《第十四章 浴衣》 微かな光の中で、あの歌声が聞こえた。 夕空晴れて 黄昏の街 (以下割愛) 二人だけの 黄昏の街 (以下割愛) 目を開けると、マリ子の顔が見えた。私の頬に手のひらを当てて「キス」をした後で、 「おはよう」 と、言った。 「おはよう・・・。マリが歌っていたの?」 「そ... 続きをみる
2006年のブログ記事
2006年(ムラゴンブログ全体)-
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《第十三章 乾杯》 応接間の時計が、午後八時を知らせた。(そうか、もうこんな時間だったのか) 私は、マリ子の体からそっと離れ、両手を握りながら言った。 「マリ、おなか空いていないか?」 マリ子は、にっこりとうなずいた。 「そうか、じゃあ、二人で乾杯しよう」 しかし、あらためてよく見ると... 続きをみる
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《第十二章 邂逅》 ○○警察署に着いたのは五時を少し回った頃だった。受付で免許証を見せ、用件を告げると、若い婦警が「生活安全課」に案内してくれた。マリ子は、その廊下の長椅子の上に全身をすっぽりと毛布にくるまれ、寝かされていた。二人の警官がそばで監護している。 「どうも、先ほどお電話いただいた、... 続きをみる
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シロは力強く歩き出した。ぐいぐいと私を引っ張りながら、「どこに行くかは、任せてくれ」と言うように、脇目もふれずに歩いて行く。私は、犬橇に引かれるような気持ちで、全身をシロに任せていた。まだ、足元がふらつくようで、そうする他に方法はなかった。心の中では、ちあき・なおみの歌声を口ずさみながら・・・・... 続きをみる
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気がつくと、夜が明けていた。私は、あのまま応接間のソファに横になり、眠ってしっまったらしい。喉がからからに乾き、頭が重い。ズーン、ズーンと痛みが波のように押し寄せている。台所に行こうと立ち上がると、目の前が真っ暗になり、思わずその場に座り込んでしまった。(やばい。ジョー、だいじょうぶか?)自分の... 続きをみる
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その日から、一月が経った。案の定、花形親子からは何の連絡もなかった。マリ子がユキを「アンナ オンナ」という限り、滅多に電話することはできない。毎日のように、シロと駅前広場に行って見たが、いっこうに二人は現れない。いつもなら「去る者は追わず」で「終わり」になるところだが、今回は違っていた。時が経て... 続きをみる
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シロを犬小屋に置き、私たちは家の中に入った。 私は、散歩の途中、マリ子に会い、今、自宅で保護していることをユキに知らせておかなければならないと思った。 「そうだ。お母さんに電話しておこう」 しかし、マリ子はキッとした表情で私をにらみつけ、 「ヤメテ!」 と、大声で叫んだ。 「どうして? 心配... 続きをみる
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(ユキから電話が入るかも知れない)と思いながら、一週間が過ぎた。しかし、何の連絡もない。私は、思い切って電話をかけてみた。「リーン、リーン」という呼び出し音は鳴るのだが、相手が出る気配はない。私は、不安になってきた。(どうしたのだろうか? 何かあったのだろうか?) しだいに、いたたまれなくなって... 続きをみる
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「キジョ、キジョ、キジョー」と呟いていたマリ子の声が耳を離れない。初めて聞くマリ子の声は、無表情で、この世のものとは思えなかった。あの時、私たちは無言のまま別れたが、そうするより他に方法はなかった。それ以来、私の胸騒ぎは消えることがないのだ。(どうしよう。マリ子の話し相手になる他はないだろう) ... 続きをみる
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この前は、私よりシロの足取りの方が力強かったが、今回は違う。いつもの散歩コースをあっという間に通り抜け、三時ピタリ、シロと私は駅前の広場に到着した。(いつもの所、いつもの所・・・)はやる気持ちをおさえて噴水のベンチを見ると、花形親子がにこやかな笑みを浮かべてたたずんでいた。 「ごぶさたしました... 続きをみる
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「去る者は追わず、来る者は拒まず」が、私の処世術である。私は、花形ユキから自宅の電話番号を聞いていたので、すぐにでも連絡することはできたが、相手からの連絡を待つことにし、相変わらずシロとの散歩を続けていた。しかし、一週間たっても、二人は駅前の広場に現れない。自宅にかかる電話も、マンション経営、大... 続きをみる
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生きているときは誰かが欲しいのか。「一緒に生きる」とは、同居することではない。その人のことを「想う」ことであり、面影を抱くことである。心の中にぽっかりと穴があくのは、その面影が消え去ったと言うことであろう。 今、私の心の中に誰の面影も浮かんでこない。それを「さびしい」と感じるか、「きれいさっぱり... 続きをみる
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やはり、私は二人のことが気にかかってしまうのだ。老婆と中年の女は親子だろうか。嫁と姑だろうか。どことなく「気品」がただよい、旧家の母と娘のようにも感じる。「わけあり」と直感したのも、およそ車椅子の操作を誤るような二人には見えなかったからである。とっさのことで、二人を詳細に観察する余裕はなかったが... 続きをみる
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妻は二人の娘を連れて家を出た。「身から出た錆」と言おうか、私は、それを当然の結果として、受け止めざるを得なかった。思えば、「仕事」と称して、私自身が「家出」を繰り返し、家族をかえりみることなど、ほとんどなかったのだから。 家には、飼い犬シロと私だけが残された。「家出」をしているときでも、なぜか... 続きをみる
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あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。ある夏の日、おじいさんの友だちから宅急便が届きました。開けてみると、大きな桃がたくさん入っています。その一つをおじいさんが取りあげると、一匹の黒い虫が、ポトリと落ちました。大きなクワガタです。クワガタは床の上で仰向けになり、手足をさかんに動か... 続きをみる
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まもなく、イラク戦争による米軍兵士の戦死者は三千人に達するだろう。彼らは何のために死んだのだろうか。イラクの大量破壊兵器を見つけ出し、テロリストからアメリカ国民を守るためか。フセインの圧政からイラク国民を解放し、民主的な国家建設を支援するためか。それとも、異教徒に対する、クリスチャンの「聖戦」の... 続きをみる
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第三話 出会ってから、わずか七回の「逢瀬」で、見事な「情死」を果たした男女がいる。 日活映画「泥だらけの純情」(原作・藤原審爾 脚本・馬場当 監督・中平康 昭和38年)に登場した、次郎(浜田光夫)と真美(吉永小百合)である。 物語の梗概は以下のとおりである。 ◆組長・塚田に頼まれてヤクを森原組... 続きをみる
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第二話 民話・鶴女房を現代劇に脚色した「夕鶴」(木下順二)には、「不可解感」「錯覚」に囚われた男・与ひょうが登場する。「ばかはばかなりに、昔はたいそう働きもんだった」与ひょうのところへ、「いつだったか、晩げに寝ようとしとったらはいってきて、女房にしてくれ」という女がいた。つうという名である。つう... 続きをみる
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男と女の物語は、「恋」をテーマにしなければ成り立たない。語る方も、聞く方も、それを一番に望んでいるからである。「恋」とは、「相手を必要と感じる」ことであるが、その思いが成就されることは容易ではない。 第一話・イザナギ・イザナミ 「古事記」の冒頭には、イザナギ、イザナミという男女の物語が記され... 続きをみる
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民放テレビ番組(「秋の教育スペシャル」・11月11日・フジ)の中で、ある中学校の取り組みが紹介されていた。生徒を信頼して、定期試験には監督者を置かないという。また、生徒会が文房具の「無人販売」を担当し、売上げ金額の誤差が0円になることを目標にしているという。いずれも、社会生活を送るうえで、「私た... 続きをみる
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