梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

2017年9月のブログ記事

  • 「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・27

    《三 文字の記載法と語の変遷》  文字は言語表現の一段階であり、思想伝達の媒介に過ぎない。また文字は、異なった社会にも隔たった時代にも媒介の機能を持つので、言語の変遷に及ぼす力は大きい。  例えば、ミモノ→見物→ケンブツ、モノサワガシ→物騒→ブッソウのように漢字的記載を媒介として新しい語が成立する... 続きをみる

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  • 「国語学言論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・26

    《二 国語の文字記載法(用字法)の体系》  用字法の体系とは、主体的用字意識の体系に他ならない。   言語主体が文字によって何を表そうとしたか、どのような用意があったか等の主体的な表現技術及び意図を探ることになる。  国語の文字を分類すると次の二つに分けられる。 一 言語における音声を表そうとする... 続きをみる

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  • 「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・25

    《第二章 文字論》 《一 文字の本質とその分類》  文字の本質は言語過程の一段階である。それは二つの側面からいうことができる。その一は、文字は、「書く」「読む」という心理的生理的過程によって成立する。音声が発音行為によって成立するのと同じで、文字は書記行為であるといえる。文字は主体的所産であり、活... 続きをみる

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  • 「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・24

    《五 音声の過程的構造と音声の分類》  自然的音声の分類基礎がもっぱらその物理的条件にあるということは、音響の本質がそこにあるからである。これに反して、言語の音声は、それが成立するためには、主体的な発音行為を必要とする。主体的意識としての聴覚的音声表象は、発音行為の一段階として現れるものに過ぎず、... 続きをみる

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  • 「国語学言論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・23

    《四 音声と音韻》  リズムによって音節が規定され、音節を構成する機能に従って母音と子音が区別されるが、これらの音をさらにその発生的条件によって類別したものが単音である。単音の概念は、純粋に生理的心理的条件を基礎にした概念である。言語の音声は、言語主体の心理的生理的所産であり、主体を離れて客観的に... 続きをみる

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  • 「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・22

    《三 母音子音》  音節の分節を規定するものは、リズム形式であり、具体的には調音の変化によって経験的音節となる。音節の内容(要素)は、単音及び単音の結合により構成されている。音節を構成する単音は、母音子音の二つに類別される。母音子音の類別を、音節構成の機能上から説明したい。それは私のリズム観の第二... 続きをみる

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  • 「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・21

    《二 音節》  言語の表現は、リズム的場面へ音声を充填することにより、音の連鎖が幾個かの節に分けられて知覚されることになる。これを表出における型と考えれば、そこにリズムの具体的な形式を認めることができるが、もしこれを充填された音に即していえば、音節として知覚される。音節はリズムを充填する内容であり... 続きをみる

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  • 「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・20

    《第二篇 各論》 《第一章 音声論》 《一 リズム》 イ 言語における源本的場面としてのリズム  私は言語におけるリズムの本質を、言語における《場面》であると考えた。しかも、リズムは言語の最も源本的な場面であると考えた。源本的とは、言語はこのリズム的場面においての実現を外にして実現すべき場所を見出... 続きをみる

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  • 「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・19

    《十二 言語の史的認識と変化の主体としての「言語」(ラング)の概念》  言語の史的認識は、観察的立場においてなされるものであって、主体的立場においてはつねに体系以外のものではない。主体的言語事実を、排列した時、そこに変化が認められ、しかもそれが時間の上に連続的に排列される時、そこに歴史的変遷を認識... 続きをみる

  • 「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・18

    《十一 国語及び日本語の概念 附、外来語》  国語の名称は日本語と同義である。国家の標準語あるいは公用語を国語と称することがあるが、それは狭義の用法である。  国語は日本語的性格を持った言語である。  日本語の特性は、それが表現される心理的生理的過程の中に求められなければならない。我々の研究対象と... 続きをみる

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  • 「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・17

    《十 言語の社会性》  私は、言語を個人の外に存在し、個人に対し拘束力を持つ社会的事実であるとする考えに異議を述べてきたが、言語が各個人の任意によって変更することが許されないという事実や、集団の言語習慣に違背する時には嘲笑されるというような事実は、どのように説明されるべきであるか。  この問題に答... 続きをみる

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  • 「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・16

     ソシュールからバイイへの展開は、新しい見地をもたらした。「言語活動」(ランガージュ)を「言語」の運用と考え、その運用を通して話し手の生命力が表現されるという見地から、これを研究する文体論は、言語の美学的研究であるとされた。小林英夫氏は次のように説明している。 ◎我々の考える言語美学的作業はむしろ... 続きをみる

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  • 「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・15

    《九 言語による理解と言語の鑑賞》  言語過程説においては、理解は表現と同時に言語の本質に属することである。我々の具体的言語は、表現し、理解する主体的行為によって成立するからである。  ソシュール言語学では、「言語」(ラング)が「言語活動」(ランガージュ)において運用される時、「言語」(ラング)は... 続きをみる

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  • 「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・14

    四 言語に対する価値意識と言語の技術 (前・中略)  私は価値意識と技術の対象を《事としての言語》に置く。《事としての言語》とは、言語をもっぱら概念・表象の、音声・文字に置き換えられる過程として見る立場である。物の運用としての《事》でなく、内部的なものの外部への発動における《事》である。従って、価... 続きをみる

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  • 「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・13

    三 言語の習得  ソシュールに従えば、言語の習得とは、個人が概念と聴覚映像との連合した「言語」(ラング)を脳中に貯蔵することを意味する(「言語学原論」)   これに対して、言語過程観における言語の習得とは、素材とそれに対応する音声あるいは文字記載の連合の習慣を獲得することを意味する。言語の習得は、... 続きをみる

  • 「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・12

    二 概念  言語の概念は、音声によって喚起される心的内容である。概念というのは、概念されたものの意味である。  私は、言語によって表現される事物、表象、概念は、言語の素材であり、言語を成立させる条件にはなるが、言語の内部的な構成要素となるべきものではないという見地から、概念を言語の外に置いた。(総... 続きをみる

  • 「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・11

    《八 言語の構成的要素と言語の過程的段階》 一 文字及び音声  言語過程説は、その言語本質観に基づいて、言語はすべてその具体的事実においては、主体の行為に帰着する。従って、言語構成説に現れる言語の要素的なものは、全て主体の表現的行為の段階に置き換えられなければならない。  文字は一般に音声を包含し... 続きをみる

  • 「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・10

    《七 言語構成観より言語過程観へ》   ソシュールのいう「言語」(ラング)は、概念と聴覚映像が「互いに喚起し合うものである」と考えたが、それは《もの》ではなく、概念と聴覚映像とが継起的過程として結合されていると考えなければならない。あたかも、ボタンを押すとベルが鳴るというような現象のようなものであ... 続きをみる

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  • 「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・9

    四 社会的事実としての「言語」(ラング)について  ソシュールは、「言語」(ラング)が言語活動の単位であると述べていると同時に、また「言語」(ラング)が社会的所産であるということをいっている。  ソシュールは、「言語」(ラング)を社会的事実として認識するにあたり、次のような過程をとっている。 ◎言... 続きをみる

  • 「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・8

    三 「言」(パロル)と「言語」(ラング)との関係について  今仮に、ソシュールがいうように、聴覚映像と概念との結合した精神的実体が存在するとして、「言語」(ラング)と「言」(パロル)とはどのような関係になるのだろうか。小林氏は次のように説明する。 ◎言とは何であるか。それは、言語での体験の自覚的表... 続きをみる

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  • 「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・7

    《六 フェルディナン・ド・ソシュールの言語理論に対する批判》 一 ソシュールの言語理論と国語学  19世紀初頭の近代言語学の問題は、主として言語の比較的研究及び歴史的研究であったが、19世紀後半、ソシュールが出て言語学界に新たな局面を開いた。それは、これまでの研究の他に、言語という事実そのものの研... 続きをみる

  • 「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・6

    《五 言語の存在条件としての主体、場面及び素材》  言語を音声と概念との結合であるとする考え方は、すでに対象それ自身に対する抽象が行われている。我々は、そのように抽象された言語の分析をする前に、具体的な言語経験がどのような条件の下に存在するかを観察し、そこから言語の本質的領域を決定していくという手... 続きをみる

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  • 「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・5

    《四 言語に対する主体的立場と観察的立場》 ・言語に対して、我々は二の立場の存在を識別することができると思う。 一 主体的立場・・・理解、表現、鑑賞、価値判断 二 観察的立場・・・観察、分析、記述  ・言語は主体を離れては、絶対に存在することのできぬものである。自己の言語を対象として研究する場合は... 続きをみる

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  • 「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・4

    《三 対象の把握と解釈作業》 ・言語研究の対象である言語は、これを研究しようとする観察者の外に存在するものでなくして、観察者自身の心的経験として存在するものであることは既に述べた。 ・最も客体的存在と考えられやすい言語は、最も主体的なる(心的なる)存在として考えなければならないこととなる。この主体... 続きをみる

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  • 「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・3

    《二 言語研究の対象》 【要約】 ・自然科学においては、その対象は個物として観察者の前に置かれて居って、その存在について疑う余地がない。ところが言語研究においては、その事情は全く異なって来る。観察者としての我々の耳に響いてくる音声は、ただそれだけ取り出してたのではこれを言語ということはできない。音... 続きをみる

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  • 「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・2

    《第一篇 総論》 《一 言語研究の態度》 【要約】 ・国語学すなわち日本語の科学的研究の使命とするところは、国語において発見せられるすべての言語的事実を摘出し、記述し、説明し、進んで国語の特性を明らかにすることにあるが、同時に、国語の諸現象より言語一般に通ずる普遍的理論を抽象し、言語学の体系樹立に... 続きをみる

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  • 「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・1

    「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年) 《序》 【要約】 ・国語研究の基礎をなす言語の本質観と、それに基づく国語学の体系的組織について述べようと思う。 ・言語過程説というのは、言語の本質を心的過程と見る言語本質観の理論的構成であって、構成主義的言語本質観あるいは言語実体観に対立するもの... 続きをみる

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