梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・65

11 初語
【要約】
 “語”は、文のなかの構成分でなければならないから、初語は“語”ではないが、初期の談話は、語に似たまとまり方で1音節ないし2~3音節から成り、機能的にみても、将来の本格的な談話の中に移行していくものが多いから、“語”とよんでも誤りとはいえない。wordと区別してvocableとよぶのも一つの方法であろう。それは、“構文的な意味に関係なく、音の構成としてみたときの語”をいう。
 “初”は“初めて発した”という意味だが、これを“決定的瞬間”と考えることはできない。初語期ともいえるような幅のある期間に生じる語とみるべきだろう。
■初語の形式と機能 
《形式の基準》
 慣用語形、成人語形を基準とするが、慣用されている幼児語ならば、初語と認めるのが普通である。ワンワンやwauwau(イヌ)、ニャーニャーやmiau(ネコ)、カチカチやdidda(時計)、ポッポやsci-sci(汽車)がこれである。
《機能の基準》
 機能の基準に対する見解はさまざまである。最も厳格な基準は、言語的象徴としての語の習得を要求する(Markey,1928)。初語を非現前刺激に対する反応だとする定義がこれである。逆に、最も低い基準では、初語は動作の一種に過ぎず、それがたまたま音声を通じて遂行され、その音声が偶然に慣用形式(幼児語をふくむ)に近似していればよい(Baldwin,1955)。多くの見解はこれら両極端の中間にあり、ここでは中間的基準に従う。 初語とは、現前する対象に対する慣用語による命名である。S-R学習理論の用語に従って、初語とはその語反応が妥当な環境刺激の統制のもとに置かれた最初の語反応である(Staats and Staats,1962)。
 初語達成から数ヶ月間の語習得の進度は遅く、5~6語が加わるに過ぎない。それは、精神発達水準の全般的低さや経験の不足、ないしは言語についての概念の未発達による。育児者の語の使用が、恣意的で一貫性を欠くという指摘(Leopold,1949)もある。   
《初語期》
 初語期はほぼ1年目の誕生日直前にあると考えてよい。
《初語の“国際性”》
 過去の統計(Bateman,1917)によれば、人に関するもの(daddy,mama,papaなど)が40%、人の行為に関係のあるもの(hello,bye-byeなど)は51%であり、残りのわずかのなかに動物や機械に関する表示がふくまれている。  
 種々の国の、初期の子どもの語の類似性はきわめて大きく、基本語ないし語の類型は、わずかに6語である。mama,nana,papa,baba,tata,dada
 こうした語の意味は、大別して二つになる。一つはきわめて重要な欲求に関するもの(母親、食物、睡眠)であり、他の一つは、満足したり遊んだりしているときに生じる、欲求に関するものである。
 語と意味を結びつける明白な公式がある。(Lewis,1957)
・きわめて重要な欲求に結びつく語・・・⑴mかnのつく語、⑵p、b、t、dのどれかがつく語。
・重要性が低い欲求に結びつく語・・・p、b、t、dのどれかがつく語。


【感想】
 言語の機能には「感情の表現」「伝達の手段」「思考の手段」等があると思われるが、「初語」とは、「伝達の手段」「思考の手段」として使われた、初めての語であるということが、よくわかった。また、世界各国で共通しており「ママ」「ナナ」「パパ」「タタ」「ダダ」の6語が基本であること、きわめて重要な欲求に結びつく語には、「m」「n」という音がつくというLewisの公式も興味深かった。日本語の場合、「マンマ」「ネンネ」「タッチ」「ダッコ」、最近では「ママ」「ババ」「バーバ」などという語が思い浮かぶ。
 子どもが初語を発するにはほぼ1年の時間が必要だが、その時間の中で、どのように「感情の表現」を行ったか、どのような「伝達の手段」を使ったか、ということが極めて重要であると、私は思う。
 私の知る「自閉症児」は、「思考の手段」として使われる言語を、巧みに話すことはできるようになったが、それはほとんど「独り言」に終始し、「対話」(感情の表現、伝達の手段)にはならなかった。生後1年間の経過の中で、「声で気持ちを表すこと」「声でやりとりをすること」、泣き声、笑い声で生活する経験が少なかった。数字や文字に興味を示し、「自学自習」で習得(音読)することができたが、「伝達の手段」「思考の手段」として使いこなすことはできなかったように思われる。
 したがって、「感情の表現」「伝達の手段」として使われる言語が、今後、どのように出現するか、という興味をもって以降を読み進めたい。(2018.8.14)