梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「自閉症児」の育て方(5)泣き声の観察・3

5 「自閉症児」の育て方・3・《泣き声の観察・3》
 新生児・乳児は、「泣いて」親を呼ぶ。親は、その呼びかけに《無条件》に応じる。そのことによって、両者の「愛着関係」が形成される。これがコミュニケーションの「第一歩」であり、「人間の生活」の基礎になる。
 生後3カ月以後になると、「泣き声」に変化が現れ、親はその声を聞いただけで、子どもの(不快の)状態を察することができるようになるが、別段「不快」の原因が見当たらないのに、泣く場合がある。「オオ、よしよし」などと言って抱き上げると、泣き止む。しかし、下に降ろすと、再び泣き出す。と言った「繰り返し」を《抱き癖がつく》という。「抱き癖」は、子どもが家族の一員として順調に「社会生活」をスタートした「証し」である。子どもに生理的な「不快感」はない。しかし、一人で寝ていること(放置されていること)が「退屈」なのである。「誰かと一緒にいたい」のである。親にとっては、「負担」が増大する。欧米型の育児法では、この「抱き癖」をつけさせないように、乳児が泣いていても《無視》することを奨励している場合がある。(例・1900年代初頭の「ワトソン式育児法」、1950年代の「スポック博士の育児書」)いずれも、早期から「子どもの自立心」を育てるために、子どもの「依存心」に応じるべきではない、と提唱しているが、それは誤りである。人間の子どもは、他の(哺乳)動物と比べて「未熟な」状態で生まれる。他の動物は生後まもなく「自立歩行」が可能になるが、人間の子どもはほぼ1年間の時間が必要である。また「身辺自立」のためには5年間、「社会自立」までには20年間という長い時間を要する。新生児・乳幼児は親の「介護」がなければ生きていけない。したがって、「子どもの自立心」を育て(始め)るのは、少なくとも2歳以降、場合によっては20年かけてもおかしくないはずである。親が子どもを無視すれば、子どももまた親を無視することを学ぶに違いない。
 「自閉症児」(と呼ばれる子ども)の場合、①泣くことが少ない、②泣き声が弱々しい、一方、③泣いてばかりいる、④抱き上げても泣き止まない、⑤抱こうとするとあばれて拒否する、といった特徴がみられるかどうか、そのいずれかが該当するように思われる。そうした状態にどのように対処すべきか、親にとって最初に当面する「最重要課題」である。間違っても、「そのまま様子をみる」べきではない。「放置」すべきではない。①、②の場合には、「泣く」ことを奨励しなければならない。「泣く」ことによって、子どもが「より不安定になる」ことはない。「泣かない」ことが「安定している」ことだ、と錯覚しない方がよい。子どもは「泣くこともできずに」(環境から刺激に耐え)ストレス(不安・不快)を溜めているかもしれないのである。奇妙な言い方になるが「泣かせる努力」を重ね、子どもが「泣くこと」「泣き声が大きく、力強くなること」を大いに喜ぶべきである。その具体的な方法は、子どもによって「千差万別」、親の創意工夫を待つより他はないのだが・・・。③、④の場合は、親が何もしなくても、子どもの方から泣いてくれるのだから、まず、そのことを喜ぶべきである。次は「どうやって泣き止ませるか」(折り合いをつけるか)、それが当面の課題である。とりあえずは「抱き上げる」ことであろう。「抱きしめる」ことであろう。「オオ、よしよし」と声をかけることでろう。「頬ずり」をすることであろう。「体を摩る」ことであろう。「軽く叩く」ことであろう。大切なことは、その時の。子どもの「呼吸」(息づかい)を(膚で)感じ取ることである、その「呼吸」と自分の「呼吸」を合わせることである。「抱き上げる」姿勢、高さ、位置など、様々に工夫しながら、子どもが「泣き止む」まで(泣き疲れて眠るまで)続けなければならない。⑤の場合は、ともかくも「抱きしめる」ことが大切である。子どもがどんなに抵抗しても、それに負けてはならない。どうすれば抵抗できなくなるか、姿勢、位置、強さなどを試行錯誤しながら、(子どもが無抵抗になり、脱力するまで)「抱きしめ」なければならない。とはいえ、子どもは、「抱きしめられる」こと自体が「不快」であることはたしかである。極端に「皮膚感覚」が敏感かもしれない。親の「臭い」を拒否しているかもしれない。それらの感覚過敏をどのように克服するか、それもまた親の創意工夫が問われる課題、ということになる。(具体的な方法・詳細については「ウェルチ博士の抱きしめ療法」参照)
 いずれにせよ、子どもは(誰でも)「抱きしめられたい」と感じている。そのことによって、(親に抱きしめられている)「自分」(の存在)を感じ、他者との「かかわり」の中で生きていこうとする「気持ち」(快感・喜び・安定感・充実感)が育つのである。親は「いつも寝てばかりいる」「泣かない」「泣き声が弱々しい」、反対に「泣いてばかりいる」「抱き上げても泣き止まない」「抱こうとすると抵抗する」といった子どもたちを「放置」せず、何らかの《折り合い》をつけなければならない。それらの問題と果敢に対峙しなければならない。そのためには、親の負担は増大し、様々な犠牲を強いられることになるだろう。しかし、それが「子どもを育てる」ということなのである。(2015.1.6)