梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「自閉症児」の育て方(17) あとがき

【あとがき】
 現代では「哺乳びん」「紙オムツ」「ベビーカー」が育児の《三点セット》になっているようである。親にとっては、甚だ「都合のよい」便利で合理的な用品に違いない。しかし、育児は、それらに頼れるほど《便利》《安直》にできるものではない。子どもを「親の付属物」のように飾り立て、親もまた「スマートでありたい」という風潮はないか。若い親同士がスマホを見せ合いはしゃいでいる、子どもはベビーカーの中で、哺乳びんの底にしゃぶりついている、また、深夜の電車を待つホーム上で、若い親同士が、ベビーカーに乗せた子どもを、キャッチボールのように「放り投げ合い」(押し合い)楽しんでいたが、子どもの表情は恐怖で引きつっている、といった光景を最近、目にしたが、そうした親に育てられる子どもの将来は・・・?「余計なお世話」と言われれば、それまでの話だが、2000年以上に亘って培われた日本の「育児法」は、明らかに変貌しつつある。
 これまで述べた「自閉症児(と呼ばれる子ども)の育て方」は、親にとって、甚だ「都合の悪い」、不便で手間のかかる方法であることは、間違いない。「過去に立ち戻る?過ぎたことは取り返しようがない。大切なことは《これから》ではないか!」といった批判が生じることは承知の上で、この拙文を結ぶことにする。
 最後に一言、《今》も《これから》も、すべて《過去》の結果であり、《過去》を無視した《これから》などあり得ない。「育児」とは、親の「全面犠牲」によって、はじめて
成り立つものであり、親は「疲労困憊」(場合によっては「悲傷憔悴」)を免れることはできないのである。
   
<参考文献>
・『自閉症治癒への道』(ティンバーゲン夫妻著・田口恒夫訳・新書館・1987年)
・『言語発達の臨床第1集』(田口恒夫編・言語臨床研究会著・光生館・昭和49年)
・『今、赤ちゃんが危ない』(田口恒夫・近代文芸社・2002年)
・『自閉症治療の到達点』(太田昌孝・永井洋子編著・日本文化科学社・1992年)
(2015.1.25)