梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

私の戦後70年・アンヨ婆

 父方の祖母を、私は「アンヨ婆」と呼んでいた。彼女は関東大震災で左足を負傷し、膝下を切断、義足を装着していた。松葉杖で歩行するので荷物が持てない。祖母が銭湯に赴くときは、小学校1年の私が随行する。脱衣所に入り、祖母が義足を外そうとするのを、子どもたちが取り囲み、こわごわと見つめている。彼らの視線は、祖母の義足、現れ出た脚へと移り、最後は私の顔に注がれる。顔を真っ赤にして、私はうなだれる他はなかった。しかし、当時の家族間で「長幼の序」はあたりまえ、孫が祖母の世話をすることは当然の務めであった。「アンヨ婆」は江戸っ子気質、田舎者の母とはそりが合わなかったようだが、私のためには、(自家製の)野球ミット、学芸会で被る冠、描き貯めた絵の製本等、「手作り」の慈しみを施してくれた。昭和27年の暮れに大流行した「流行性感冒」に罹患、私が祖母にあてる溲瓶の色が黄から橙に変わると、まもなく息を引き取った。享年72歳。大晦日、未明のことである。(2015.3.29)