。マリ子がユキを「アンナ オンナ」という限り、滅多に電話することはできない。毎日のように、シロと駅前広場に行って見たが、いっこうに二人は現れない。いつもなら「去る者は追わず」で「終わり」になるところだが、今回は違っていた。時が経て... 続きをみる
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シロを犬小屋に置き、私たちは家の中に入った。 私は、散歩の途中、マリ子に会い、今、自宅で保護していることをユキに知らせておかなければならないと思った。 「そうだ。お母さんに電話しておこう」 しかし、マリ子はキッとした表情で私をにらみつけ、 「ヤメテ!」 と、大声で叫んだ。 「どうして? 心配... 続きをみる
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(ユキから電話が入るかも知れない)と思いながら、一週間が過ぎた。しかし、何の連絡もない。私は、思い切って電話をかけてみた。「リーン、リーン」という呼び出し音は鳴るのだが、相手が出る気配はない。私は、不安になってきた。(どうしたのだろうか? 何かあったのだろうか?) しだいに、いたたまれなくなって... 続きをみる
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「キジョ、キジョ、キジョー」と呟いていたマリ子の声が耳を離れない。初めて聞くマリ子の声は、無表情で、この世のものとは思えなかった。あの時、私たちは無言のまま別れたが、そうするより他に方法はなかった。それ以来、私の胸騒ぎは消えることがないのだ。(どうしよう。マリ子の話し相手になる他はないだろう) ... 続きをみる
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この前は、私よりシロの足取りの方が力強かったが、今回は違う。いつもの散歩コースをあっという間に通り抜け、三時ピタリ、シロと私は駅前の広場に到着した。(いつもの所、いつもの所・・・)はやる気持ちをおさえて噴水のベンチを見ると、花形親子がにこやかな笑みを浮かべてたたずんでいた。 「ごぶさたしました... 続きをみる
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厚生労働省のホームページ、新型コロナ「国内発生状況」によれば、①PCR検査実施人数は、7月31日:18382964人、8月14日:19708418人で、この半月で1.07倍の増加だった。同様に計算すると、②陽性者数は(1108269人÷913755人で)1.21倍の増加、③要入院・治療者数は(1... 続きをみる
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「去る者は追わず、来る者は拒まず」が、私の処世術である。私は、花形ユキから自宅の電話番号を聞いていたので、すぐにでも連絡することはできたが、相手からの連絡を待つことにし、相変わらずシロとの散歩を続けていた。しかし、一週間たっても、二人は駅前の広場に現れない。自宅にかかる電話も、マンション経営、大... 続きをみる
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生きているときは誰かが欲しいのか。「一緒に生きる」とは、同居することではない。その人のことを「想う」ことであり、面影を抱くことである。心の中にぽっかりと穴があくのは、その面影が消え去ったと言うことであろう。 今、私の心の中に誰の面影も浮かんでこない。それを「さびしい」と感じるか、「きれいさっぱり... 続きをみる
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やはり、私は二人のことが気にかかってしまうのだ。老婆と中年の女は親子だろうか。嫁と姑だろうか。どことなく「気品」がただよい、旧家の母と娘のようにも感じる。「わけあり」と直感したのも、およそ車椅子の操作を誤るような二人には見えなかったからである。とっさのことで、二人を詳細に観察する余裕はなかったが... 続きをみる
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妻は二人の娘を連れて家を出た。「身から出た錆」と言おうか、私は、それを当然の結果として、受け止めざるを得なかった。思えば、「仕事」と称して、私自身が「家出」を繰り返し、家族をかえりみることなど、ほとんどなかったのだから。 家には、飼い犬シロと私だけが残された。「家出」をしているときでも、なぜか... 続きをみる
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「家」に帰った。さあ、楽にしてあげますからね。ボクはいるだろうか。豊かでありはしない生活は、どこでつくられるのだろう。ダンスをおぼえよう。いたはずの恋人の、オトナの希望自体に、ボクの責任はない。コドモだったのではありません。既にコドモだ。楽にしてください。あのたまらなく青い空を早く早く真っ赤に染... 続きをみる
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抱く、抱かない、抱かない、抱かない、抱く、不遜にもボクはそんなことをつぶやきながら、プラット・ホームの女の子を眺めていた筈だ。そんなとき、その中の一人が度の強いメガネをはずして涙をふいていて、それがたしかボクのいたはずの恋人だったんだ。抱かない。悲しいんじゃないんです。太陽がまぶしいのです。オン... 続きをみる
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喫茶店をでると、カナリヤ色の電車が走り出した。あれはボクだ。ボクにちがいない。センセー。生活について教えてください。知ってしまったことに耐えることではない。愛について教えてください。違うんだよ。愛してなんかいねえよ。愛しています。おかしいなあ。吐き気がするのはコーヒーのせいだ。一時間もすれ... 続きをみる
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コッカイギジドウマエの次はアカサカミツケである。そこにボクのコドモが後向きで立っていた。ボクはあしたの二時までに「家」に帰らねばならない筈だ。ボクは帰ることができるだろうか。くだらないと思います。坊や元気を出そうね。ボクのコドモはふりかえらずつぶやいた。気をつけ、礼。歌は二度とうたうまい。... 続きをみる
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「東京新聞」朝刊(23面)に「首切られ女性死亡 茨城のコンビニ駐車場」という見出しの記事が載っている。その全文は以下の通りだ。 〈11日午後7時20分ごろ、茨城県常陸太田市河合町のコンビニ駐車場付近で、女性が何者かに刃物のようなもので首を切りつけられた。女性は病院で死亡が確認された。県警は、身元... 続きをみる
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ボクはどこへ行ってしまったと思っていたら、結局友達の部屋で男の子と寝ていた。絶望をかきわけかきわけ生きることのたのしさよ、とかなんとか寝言をつぶやきながら。みじめったらない。女の子は生活の臭いがしていようといまいと嫌いだ。おかあさん。今日も暮れゆく故国の町に、友よさむかろさみしかろ。嘘つけ。男の... 続きをみる
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ボクはどこにいるのだろう。探さなければならない。フワフワヒラヒラ。雨やむな。トウキョウの上。アヴァヴ・ザ・トウキョウ。電車の屋根が濡れて光った。お嬢さんがコビトになって先生を抱いたまま森の方に歩いて行った。先生、どこに行くのですか。ボクを知りませんか。森へ行こう。森の上。眼をつぶってフワリ... 続きをみる
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お嬢さんの話をすると、太陽が黄色くなってボクの胸はやけただれ、心臓が止まったはずだ。死んだら、生きなければならない。どこにいるのかボク、だれかボクを知らないか、という歌は賛歌だ。アカサカミツケにいたのはボクではないのですか。そこはボクの消えた場所で、いた場所ではない。おかしいなあ。ボクって... 続きをみる
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空は青いだろうな。洗面器はどこにあるのでしょうか。吐かせて下さい。春や春。コタツに入りながら寝てみようか。地下鉄、動け。青い空のない、闇の世界へつれていって下さい。まぶしいなあ、もう。どうやら頭の中のキカイがこわれてしまったらしい。そういえばあのとき、それがいつかもう忘れてしまったけれど、ともか... 続きをみる
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空がただもうやたらに青くてたまらないから死にたい。もうずっと昔から思っていたように死んでしまえばよかったんだ。空が青いんだよ。太陽が悪いのでしょうか。この町で唯一つの動く電車、地下鉄に乗ってみたくて乗った。動きゃあしないじゃないか。ものすごい吐き気がして、そこにボクがいた。そしてボクがあい... 続きをみる
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映画「非行少女」(監督・浦山桐郎・1963年)をDVDで観た。戦後の青春映画の中でも屈指の名作である。原作は森山啓の「青い靴」(三郎と若枝)、ストリーは以下の通りである。【サイト「映画.com」より引用】 〈十五歳の若枝はうす汚ないバーで酔客と酒を飲み、ヤケクソのように女給のハイヒールをかっぱら... 続きをみる
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「オカシイなあ」 ボクはもうヤケクソになって、というより情けなくなってそうつぶやいた。そしてズボンのお尻に手をやるのも、メンドウだった。「何がオカシイのですか」ボクはなんだかそのヒトがボクのコドモのような気がしてきた。ボクはフンワリとベンチから立ち上がって、駅の方へ歩き出した。「知らないんで... 続きをみる
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「何しているんだ。そんなところで」 突然の大きな声に、ボクは飛び上がるほど驚いてしまった。そしてあわててズボンのお尻に手をやった。やぶけている。たしかにやぶけているのだ。「あれ、オカシイな」ボクはキツネにばかされたようにキョトンとして、そうつぶやいた。「オカシイじゃねえかよ。どうなっちゃってん... 続きをみる
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そのヒトとすわっている公園のベンチのまわりにも、水銀灯がチラホラとつき、あたりは暗くなりはじめた。ボクがモジモジしていていっこう煮えきらないのに、そのヒトはまるで平気だった。偉いな、とボクは思った。なんだかそのヒトが、ボクのお父さんのように思えてきて、甘えてもいいかしらなんて勝手に決めてしまいそ... 続きをみる
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「政治」なんてひらきなおられて、ボクは恥部をのぞかれたように真っ赤になってしまった。しかもそのヒトは「政治をやりませんか」というのだ。それはどういう意味なのか、ボクにはサッパリわからなかったので、黙ってモジモジしながら、それでも心の中では、わからないなんて答えるのは恥ずかしいな、と一生懸命考えた... 続きをみる
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気がつくと朝でした。そしてボクの両足はいつのまにか真っ白な波に洗われているのです。ボクは夢を見ていたのでしょうか。でもだとしたK子さんがいないのは何故でしょう。ボクは何気なく東の方を見やりました。するとどうしたことでしょう。あの岩の海岸がすぐそこにみえるではありませんか。ボクはかけ出しました。ハ... 続きをみる
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「なあんだ、そこにいたの。帰っちゃったのかと思ったわ」 ボクはまたドキリとしました。K子さんの声です。ボクは思わず起き上がると、K子さんはボクの横にすわって自分のタバコにライターで火をつけました。そのうえ、ボクの知らないうちに駅の売店ででも買ったのかもしれません、ウイスキーのビンをあけてそれ... 続きをみる
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60年ぶりに、映画「名もなく貧しく美しく」(監督・松山善三・1961年)を観た。私が中学3年の3学期のとき、新宿の映画館で封切りされた。当時は、高峰秀子と小林桂樹の「迫真の演技」に感動して「将来、聾学校の教員になりたい」と思った。その後、成人して、10年間余り「聴覚障害教育」に携わったのだから、... 続きをみる
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「何してるのよ。そんなところにねころがって、いやらしい」 K子さんの声です。でも意外なことにその声は、ボクがそうした甘ったれたボクを思わず見つめなおさざるを得ないほど、強烈でそれゆえにあたたかい響きを持っているような気がしました。それが余りにも意外であったために、返す言葉がすぐに... 続きをみる
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一時間ばかりたったころでしょうか。窓の景色をながめているはずのK子さんが唄うようにつぶやいたのです。 「春の海ひねもすのたりのたりかな」 そのとたんに汽車がガタンととまって浜辺の駅につきました。ボクが待ちに待っていたそのときに、またもやK子さんのつぶやきによって驚かされ、ボクはオロオロし... 続きをみる