梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

教育の目的

 教育の目的は、以下のように記されている。〈教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。〉(教育基本法第1条)
 つまり、①人格の完成を目指す、②社会の形成者として必要な資質を備えた国民の育成を期す、という2点に要約される。
 人格の完成は、目指す目標であり、達成されることはない。人はつねに未完成な存在だからである。
 では、社会の形成者として必要な資質とは何か。まず、「自分のことは自分でする」という自立である。「身辺自立」という。食事、排泄、清潔、入浴、衣服の着脱などの「基本的生活習慣」、掃除、洗濯、調理などの「仕事の能力」、交通機関の利用などの「移動能力」を身につけることである。これらの資質を育成するのは、家庭と学校である。
 だが、「自分のことは自分でする」ことができるだけでは、「平和で民主的な国家及び社会」を形成することはできない。自分一人だけでは「平和」や「民主主義」的な社会とは言えないからである。そこで「他人とともに」「他人のために」《する》という資質が必要になる。自分の力を他人のために使うということである。他人の立場を理解し、他人の心情に「共感」する能力である。それらを身につけた結果が「社会自立」である。「社会自立」は「働く」ことによって達成されるが、日本のような競争社会においては、「自分のために働く」という段階にとどまっている場合が多い。社会人のほとんどが「利己」を目指して働いているのが現状だ。しかし、それでは、いつまでたっても「平和で民主的な国家及び社会」を形成することができないだろう。
 自分のためにではなく、他人のために「尽くす」「貢献する」、利己主義から利他主義へ、そうした資質を養うことに、日本の教育の目的は転換されなければならない、と私は思う。
(2022.11.6)