梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「自閉症児」の育て方(10) 「物」のやりとり

10 「自閉症児」の育て方・8・《「物」のやりとり》
 「物」のやりとりをするためには、以下のようなレディネス(土台)が必要条件である。①触れた物を握っている(1か月)、②手を開いたり閉じたりする(1か月)、③手を口のもっていってしゃぶる(2か月)、④ガラガラ(玩具)などを少しの間握っている(3か月)、⑤ガラガラを振ったり、ながめたりして遊ぶ(4か月)、⑤自分の手をじっと見ている(4か月)、⑥両手の指をからみ合わせたりする(4か月)、⑦体のそばにある玩具に手をのばす(4か月)、⑧体のそばにある玩具に手をのばしてつかむ(5か月)、⑨玩具をさしだすと、ただちに手を出してつかむ(5か月)、⑩いろいろな物を両手で口にもっていく(5か月)、⑪抱いたときなど、おとなの顔をいじる(5か月)、⑫そばで新聞を読んでいると、引っ張って破る(6か月)、⑬ボタンなど小さい物に注意を向けていじる(6か月)、⑭もっている物でテーブルなどをたたく(6か月)、⑮物を落として、落ちた場所をのぞく(6か月)、⑯ガラガラを一方の手から他方の手に持ちかえる(6か月)、⑰両手にもっている物を打ち合わす(7か月)、⑱床に落ちている小さな物を注意して拾う(8か月)、⑲物を何度もくり返し落とす(8か月)、⑳引き出しをあけていろいろな物を引き出す(9か月)。以上は、『乳幼児精神発達診断法 0才~3才まで』(津守真、稲毛教子・大日本図書・昭和49年)から引用した。要するに、「物」のやりとりをするためには、探索・操作を目的とした「目と手の協応運動」が形成されていなければならない。そのことを土台として、はじめて、《物などを相手にわたす》(11か月)、《》まりを投げると投げ返す》(11か月)というような「物」のやりとりができるようになる。さらに、それは「買い物ごっこ」「お店屋さんごっこ」などの遊びに発展し、友だちとの「玩具の貸し借り」もスムーズにできるようになっていく。
「自閉症児」(と呼ばれる子ども)の場合、上記のレディネスのうち、《⑨玩具をさしだすと、ただちに手を出してつかむ(5か月)》ことができる(できた)かどうか、を見極めることが極めて重要である。相手から手渡されることによって、相手の「手渡す」という「やりとり」の方法を学ぶことになるからである。つまり、《物などを相手にわたす》という行動は、相手の「手渡す」という行動を《模倣》しているのである。⑨以外の項目は、すべて「自発的」「一方的」であり(子どもは「物」とかかわっているだけで)、相手(人)を必要としない。(自分→物の「二者の関係」)⑪は、相手がいるが、「物」は存在しない。⑫は、相手と「かかわる」必要がない。⑨だけが、相手→物→自分といった「三者の関係」を形成するのである。
 もし、⑨が不十分だったとすれば、親は「ただちに」《物を手渡す》活動を再開しなければならない。黙って、先回りして「手渡す」のではなく、しっかりと子どもの顔を見て、「はい、○○よ」と言いながら手渡さなければならない。その時、子どもは「物を受けとりながら」こちらと「視線を合わせて」ニッコリ笑うか(喜びの表情を見せるか)、「どうもありがとう」と言う(感謝の気持ちを表す)かを、観察しなければならない。また、「○○をちょうだい」と言って、子どもがそれを手渡してくれたら、ニッコリとして「どうもありがとう」と感謝しなければならない。その「やりとり」が両者にとって「楽しい」結果に終わるよう工夫しなければならない。またボールを投げて、投げ返す「キャッチボール」を楽しむことも、極めて重要である。ボールのやりとりを通して、人と「気持ち」のやりとりが育つからである。「いいかい、なげるよ-!」と言って、子どもがボールを受けとる態勢(気持ち)を整えることができるかどうか、投げたボールを拾いに行くかどうか、ボールを投げ返すことができるかどうか、そのことを何回続けられるか、等がポイントになる。もし、子どもが応じないようであれば、無理強いしてもはじまらない。まだ、「やりとり」を楽しむ気持ちが不十分なのだから。他の生活の場面で、「○○をちょうだい」「○○を取ってきて」など、「物」のやりとりを頻回行い、再度「挑戦」を試みる他はないだろう。あきらめてはいけない、あせってはいけない。それが「子どもを育てる」ということなのである。
 以下は余談だが、上記のレディネスのうち、①触れた物を握っている(1か月)、②手を開いたり閉じたりする(1か月)、⑤自分の手をじっと見ている(4か月)、⑥両手の指をからみ合わせたりする(4か月)といった行動は、「自閉症児」の特徴(常同行動)として示されることが多いが、乳児なら「誰でも」そのような時期があることの証しであり、とりわけ「奇妙」な行動とはいえない。むしろ、「自然な行動」であり、「自閉症児」が、他者との「かかわり」が乏しいため「まだその段階にとどまっている」(そのことを強いられている)のではないか、したがって、その「自然な行動」を、「かかわり」の乏しさを改善することによって「卒業」させる、という観点が必要ではないだろうか。
 また、「手の操作能力」が向上することで、いわゆる「おいた(ずら)」が増大することはたしかである。「物に触って負傷する」「異物を飲み込む」などの危険も生じるに違いない。そのため「引き出しをロックする」「床に何も置かない」その他、諸々の手段で「環境を整備する」親がいるかもしれない。しかし、それが子どもの「探索心」「手の運動」の妨げになる場合もある。結果として、「手を使わない」「手が汚れることを嫌う」「手を使って食べようとしない」といった状態に陥ることはないか。過度な「安全管理」が、子どもの自発的な(探索)行動を「消極的に拒否」することになりはしないか。いずれにせよ、そうした、「親子関係」が、子どもの成長・発達に大きな影響を及ぼしていることはたしかである。 (2015.1.14)