さて、ここで注意すべきは、科学も芸術もそのような対立をいわゆる「実践・・認識・・再実践・・再認識」という形でおこなうが、そのとき科学にとっての実践とは正に認識の実用化であり、芸術にとっての実践とはそのような対立の表現であり、その表現はおおむね非実用的なものであるということではあるまいか。なぜなら... 続きをみる
梨野礫・著作集の人気ブログ記事
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・・・夜を経なくっちゃ、太陽が登らないのだ。・・・(「夜の構図」) 織田作之助、太宰治、坂口安吾、石川淳、この順は彼らの世を去る順であった。そして中島誠は、この順を彼らの文学的資質の順としてみている。 〈必ずしも、淳、安吾、治、作之助の四人は同質の作家ではないだろう。彼らは、大いに異なる資質... 続きをみる
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【風美劇団】(座長・風美涼太郎)〈平成20年10月公演・柏健康センターみのりの湯〉 「劇団紹介」によれば、〈プロフィール 風美劇団 不二浪企画所属。平成16(2004〉年、風美翔蔵現太夫元より、二代目・風美涼太郎座... 続きをみる
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〈ここでわたしのペンはちょっと停止する。もしわたしがこの叙述を小説に掏りかえようとする野心をもってゐたとしたらば、別にできない相談ではあるまい。〉(前出・51頁) これは「佳人」のおわりの部分の書き出しであるが、石川淳は、斜面をずり落ちてゐった「わたし」について書いていたペンを停止させて、書き... 続きをみる
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さてそれでは、織田がめざした方法上の転換とはそのようなものであったのだろうか。 織田は「郷愁」において、自己の小説方法論をあからさまに述べている。そこにおいては「世相」と「人間」とが対立的にとらえられ、彼の結論は、人間の郷愁への回帰という形をとる。 〈再び階段を登って行ったとき、新吉は人間へ... 続きをみる
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織田は、この作品でも、登場人物の内面に立ち入ることをことごとく避け、かわりに船、海、あらし、動物、その他生活用品等で彼らの「生活」を表現している。だがそれは、もはや人間関係そのものを媒介させうる社会的な「物」としてのそれではなく、自然の一部としての人間に対してきわめて並列的な存在としての物、いい... 続きをみる
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織田作之助の「文学」における基本的方法をひとくちでいえば、それはストーリー・テリングという方法である。 〈おれの小説は一気に読める、と彼は豪語していた。いかにも彼の文体はキビキビして、鈍味がなく、素早い頭脳回転に渋滞のあとがなかった。しかし彼の頭脳は素早く回転すればするほど、飛鳥の早さで別の対... 続きをみる
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またすぐれた文学を次のように規定している。 〈すぐれた文学とは、われわれを感動させその感動を経験したあとでは、われわれが自分を何か変革されたものとして感ぜずにはおられないような文学作品だといってよい。感動しうるためには、その作品はわれわれにとって再経験しうるものでなければならない。(明快さの必要... 続きをみる
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「わたし」は、かくて臍からではなく、死もしくは死の意識から自己の生活を再出発させようとする。 〈その間にしたことといへば、これまでし来った些かな習慣をさへ削除することであった。まづ例の手帖(注・・ユラとの愛について考えるための手帖)など焚き捨てること、つまらぬ歌や句をひねらぬこと、草木のすがた... 続きをみる
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周知のように、井原西鶴は江戸時代の封建社会体制をなし崩し的に崩壊せしめる、変革の可能性を裡に秘めた新興階級(町人)、つまり商業資本家の代表者として登場した。従って、井原西鶴の小説は、新興階級の封建社会に対する自己主張であり、中世的な美意識や、儒教道徳を拠りどころとする当時の知識人に対する反逆であ... 続きをみる
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織田作之助におけるストーリー・テリングという方法は、「ストーリーの奇抜な変化に凝ったり」するようなものではなかった。 〈その頃、もう人に感付かれた筈だが、矢張り誰にも知られたくない一つの秘密、脱腸がそれと分かる位醜くたれ下がってゐることに片輪者のやうな負け目を感じ、これがあるがために自分の一生... 続きをみる
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「わたし」は、ユラ、ミサたちとの生活を「魚のような漠然たる生存」と名づける。同時にまた、それは「わたし」の生活に絶望する生活の表現でもある。そして「わたし」はというより石川淳はそうした「魚のような漠然たる生存」に一つの決着をつけようとする。すなわち書き手としての「わたし」は、それを書く(表現する)... 続きをみる
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〈ところがある日、賀来子は電球を手にしてしきりに溜息をついてゐる基作をあやしんで、その電球をどうするつもりですかと訊いた。まさか玩具だとも言へず、古い電球を新しい電球にする法を思案してるねんと答へると、そんなことできるんですか。出来ィでかいな。すると賀来子はさうですかと暫く考へこんで、やがて、女... 続きをみる
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資本主義社会が発展していく中で、かつての封建中流階級は「庶民」として生き抜くために、他ならぬ「庶民」を徹底的にだましつづける他はなかった。いわゆる日本的なブルジョア合理主義とは、伝統的な仏教・儒教道徳としての「勧善懲悪」思想の裏返しとしてあるのであり、それゆえ両者における価値体系は本質的には何ら... 続きをみる
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織田作之助は、いわゆる生活というものを平面的な流れとしてとらえる。そしてその流れは、多かれ少なかれ「運命」とよばれる一つの必然性によって支配されている、という認識がある。織田は「雪の夜」において、坂田というひとりの男が、瞳という娘に惚れるということをきっかけに、どこまでも果てしなく、とりかえしの... 続きをみる
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さてそれでは石川淳にとって「佳人」が意味するもう一つの意味、すなわち新しい「生活」への出発とはどのようなものであったのか。厳密にいえば、それは新しい「生活」への出発という形を、生活的な意味においてとるものではない。むしろ認識者から表現者へ飛躍するときの一つの契機、そういうものとして「わたし」の醜... 続きをみる
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・・・春とはいへ、夜更の風酔ざめの襟に沁み、はっと夢破れて起きあがった曽呂利が大きな嚏一つ、ほい、まだ地上に生きてゐたか。・・・(『曽呂利噺』) 人は石川淳について語るとき、何故石川淳的にならざるを得ないのであろうか。いいかえれば、何故石川淳の言葉で石川淳を語らざるを得ないのであろうか。 ... 続きをみる
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さてすでに述べたように、織田作之助の方法意識の中には、ストーリー・テリングに対立するものとしての近代的リアリズムへの志向がふくまれていた。私はそのあらわれを「夫婦善哉」「素顔」「天衣無縫」といった作品にみたわけだが、その中でも「夫婦善哉」「素顔」と「天衣無縫」との間には異質なものがあって互いに区... 続きをみる
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さて、私はこれまでひととおり、戦後文学がどのように規定されているかということについてみてきたわけだが、はたしてそういう規定は適当であるか否か、という問題に私なりの検討を加えたいと思う。 私には、いわゆる様々な戦後文学の論争上の混乱は、正にそれを規定する段階での混乱に起因すると思われる。戦後文学... 続きをみる
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さて、もう一度戦後の文学現象をながめてみたい。 1 志賀直哉・永井荷風・正宗白鳥・谷崎潤一郎らの大家の復活 2 上林暁・尾崎一雄・外村繁らによる私小説の復活 3 舟橋聖一・田村泰次郎・石坂洋次郎らの風俗小説 4 川端康成・田宮虎彦・井上靖らの中堅作家 5 織田作之助・太宰治・坂口安吾... 続きをみる
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ところで芸術がそのような人間の生活活動の意識的生産の中から生まれてきたということははたして自明のことであろうか。 思うに、人間がその生活において意識的生産と物質的生産を《同時に》行うとは、いいかえれば人間の生活は意識的生産と物質的生産との対立として存在するということではあるまいか。そしてその対... 続きをみる
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織田は、戦後間もなく発表した「表彰」(『文芸春秋』昭和20年12月号)という作品で次のように書いている。 〈伊三郎が消防部の副班長に任命された頃、お島は警防団から表彰された。表彰式の日お島は名前を呼ばれると、居並ぶ団員の一人一人にペコペコ頭を下げながら団長の前へ出て行ったが、その時列の中で赫くな... 続きをみる
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芸術とは何かという問題はだがしかし、決して主観的な解釈ですませてはならない。つまりそれは芸術をいかに認識するかという問題であり、その限りにおいて認識は正に《科学的》でなければならない。なぜというのに、芸術という言葉が指す対象が具体的に私たちの前に存在しているわけではないのだから。具体的に存在して... 続きをみる
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【筑紫桃太郎一座・花の三兄弟】(座長・筑紫桃之助)〈平成22年5月公演・浜松バーデンバーデン健康センター〉 JR浜松駅... 続きをみる
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大衆演劇・劇団素描「劇団扇也」(座長・三河家扇弥・仁蝶拓也)
【劇団扇也】(座長・三河家扇弥、仁蝶拓也)〈平成21年7月公演・千代田ラドンセンター〉 午後1時過ぎに劇場到着。芝居の外題は「新・弁天小僧菊之助」だったが、開演は... 続きをみる
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〈「戦後文学」或いは「近代主義」といわれるこの一派に属する人々は、すべdて小市民的インテリゲンチャであった。(勤労者出身の椎名麟三もその観念においてはインテリゲンチャである。)また、多かれ少なかれ戦争の被害者であった。戦争に積極的に協力した者は一人もいない。しかしまた、戦争に対して行動をもって積極... 続きをみる
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大井川娯楽センターは、開業60年を超える「東海の娯楽施設」である。東海道本線金谷駅から徒歩5分、といっても所在地が「城山」とあるように、鬱蒼とした森の中、しかも急勾配の山道を数十メートル登らなければならない。小山の頂上から斜面にかけて敷設された「たたずまい」といおうか、劇場の入り口は「階段の途中... 続きをみる
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【葵一門 劇団鯱】(座長・葵政次)〈平成20年9月公演・佐倉湯ぱらだいす〉 この劇団はすでに見聞済み(平成20年4月公演・つくば湯ワールド)ただし、その時は夜の部、舞踊ショーのみだったので、強い印象は残っていない。「劇団紹介」によれば、「初志貫徹でひたむきに前へ。葵政次座長を筆頭に座員たちがそれ... 続きをみる
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【劇団ふじ】(座長・藤仙太郎)〈平成20年7月公演・川越三光ホテル・小江戸座〉 「劇団紹介」によれば〈プロフィール 劇団ふじ 九州演劇協会所属。昭和50(1975)年、初代・藤ひろしが創立。長谷川武弥座長(「長谷川武弥劇団」)、藤千代之助座長(「藤千代之助劇団」)、三代目・藤ひろしなどが歴代の座長... 続きをみる
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ボクはヨーゴガッコウの小学部・六年生です。まだ、文字がうまく書けません。お話もじょうずにできません。でもこの童話を作りました。ボクには、ボクの代わりに文字を書いたり、お話をしてくれる人がいます。だから今、このお話を書くことができるのです。みなさんは「誰が?」と思うかもしれません。その答は簡単です... 続きをみる
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ここでいう自己疎外とは、人間が絵を描こうと思って描きはじめるや否や、その描かれた絵が独立して、逆に人間を支配しはじめるというそうした人間と絵との関係、もしくは人間の意識活動の内的構造のことである。だがこうした自己疎外という現象は、単に人間の意識活動の中にあるばかりでなく、というよりむしろ人間の生... 続きをみる
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・・「歌わぬ詩人ということはありえない」(ヘーゲル)・・ 私は、戦後文学を規定しようとするとき、戦後の文学現象に登場した個々の文学者たちが、「戦前」から「戦後」へという歴史的転換を一つの「状況」としてどのように認識したかということと、個々の文学者たちが自己のありかたを表現するものとして文学・芸術... 続きをみる
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それでは「民主主義文学」についてはどうか。 まず、それがアメリカ占領軍を解放軍と見あやまった日本共産党の文化政策の一環として存在していることはいうまでもない。そして彼らの文学運動理論が、その「政治の優位性」理論によって、かつての文学報国会のそれと表裏一体のものであることは、平野謙や吉本隆明の言... 続きをみる
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私の『近代文学』派に対する評価を要約すると次のようになる。 彼らは戦後、日本の社会に残存している前近代性に注目し、それを近代化しようとした。それは多分に彼らの戦争体験にもとづいた発想である。彼らの戦争体験とは、厳密には戦時体験もしくは転向体験であり、彼らの思想の拠りどころとなる被害者意識には、... 続きをみる
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それでは両者の欠落させていたものとは何か。それをひとくちでいえば、「戦後状況」の正当な認識と、文学上の方法論という二つの問題である。それは同時に、彼らが共に小市民的インテリゲンチャの意識で、いわゆる一般大衆の意識をとらえようとしたことを意味する。佐々木基一の言葉を思い出してみよう。 〈「戦後文... 続きをみる
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タブレット純は、知る人ぞ知る、女装のお笑い芸人である。かつて歌手・田渕純として「和田弘とマヒナスターズ」に属したこともあったが、解散後、浅草東洋館に出演する時にタブレット純と改名した。「ムード歌謡漫談」というジャンルを開発し、昭和世代に根強い人気がある。語り口は女性的で、小声の控えめ、受けようと... 続きをみる
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【かつき夢二劇団】(座長・かつき夢二)〈平成21年7月公演・石和スパランド内藤〉 昼の部、芝居の外題は「新月桂川」。この芝居、私は「鹿島順一劇団」、「近江飛龍劇団」で見聞済み、否が応でも、両者と比べてしまう。その観点は、①座長が... 続きをみる
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【劇団美鳳】(総座長・紫鳳友也、座長・林京助)〈平成20年6月公演・柏健康センターみのりの湯〉 この劇団は、昨年、同じ場所で見聞したことがある。その時の様子を綴った雑文は以下の通りである。(内容は客席の様子で、舞台のことには触れていないが・・・) 東京近郊の「健康センター」併設の劇場、開演1時... 続きをみる
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【市川千太郎劇団】(座長・市川千太郎)〈平成20年8月公演・浅草木馬館〉 この劇団は、昨年、十条篠原演芸場で見聞ずみ。座長の女形が初代・水谷八重子「もどき」で秀逸、「湯島の白梅」の舞台が印象的だった。「劇団紹介」のパンフレットに... 続きをみる
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≪昭和を令和に歌い継ぐ≫「東京大衆歌謡楽団」のレパートリーは、少なくとも110曲以上に及ぶ。今、それらを列挙すると以下のとおりである。(まだそれ以上はあるだろう) 【昭和以前(明治40年)】「旅愁」(中等教育唱歌) 【昭和3年】「青空」(二村定一) 【昭和4年】「君恋し」(二村定一) 【昭和6年... 続きをみる
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【南劇団】(座長・南竜花、南龍弥)〈平成20年7月公演・宮城・青根温泉・「流辿」〉 座長は兄の南龍弥、妹の南竜花の二人、副座長は座長の妹・寿純、劇団責任者は座長の母(南サヤカ?)、父(南リュウホウ))、竜花座長の娘(南ユキ・5歳)、他... 続きをみる
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「本当はこわくない新型コロナウィルス」(井上正康・方丈社・2020年)通読・10《「PCR陽性=感染者」ではない!》
■「PCR陽性=感染者」ではない! ・現在発表されている“感染者数”は必ずしも感染の実態を示しているものではない。感染者数はだれでも正確に把握できていない数字だ。ウィルスが体内に入っただけでは感染とは言わない。ウィルスが細胞内に侵入したときに感染者になる。また、感染しても必ず発症するとは限らない。... 続きをみる
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ボクたちはサザンクロスという星に住んでいます。だから、異星人と呼ばれています。ボクたちの姿・形は、一人一人みな違いますが、心は一つです。その心とは「命を大切にする」ということです。特に、「自分のことより相手のことを考える」ことが大切です。ボクたちの寿命はおよそ一千年です。だから、毎日毎日をのんび... 続きをみる
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《第十三章 乾杯》 応接間の時計が、午後八時を知らせた。(そうか、もうこんな時間だったのか) 私は、マリ子の体からそっと離れ、両手を握りながら言った。 「マリ、おなか空いていないか?」 マリ子は、にっこりとうなずいた。 「そうか、じゃあ、二人で乾杯しよう」 しかし、あらためてよく見ると... 続きをみる
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『宅間守精神鑑定書』(岡江晃・亜紀書房・2013年)の《疑問》
「宅間守精神鑑定書」(岡江晃・亜紀書房・2013年)を読み終えた。本の帯には、「宅間守は2001年6月、大阪教育大学附属池田小学校で児童・教諭を殺傷した。2003年8月、死刑判決を受け、2004年9月、死刑が執行された。本書は、宅間守と17回面接し、精神鑑定を行った精神科医による初の著書である。... 続きをみる
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ユーチューブで映画「故郷(ふるさと)」(監督・伊丹万作・1937年)を観た。 信州の山村にある酒屋の家族の物語である。タイトルバックには、ニワトリ、牛、犬の鳴き声、小鳥の囀り、子どもたちの唱歌「水師営の会見」が聞こえる。やがて映し出されたのは「喜多の園」という看板の酒屋で、味噌、缶詰なども扱っ... 続きをみる
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人間を人間たらしめているものは、その存在を存在たらしめている生産活動・生活活動に他ならないが、マルクスはそれを動物の生産活動と区別して「自由な」生産活動であると規定する。すなわち、動物が直接的な肉体的欲望に支配されて生産するのに対して、人間は肉体的欲望から自由に生産し、しかも肉体的欲望から自由な... 続きをみる
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だが、『近代文学』派が主張した文学論上における前近代性の克服、それはすでにみたように私小説リアリズムの否定ということであった。そしてそのことはいかなる文学論(芸術論)にもとづいて主張されたのであろうか。つまり『近代文学』派は、いかなる文学的視点から私小説リアリズムを否定しようとしたのだろうか。 ... 続きをみる
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マルクスは、インテリゲンチャが何故にプチ・ブルジョアジーであり労働者と敵対するものであるかを、ここにおいて明確に語っている。ここで重要なことは、インテリゲンチャの主観にかかわらず、まず彼らの「存在」こそが近代的な生産関係によって決定的に基礎づけられ、同時にその「存在」は、労働者がその本来的なあり... 続きをみる
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ところで、このような「戦後文学」観に否定的な考えもある。 〈こういうことはないだろうか。「戦後文学」あるいは「戦後の文学」といった用語・・両者の間には用法によってそれ相応のひらきが在るわけだが・・には敗戦という契機が当然そこに含まれているはずである。ある意味からは戦後の文学はすべてこれ負けいく... 続きをみる
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〈第一。生産過程以外からの収奪。最大限利潤(注・資本主義の基本的経済法則)は、まず「その国の住民の大多数」を搾取することである。これは直接的な生産過程における労働者にたいする搾取以外に、農民、小生産者、商人および一部の資本家・・アメリカ独占資本と直接に関係がなく、国家機構を自己の利益に従属させるこ... 続きをみる
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次にその戦後過程を見てみたいと思う。 〈戦争と戦争経済とは、日本資本主義に内在する諸矛盾を発展させ、敗戦によって日本資本主義の国家制度、社会制度が打撃をうけたたときに、もはや何らかの改革なしにすませることができない程度に達していた。戦後の虚脱といわれた状態の底流にあったのは実のそういう性格の問... 続きをみる
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〈日本資本主義の運動は、けっきょく、資本主義の世界的体制の生成、発展、衰退、死滅の過程に組みこまれてゆかざるをえない。〉(『日本資本主義講座』・Ⅳ・前出・3頁) 〈この場合(注・世界における戦後過程)直接的に世界資本主義体制の危機をいっそう深めることになった事情として注目されるのは、世界が対立... 続きをみる
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井上清は、日本の敗北について次のように規定している。 〈その第一は日本帝国主義は中国およびそのほかのアジアの反帝国民族独立勢力に敗北したということである。そしてそれはたんに日本帝国主義の敗北だけではなく、東アジアにおけるすべての帝国主義の敗北のはじまりとなった。(略) 太平洋戦争の第二の結... 続きをみる
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92「子連れ狼」(詞・小池一雄 曲・吉田正 歌・橋幸夫、若草児童合唱団) 《寸感》妻を亡くした介錯人・拝一刀が浪人となって柳生一族に復讐をはたそうとする物語。一刀には3歳の男児・大五郎がいる。雨の中、刺客を業とする父の帰りを、東屋で待っている。「帰りゃあいいが、帰らんときゃあ、この子も雨ん中、骨に... 続きをみる
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83「田舎のバス」(詞・三木鶏郎 曲・三木鶏郎 歌・中村メイコ) 《寸感》 バスガールは田舎にもいる。東京と違って、道ばたで草を食っている牛をどけたり、パンクして動けなくなったオンボロ車を馬に引かせたり、仕事の量は倍増する。「それでもお客さん、ガマンをしてるよ、それは私が美人だから」。 (202... 続きをみる
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能登半島地震が発生してから1週間が経過した。これまでの死者128人、不明者195人、孤立集落には2300人が取り残されている。今、最優先で行わなければならないことは何か。いうまでもなく「人命救助」だ。不明者の救出に全力を注ぐべきだが、それと併行して重要なことは、これ以上の死者(関連死)を出さない... 続きをみる
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80「スタコイ東京」(詞・北原じゅん 曲・北原じゅん 歌・菊地正夫) 《寸感》 「スタコイ」とは、鳥取弁で「すばしこい」「油断も隙もならない」という意味らしい。東京に出て来た息子が、故郷の母親から「気をつけなさい」と警告されたことを思い出して気を引き締める様子が窺われる。菊地正夫は、後日、城卓矢... 続きをみる
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61「熱海ブルース」(詞・佐伯孝夫 曲・縞六郎 歌・由利あけみ) 《寸感》 小学校入学まで母方の祖母がいる静岡で過ごしたが、昭和26年に上京した。学校が休みになるたびに、静岡に遊びに行った。4年生からは一人で汽車に乗って行った。鈍行で4時間かかった。ちょうど中間に差し掛かると、車窓から熱海の町... 続きをみる
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二葉あき子の歌を聴いたことがあるだろうか。私が初めて彼女の歌を聴いたのは「夜のプラットホーム」(奥野椰子夫作詩・服部良一作曲・昭和21年)であった。昭和26年2月,当時6歳だった私は,父と祖母に連れられ,住み慣れた静岡から東京に向かうことになった。静岡には母の実家があった。満州で生まれた私は,す... 続きをみる
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9月25日、テレビでは以下のニュースが流れた。 〈千葉県松戸市の小学1年生の女の子が23日昼前に自宅を出たまま行方不明になっていて、警察は捜索を行うとともに情報提供を呼びかけています。行方が分からなくなっているのは、千葉県松戸市の小学1年生・南朝芽さん(7)です。 警察によりますと、朝芽さんは2... 続きをみる
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午後3時過ぎから、浅草木馬亭で、天津ひずるの浪曲を聴く。本日の演目はナ、ナ、ナント「お吉物語」であった。いつもなら、「○○原作、○○○○、サーッ」と言いながら語り始めるところだが、「お吉物語、実話にもとづいて語ります」とのこと、私の期待は高まった。それというのも、前回(1月)の口演「母の罪」視聴... 続きをみる
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大衆演劇の音響は、つねに「大音響」であることが特徴である。役者の条件は「一声、二振り(顔)、三姿」といわれているが、その「一声」を描出すべき「音響効果」に、致命的な問題が生じている、と私は思う。芝居に登場する役者の面々は、一様に「ピンマイク」を装用している。観客数は多くて200人程度、通常は... 続きをみる
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【劇団春駒】(座長・美波大吉)〈平成26年5月公演・なか健康センター〉 この劇団の舞台は初見聞である。インターネットのサイト「0481jp」では以下のように紹介されている。〈演友会所属。昭和57年(1982年)、現太夫元である美波昇太郎が座長として劇団を旗揚げ。15年ほど前に、先代の後見である花柳... 続きをみる
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【劇団絆&劇団時遊】(座長・錦蓮&遊也)〈平成24年5月公演・大阪梅南座〉 この劇団は昨年12月に、(二座合同で)旗揚げ、ほぼ半年が経過とのこと、私は初見聞の舞台である。芝居の外題は「天保水滸伝・笹川の花会」。配役は、洲崎政吉に澤村碧、笹川繁蔵に(座長・錦蓮)、国定忠治に(座長・遊也)、まではわか... 続きをみる
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午後1時から、鬼怒川温泉ホテルニューおおるり「湯けむり会館」で大衆演劇観劇。東武鉄道・鬼怒川温泉駅で降り、観光案内でホテルの所在地を尋ねると、徒歩6分くらいとのことだった。ホテルはすぐに見つかったが、「大衆演劇」を公演している風情は全くない。「今日は休演日?」と案じながら、フロントに行く。「お芝... 続きをみる
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【満劇団】(座長・大日向きよみ)〈平成20年4月公演・柏健康センターみのりの湯〉 昼の部、芝居の外題は「命くれない」。筋書は、鳥羽・伏見の戦いで敗れた幕府方の侍(座長)が、船で逃走中漂流し、瀕死の状態で伊豆大島に流れ着く。土地の漁師兄・妹(飛鳥一美・堤みちや)に助けられ一命をとりとめたが、盲目と... 続きをみる
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【若葉劇団】(座長・愛洋之介)〈平成20年9月公演・大宮健康センターゆの郷〉 「劇団紹介」によれば、〈プロフィール 若葉劇団 昭和30(1955)年創立の老舗劇団。役者の本分である芝居を大切にしており、レパートリーは名作狂言、現代劇、新派と幅広いが、中でもオリジナルの芝居が売り物、平成16(20... 続きをみる
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【桐龍座恋川劇団】(座長・恋川純弥)〈平成21年5月公演・浅草木馬館〉 表看板に「今日の演目 瞼の母」とあるのを見て、飛び込んだ。この芝居、いわば大衆演劇の「原点」(必須演目)で、その出来栄えを見れば、劇団の「実力」がわ... 続きをみる
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【都若丸劇団】(座長・都若丸)〈平成20年10月公演・横浜三吉演芸場〉 この劇団は1年半前(平成19年4月公演)、十条篠原演芸場で見聞している。それまで、約20年間、大衆演劇から遠ざかっていたのだが、この劇団の舞台を観てから、テレビ娯楽との絶縁を決意し、大衆演劇の至芸に浸る毎日が始まった、という... 続きをみる
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【不二浪劇団】(座長・瀬川伸太郎)〈平成20年9月公演・秋田こまち健康ランド〉 「劇団紹介」によれば、〈不二浪劇団 不二浪企画所属。平成8(1996)年、現太夫元・不二浪新太郎(初代・瀬川伸太郎)から、現座長・二代目瀬川伸太郎へと受け継がれる。関東を中心に活動をしているが、平成15(2003)年の... 続きをみる
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【まな美座】(座長・島崎寿恵)〈平成20年4月公演・茨城・千代田ラドン温泉〉 午前9時自宅発。柏、我孫子、取手を経て、10時20分頃、土浦着。「千代田ラドン温泉センター」に電話したが通じない。たしか、東口から送迎バスが出ていると聞いていたので、とりあえず東口のロータリーに行ってみると、今まさに「千... 続きをみる
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新型コロナワクチンの1回目から3週間たったので、昨日(10月8日)2回目の接種を受けるため、駅前病院に赴いた。前回と違って、今回は小児科外来の診察室で、(女医が)個別に注射をする。なぜ小児科なのかと思っていたが、なるほど小学生が数人、保護者同行でワクチン接種に来ていた。これからは「小児」に重点を... 続きをみる
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新聞広告で「なぜ生きる」(高森顕徹監修 明橋大二、伊藤健太郎著・1万年堂出版)という本が紹介されている。「私は、入退院を繰り返し、ビクビクしながら生きてきました。しかし本書を二回読み終えたら、『ヨッシャ、生きるぞ。生きてやる!』と思いました。福岡県 79歳・女性」という反響も添えられていたので、... 続きをみる
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「東京新聞」2月21日付け朝刊(21面)に「愛知リコール署名 『書き写し良いこと』『皆の許可得て代筆』参加者証言 バイト作業時、証言」という見出しの記事が載っている。 愛知県知事のリコール運動中に多数のアルバイトが佐賀市内で署名を偽造した問題に関する内容だ。福岡県内の男性二人が西日本新聞の取材... 続きをみる
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「ここまでわかった新型コロナ」(上久保靖彦、小川榮太郎・WAC・2020年)要約・8・《■コロナはもともと無症候の風邪》
■コロナはもともと無症候の風邪 【小川】インフルエンザもコロナも風邪だ。風邪は人類の歴史上、ずっと続いてきた。その中で悪性の流行病の記録が何年かに一度どの国の歴史書にも出てくる。 【上久保】そうした記録が変異の時だろう。記録がはっきりしているのがスペイン風邪だ。 【小川】スペイン風邪の死者は大変だ... 続きをみる
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「ここまでわかった新型コロナ」(上久保靖彦、小川榮太郎・WAC・2020年)要約・7・《■十年に一度くらいスパイクが変異する》
■十年に一度くらいスパイクが変異する 【小川】ウィルスにも大別して二種類ある? 【上久保】はい。生物の遺伝子、ゲノム核酸にはDNAとRNAがあり、DNAを持つDNAウィルスと、RNAを持つRNAウィルスに分けられる。DNAは人を含むあらゆる生物の遺伝情報を保持して伝える分子だが、このDNAに突然変... 続きをみる
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厚生労働省のホームページに、新型コロナウィルス感染症の「発生状況」が表示されている。①PCR検査実施人数、②陽性者数、③入院治療等を要する者の数(④うち重症者数)、⑤退院又は療養解除となった者の数、⑥死亡者数。⑦確認中という欄があり、連日、その数値が示されている。 ちなみに1月20日現在の数値... 続きをみる
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「本当はこわくない新型コロナウィルス」(井上正康・方丈社・2020年)通読・24《Q 喫煙は新型コロナのリスクを高めるのでしょうか?》
Q 喫煙は新型コロナのリスクを高めるのでしょうか? A・賛否両論がある。国際医学誌「NEJM」によれば、ニコチンがウィルス受容体に結合して感染を抑制している可能性が報告されている。WHOや日本呼吸器学会は、喫煙は新型コロナの肺炎や重症化のリスク因子であると主張している。 ・社会的同調圧に影響されず... 続きをみる
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2月末頃から始まった《コロナ禍》の実態は、疫病のまん延よりは、感染拡大を抑えるために講じた為政者の施策による「不便」「不都合」「経済的損失」といった、社会生活のダメージの方が大きかった、と私は思う。病疫による自然災害というよりは、(冷静に考えれば防げた)《人災》ではないだろうか。 まず、為政者... 続きをみる
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「新型コロナウィルス」の世界的な感染拡大は、欧米・中東諸国、東南アジア、中国、韓国では「鈍化」「終息」の方向に向かっているが、ロシア、ブラジル等、未だに拡大を続けている国もある。日本もようやく「終息」の方向に向かい始めたようだ。5月11日現在、新規感染者が確認された地域は10都道府県(北海道、埼... 続きをみる
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厚生労働省のホームページ(新型コロナウィルス感染症について・「国内の現在の状況について」)で、3月26日時点での入院者数は1105人で陽性者数2171人に対する割合は50.8%、27日時点で国内事例の要入院者は978人で陽性者数1499人の65.2%であったが、半月余り経った4月12日・13日現... 続きをみる
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厚生労働省のホームページによれば・・・。 3月29日18時現在、感染者●2538人(1.09倍↑)、▲入院者1431人(1.14倍↑)、■退院者1043人(1.01倍→)、●死亡者64人(1.03倍↓)*( )は前日比、↑は数値の上昇、↓は下降、→は不変。●は《増加率》1.1倍未満、▲は1.1... 続きをみる
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人類はまだ我らの言葉を理解できないようだ。日本で開催予定の「東京五輪」を1年延期するらしい。それは人類の勝手だが、開催国の首相が「今後、人類が新型コロナウィルス感染症に打ち勝った証として完全な形で東京五輪・パラリンピックを開催するために・・・」などと、例によって《一つ覚え》の言辞を弄している様子... 続きをみる
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この映画のあらすじ(「映画.com」https://eiga.com/movie/37351/より引用)は以下のとおりである。 《両親に結婚を反対されたため、連れ立って栃木から上京した義治と蔦枝は、どこへ行くアテもなく夕暮の浅草吾妻橋附近を歩いていた。以前廓にいた好みで洲崎遊廓へ入り込んだ蔦枝は... 続きをみる
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脱テレビ宣言・検証・掘り出し番組《ドラマ「禁断の実は満月に輝く」(NHK)》
「禁断の実は満月に輝く」(NHK)というテレビドラマを観た。そのあらすじは以下の通りである。(ネットサイト「まんたんウェブ」より引用) ◆「ダウン症のイケメン」を自負する主人公・光司(略)はある日、自分の障害が原因で大好きな兄の結婚が中止になったと知り、ショックを受ける。そこで障害を治そうと、統... 続きをみる
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2017年7月12日(水) 晴 大相撲名古屋場所三日目、横綱・稀勢の里は前頭二枚目・栃の心に敗れ1勝2敗となった。このまま土俵を続ければ、負け越すことは必定、たとえ勝ち越しても横綱の成績としては不本意な結果に終わるだけだろう。敗因は「左大胸筋損傷、左上腕二頭筋損傷」が全治していないことにある。そ... 続きをみる
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「自閉症からのメッセージ」(熊谷高幸・講談社新書・1993年)再読・22
【なぜ遊べないのか】 《要約》 ・自閉症児は、言葉をその意味と結びつけるうえでもトラブルを起こしやすい。このことは、自閉症児がうまく遊べないことと深く係わっている ・砂場遊びでは、砂をご飯に「見立てる」、ごっこ遊びでは、「お父さん」「お母さん」の意味。役割を「演じる」ことができなければ、遊びは成立... 続きをみる
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「広汎性発達障害児への応用行動分析(フリーオペラント法)」(佐久間徹・二瓶社・2013年)通読(1)
「広汎性発達障害児への応用行動分析(フリーオペラント法)」(佐久間徹・二瓶社・2013年)という本を通読する。著者のいう「フリーオペラント法」とはどういうものか。「フリー」とは「自由」という意味だが、私流に解釈すれば「拘束されない」ということであり、要するに「従来のオペラント法(応用行動分析=AB... 続きをみる
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9月中旬から週1回のペースで、大学病院の「心臓リハビリ」に通っている。今日も午前10時から受診した。はじめに「体成分分析 インボディ測定検査」を受けた。この検査は月1回の割で7月から受け、今回は4回目である。要するに、「心臓リハビリ」の効果が現れているかをチェックするための検査らしい。これまで3... 続きをみる
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ちょうど1ヶ月前の今日(6月25日)、私 は「急性心筋梗塞」を発症し入院・治療を受けた。外傷であれば「全治1ヶ月」というところだが、内科疾患の場合は何というのだろうか。まだ多少胸部の違和感や体調不安が残るものの、最近(7月21日)の「心電図検査」「レントゲン検査」「血液検査」「エコー検査」の結果... 続きをみる
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「日本語はどういう言語か」(三浦つとむ著・季節社・1971年)通読・40
3 国語教育と言語理論 【要約】 中学校、高等学校で文法を教えるという、教育の現場からいくつかの問題が提出されている。その一つ二つについて考えてみる。 その一つは、文法の教育ということをどう理解しどう実践するかという問題である。文法が法則的な学問であり、文法を習うことは公式について勉強すること... 続きをみる