梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

コロナと社会

 コロナ禍によって日本の社会はどのように変化したか。
 まず第一に、乳児を除くほぼ全員がマスクを着用するようになった。なぜマスクを着用するのか。目的は「感染予防」に違いないが、自分が「うつらない」ためか、他人に「うつさない」ためかは、判然としない。様々な施設等が利用者に着用を「強制」しているので、多分「うつさない」ためだと思われるが、その効果はどの程度あるのか、これも判然としない。「誰もが着用しているから」という同調圧力が作用していることはたしかである。しかし、マスクの着用によって、顔の表情によるコミュニケーションは、著しく制限された。視覚的な手段(唇の動きを読み取る読話)にたよる聴覚障害者にとって、これほど不便なことはないであろう。いわば「基本的人権」(コミュニケーションする権利)の剥奪に等しいが、そのことは問題にならない。聴覚障害者の権利よりも感染防止の方が優先されるからか。それに限らず、私たち全体の豊かなコミュニケーションもまた妨げられていることはたしかだ。
第二に、密閉・密集・密接を避けるようになったことである。コロナの場合、空気感染、飛沫感染、接触感染の経路が考えられるので、いわゆる「三密」を避けるようにということである。そのことによって、人と人は文字通り「距離をおく」関係になった。握手、抱擁などのスキンシップは敬遠され、ソーシャルディスタンス(2メートル)以上に近づかないことが要求される。話は遠くなり、人とのつながり方は当然「疎遠」になる。「集まる」という行動は激減し、集団を形成できない。人はバラバラに切り離される。
 第三に、コロナの正体をはじめ、その治療法、ワクチン接種の是非等、その「見解」がいっこうにまとまらない、「不可解感」が増したということである。「新型コロナウィルス感染症」という疾患は、死に至る重篤な病なのか、それとも「ただの風邪に過ぎない」のか。自分が罹った場合どのようにすればよいのか、家族が罹った場合どのようにすればよいのか、治療法はあるのか、ワクチンは安全なのか、その副反応で死に至ることはないにか。3年たった今も、人々はそうした疑問から解き放たれることはない。わかったことは、それらに関して「専門家はいない」ということくらいであろうか。まことに心もとない。結局、どうすればいいかは「自分で決める」しかないのである。まさに「疑心暗鬼」の風潮が蔓延するようになってしまったのである。
 以上、コロナ禍によって日本の社会は、人と人とのつながりが希薄になり、今後の見通しも「お先真っ暗」という現状に立たされている。
(2022.10.31)