梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「自閉症児」の育て方(11) 「動作」のやりとり

11 「自閉症児」の育て方・9・《「動作」のやりとり》
 乳幼児は、これまでに述べた「泣くことによって人を呼ぶ」「笑顔のやりとり」「表情のやりとり」「声のやりとり」などを土台として、あるいは《それに伴って》「動作」のやりとりができるようになる。「独り座り」ができ、両手を動かすことができるようになると、多くの親は「オツムテンテン」などの遊びを《楽しむ》ようになる。初めは、「オツムテンテン」と言いながら、両手で頭を軽く叩き様子を「見せる」。子どもは、それを見ながら、自分も手を頭の方にもっていく。つまり「動作」のやりとりは、①まず、親がお手本をみせること、②子どもがそれを見て真似しようとすること、から始まる。そのことができるようになるためには、親子の「愛着・信頼」関係が成立していなければならない。親の言動を見聞きして「自分も親のようになりたい」という気持ちが育っていることが前提となる。「泣き声に応えること」から始まり、笑顔・表情・声を使って「やりとり」をすることは、その根底に「心の交流」という人間の生活の「土台」が秘められていること理解しなければならない。その頃(生後6か月頃)になると、子どもは、これまでに親しんだ様々な玩具類よりも、親兄弟の持ち物、生活用品の方に関心を向けるようになる。「自分も、それをいじりたい」「使ってみたい」という気持ちの現れである。1歳を過ぎれば「親のしていることを何でもやりたがる」「介助を拒否する」傾向も強くなり、「何でも自由にやりたがる」ようになる。それが「独歩」や「(身辺)自立」を可能にする。 したがって、まず「動作」のやりとりは、「子どもが動作の模倣をする」ことから始まる。当初は、「オツムテンテン」「ニギニギ」「パチパチ」「イヤイヤ」「バイバイ」といった、単純な模倣(その声を聞いて動作化する条件付き学習)であったものが、1歳頃になると(「劇的な変化」が生まれる。(人差し指一本で「指をさす」という動作である。それは、自然に生まれるわけではなく、それまでに親が「指をさす」ことをお手本として見せていなければならない。それまでに親子の「愛着・信頼関係」(心の交流)が成立していれば、子どもは「難なく」親の「指さす」意味を理解するだろう。つまり、親が指し示す方向に視線を合わせ、その対象物を見つけることができるであろう。「指をさす」という動作は、相手に自分の見ている物を伝える、という意味があり、「今、私の見ている物は、あれです」という《気持ち》を(抽象的に、信号として)伝えているのである。その気持ちが伝わらないと、子どもは、ただ単に「指さし」を模倣をするか、親の指先を見るか、で終わってしまう。また、「指さし」と同様に、「ちょうだい」と言って掌をさしだす、「おいで」と言って手招きする、「ごちそうさま」「ありがとう」といって手を合わせる、「こんにちわ」と言っておじぎをする、などの動作も、すべて《気持ち》を伝え合う「信号」であることを理解することが大切である。
 「指をさす」という動作は、「話しかけること」「答えること」と同様の意味を含んでいる。子どもが「あっ、あーっ」と言いながら犬を指さしたとすれば「ほら犬がいるよ、見て!」という気持ちを親に伝えようとしているのであり、親は「あっ、ワンワンだ!かわいいねえ」などと《答えなければならない》。また、「パパはどこ?」「どれがほしいの?」などと問いかけながら、子どもが指をさして「応じるか」観察しなければならない。
 もし、子どもが1歳半を過ぎても「指さし」をしない、親が「指さし」をしてもその方向を見ない、といった場合、親はどうすればよいか。何をしなければならないか。
①「オツムテンテン」「ニギニギ」「パチパチ」「イヤイヤ」「バイバイ」などの《単純な模倣》をしたか、できたか、今できるか。
②物を受けとる、手渡す、キャッチボールなど「物」のやりとりができるか。
③相手の顔を見て、「表情」のやりとりができるか。   
④「泣き声」で自分の気持ちを十分に表せるか。
⑤「声」のやりとりがスムーズにできるか。
 以上を振り返り、もし「不十分」だと思われることがあったとすれば、《そこに立ち戻って》「やりとり」を頻回、繰り返すことが大切である。子どもが何歳であっても、その「やりとり」は人間の生活の原点であり、それが「不十分」なまま「できること」が増えたとしても、その能力は「社会的」には通用せず(般化せず)「空回り」することは、《自閉症は治らない》という通説によって、証明されている。(2015.1.15)