梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・9

■初期音声における意味
《叫喚の発達》
【要約】
 言語学者サーピアは、初期叫喚の“意味”に関連して「・・本能的な叫喚はどんな厳密な意味でも伝達(communicationn)とはならない。」(Sapia,1921)と述べている。初期の本能的叫喚はたしかにサーピアのいうような機能の範囲を出ないが、叫喚も、機能面では発達変化をする。子どもの談話の発達過程を研究する立場からみると、叫喚の発達的変化をあとづけることは、言語行動の発達研究の一つの仕事である。
 初期叫喚は、型の特異性、単調性、情動との固い直結性からみて、非叫喚とは区別されるべきかもしれないが、談話行動を一般的な見地からみれば、叫喚も非叫喚と同様、漸次新しい要因に規定され、かつ手段化されるのである。
 問題にすべきことは、非叫喚と叫喚のいずれが言語機能の個体発生の源泉であるかということを決めることではない。それらが、談話の発達にそれぞれどのように寄与するかを知ることがたいせつであろう。そして、非叫喚がもっぱら談話の発生母胎であるかのように考えるのは、音声面にその関心が偏っているためであるということを考えてみる必要があろう。


【感想】
 ここでいう初期叫喚および叫喚とは、うぶ声から始まる「泣き声」であり、「オギャーオギャー」と表現される。非叫喚とは、それ以外の発声であり「アー、ウー」「オックン、オックン」などと表現される。そのどちらが言語(談話)の母胎(源泉)になるかという問題について考えるとき、音声面をみると非叫喚の方が談話音に近いので、非叫喚が言語機能の源泉であるという考えをしがちだが、著者は「それぞれがどのように寄与するかを知ることがたいせつであろう」と述べている。その考え方に、私もまた全面的に同意する。 サーピアは「叫喚はコミュニケーションではなく、伝達の機能を持たない」としているが、それは出生直後の「うぶ声」だけにいえることであって、以後の「泣き声」は母親の注意を喚起し、必要な世話をさせるための、きわめて重要な手段であると、私は思う。
 さらに、叫喚は情動と直結しているために、言語の主体的表現(感動詞、助詞、助動詞など)の発生に大きく寄与するのではないだろうか。一方、非叫喚は、子どもの情動が安定している(平静な)時に出る音声であり、言語の客体的表現(名詞、形容詞、動詞など)の母胎になるのではないか、と私は考える。 
(2018.3.8)