「高群逸枝全集 第一巻 母系制の研究」(理論社・1966年)通読・20
【要点】 《祖の並存》 没祖に対して、ある氏族が、二祖以上の祖を並存していることがある。前項丹波氏にも、開化三皇子の系が並存した。 祖の選択条件は、名祖を得るにあるから、同時に多くの名祖を得た家では、いずれの名祖も愛惜のあまり、ここに並存の事態を生ずるわけである。この場合にも、氏名は一で、出自... 続きをみる
「高群逸枝全集 第一巻 母系制の研究」(理論社・1966年)通読・20
【要点】 《祖の並存》 没祖に対して、ある氏族が、二祖以上の祖を並存していることがある。前項丹波氏にも、開化三皇子の系が並存した。 祖の選択条件は、名祖を得るにあるから、同時に多くの名祖を得た家では、いずれの名祖も愛惜のあまり、ここに並存の事態を生ずるわけである。この場合にも、氏名は一で、出自... 続きをみる
「高群逸枝全集 第一巻 母系制の研究」(理論社・1966年)通読・19
【要点】 《祖の没失》 祖の没失とは、ある氏族が旧祖を没失して、新祖へ転移する現象をいうのである。例えば、ここにAなる母家があるとして、このA母氏の固有の祖はA祖神である。しかるにB母家より来投せる婿によってA母家の族中にその子等が生まれる。するとその子等は、氏名はA氏を承け、A氏の職を嗣ぎ、A... 続きをみる
〈大相撲九州場所14日目(23日、福岡国際センター) 白鵬が関脇御嶽海を外掛けで仕留めて13勝1敗とし、4場所ぶり43度目の優勝を果たした。御嶽海は負け越し。貴景勝は阿炎に送り出されて5敗となった。〉(時事ドットコムニュース記事より引用) ということで、「国技・大相撲」は《確実に》終焉を迎え... 続きをみる
昨日の最高気温は10℃以下、まもなく本格的な冬の到来を迎える。気をつけなければならないのは、インフルエンザと高血圧だろうか。インフルエンザ・ワクチンの予防接種は1週間余り前に済ませた。血圧は毎日測定しているが、測るたびに数値が変わるので、どの数値をあてにすればよいか分からない。まさに「いい数字出... 続きをみる
「高群逸枝全集 第一巻 母系制の研究」(理論社・1966年)通読・18
【要点】 《第三節 祖の変化》 《父祖の誕生》 父祖の誕生に関する諸事情を知ることは難しい。私に可能なのは、系譜上よりの限られた観察に過ぎない。 姓氏録1180氏は、すべて一律に父祖を戴いているが如くである。しかしながら、それが必ずしも遡りうる最古の始祖ではなく、また、全部が父祖なるかも疑わし... 続きをみる
これまでは一つの症状が治まるとまた新しい症状が、という具合に、一つずつ現れては消えていったが、今回は同時多発的に現れた。昨日(18日月曜日)、「浮腫姓紅斑」に加えて(あるいは付随して)、体温37℃台(最高は37.5℃)の発熱、夕食後は「下痢」「嘔吐」に見舞われた。原因はわからない。朝食はゼリー飲... 続きをみる
「高群逸枝全集 第一巻 母系制の研究」(理論社・1966年)通読・17
【要点】 《第二節 姓氏録における女祖》 《確実に女祖であるもの》 姓氏録の祖宗決定の方針は、父祖の確立にあるから、明らかに女性の始祖に出自する氏は、極めて微弱な二氏があるのみである。その一は、大和国神別地祇吉野連氏である。 (略) 初め首姓であったが、天武紀12年10月連姓を賜った。微弱では... 続きをみる
「高群逸枝全集 第一巻 母系制の研究」(理論社・1966年)通読・16
【要点】 《多姓と一姓》 有賀長雄の増補族制進化論に「日本の社会は単一の姓族より成立つ者にして、支那の社会は複氏すなわち相並等する数多の姓族より成立つ者なり」とある。 姓族とは同一の姓を称する族の意で、(略)、姓とは母を起源とするもの・・・(略) 有賀氏の説に、支那は多姓の国で、我が国は一姓の... 続きをみる
「高群逸枝全集 第一巻 母系制の研究」(理論社・1966年)通読・15
《第一章 祖と母系》 《第一節 祖の意義》 【要点】 およそ祖は一対の男女を起源とするであろう。ゆえに男女二者を始祖とすべきだが、種々の社会制度のため、祖を一者に限ることが、通例となっている。概して母系時代の氏族は、ある一人の母性を祖とし、父系制にあっては、ある一の父祖を仰ぐようである。されば、... 続きをみる
「高群逸枝全集 第一巻 母系制の研究」(理論社・1966年)通読・14
《戸の内部事情》 【要点】 令集解に「一戸之内縦有十家以戸為限不計家多少」とあって、当時の戸は、その内部に1個ないし数個の家を包含しているが、戸籍面では全家を1団としたものが多い。初期の大宝2年籍では、法制上の1戸を一纏めとして班田、課口の決定をしていたが、養老以後では、戸主のいる家を郷戸と称し... 続きをみる
「高群逸枝全集 第一巻 母系制の研究」(理論社・1966年)通読・13
《戸主の調査》 【要点】 孝徳天皇白雉三年紀および戸令に「凡戸主皆以家長為之」とあり、戸主は原則として宗家の家長がなった。当時の戸は、血族関係を中心としてはいるものの、戸が設定された目的は、これを公法上の最終の一単位として行政に便ぜんが為であった。戸主は、毎年戸籍計帳の基本となるべき手実を官に進... 続きをみる
「高群逸枝全集 第一巻 母系制の研究」(理論社・1966年)通読・12
《妻の所属》 【要点】 子の所属でさえ名実のまだ伴わない過渡時代であるから、妻の所属はなお一層不徹底たるを否まれない。前掲呉原家の戸籍をみても、戸主五百足には七男六女があり、その中、36歳が2人、26歳が2人、18歳が2人と3組の同年者があり、末子は5歳であるところをみると、明らかに妻妾の存在が... 続きをみる
医師から入院治療を勧められたが、拒否して帰宅した以上、「入院」相当の生活を送らなければならない。具体的には、①外出しない、②仕事をしない、③2日間、水分のほかは摂らない(断食)。④常備薬は時間通りに服用するが、バイアスピリン(血液をサラサラにする薬)は(1週間)中止する、⑤定時(朝と晩)に... 続きをみる
「高群逸枝全集 第一巻 母系制の研究」(理論社・1966年)通読・11
《子の所属》 【要点】 孝徳天皇大化元年の「男女之法者、良男良女共所生子、配其父」の詔は一般大衆に向かって発布されたもので、その当時一般大衆の族制が、この詔と反対の事情、すなわち子が父に付かず、父と姓を異にしている事情にあったことは、続いて発布された大化二年の詔に「父子易姓、兄弟異宗、夫婦殊名」... 続きをみる