梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「自閉症児」の育て方(14) いくつかの留意点(2)

⑵ 子どもは、「学習」を通して成長・発達する。「学習」とは「学ぶ」ことであり、「学ぶ」とは「真似る」ことから始まる。子どもは生後間もなく《親》と出会い、その《親》とのかかわりを通して、《親》の言動を「真似る」ことによって、成長・発達していくのである。そのためには、《親》を認識し(見分け)なければならない。《親》が、他の事物と違って(自分に安心・安定・満足・喜びを与えてくれる)「特別な存在」であると《感じ》るようにならなければならない。さらに、《親》に「特別な関心」をもち(つねに視線を向け)、《親》の一挙一動に注目しなければならない。そうした「気持ち」を育てることで、子どもの「学習」の第一歩が始まる。たとえば、親が「オツムテンテン」と言いながら、手を頭にもっていく。子どもはそれを見て、自分も手を頭にもっていく。親が「できた、できた」と言って喜ぶ。子どもはその姿を見て、自分も喜ぶ。しかし、それで終わりではない。親はそれを何度もくり返す。子どもは、親の(喜ぶ)姿を見て、その姿を「もっと見たい」と思う。そこで、自分から(自発的に)手を頭にもっていく。親が喜ぶ。その時、子どもの中には「親を喜ばせたい」という気持ちが育っており、親が喜ぶ姿を見て、自分も「うれしい」のである。子どもは、単に親の動作を「真似る」だけでなく、親の「気持ち」も「真似」しているのである。
 昔から、「好きこそ物の上手なれ」と言われているが、その第一歩は「《親》を好きになること」から始まる。やがて《親》は、「兄姉」、「伯父伯母」、「保母」、「教員」などへその役割を委譲していくことになるが、子どもが相手を「好き」になれるかどうか、が「学習」上の重要なポイントになるだろう。
 子どもは、《親》以外の事物からも「学ぶ」。とりわけ「移動運動」「手の操作」「基本的習慣」などに関する内容は、「目と手の協応」が可能になるにつれ、いわゆる「見よう見まね」で身につけていく。場合によっては、《親》が介在(手助け)しなくても、「できる」ようになるかもしれない。しかし、(早期からの『自立』を目指して)「自学自習」「独立独歩」を奨励しすぎると、意外な「落とし穴」が待っている。「自閉症児」(と呼ばれる子どもたち)の「学習」もまた、《親》以外の事物から「学ぶ」傾向が強いのではないか。「親に助けを求めることなく」《できる》ようになったとしても、そのことが一方では、《親(人)への関心・かかわりの乏しさ》を増幅させてしまうことはないか、細心の注意が必要である。(2015.1.19)