梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「障害乳幼児の発達研究」(J・ヘルムート編・岩本憲監訳・黎明書房・昭和50年)抄読・1

「障害乳幼児の発達研究」(J・ヘルムート編・岩本憲監訳・黎明書房・昭和50年)を抄読する。今から39年前に発行された本だが、その内容は(私にとって)斬新である。と言うのも、それ以後、科学技術の進歩はめざましかったが、その方向は分子生物学の分野に偏りがちであり、人間のありかたを「総体」として捉えようとする姿勢が減退していったように、私には思われる。例えば、自閉症に関する生物学的研究や遺伝(子)研究が、その端的な例だが、研究者の目は、自分自身の肉眼よりも、コンピューターによる脳波解析、物理工学テクノロジーに基づいたCTスキャン、MRI、PETによる画像診断、光学顕微鏡による染色体の確認、採血によるDNA鑑定などなどに依存しすぎ、明解な成果を見出せぬまま、いわば自縛的な混迷状態から脱出できないでいる、というのが現状ではないだろうか。そんな折り、本書の巻末に収録されている論文「子ザルの異常な社会的行動」(スティーブンJ.スウオミ、ハリーF.ハーロウ)は、たいそう魅力的な内容であった。人間の子どもを、生後まもなく「社会的な環境」から隔離して育てたらどうなるか、おそらく「異常な社会的行動」が生じるであろうことは「強く推測」されるが、それを実験・実行することは許されない。そこで、対象を赤毛ザルに代えて実験した結果が報告されている。なお、この論文は発達心理学者、障害児教育関係者にとってはあまりにも有名、斯界の「必読文献」として、いわば「古典」的価値を有している、と私は思う。以下、その内容をかいつまんで要約する。


《子ザルの異常な社会的行動》
【序】
・生後すぐに完全に社会的隔離状態におかれると、それが後日の社会的発達におよぼす効果といった(そのような)理論的問題は《仮説的》に人間の被験者に関してのみ考えられうるが、動物の霊長類では、これらの問題は仮説的ではなくて《実証的》にとりあげられうるのである。
・自由な野外環境では発達上の行動異常は例外であり、まれにしか観察できないが、実験室の経験をすると本当に“正常な”社会的発達をとげる被験体は生まれ育たない(Jay 1965)。野生で、同腹の子ザルと一緒に育ったサルが出くわす環境と同じ環境を提供できる実験室は世界のどこにもない。
・この章でとりあげられる赤毛ザルにとっては“標準的な”野生環境というものはない。自由区域の赤毛ザルはインドのジャングルの森の中でも、また市街地でも見られる、市街地の赤毛ザルが示す行動のある社会的側面は、森の中で生活しているサルの社会的側面とかなりかけはなれたものである(Singh 1969)。これと対照的に、赤毛ザルの知的行動は、インドの森または市街地から来たサルであろうと、アメリカの実験室で育てられたサルであろうと、本質的に同じ結果を示したのである(Singh 1969, Harlow, Schiltz および Harlow 1968)。換言すれば、赤毛ザルにとっての“正常な養育環境”を定義することは、人間にとっての正常な養育環境を定義するのと同様ほとんど意味がないのである。どの野生環境であっても、サルの一貫的行動によって正常性を定義する方が、その行動に先立つ環境要因によって定義するよりも、もっと有意味なことではなかろうか。
・正常な行動の発達とは、赤毛ザルの野外観察においてみられたきたような行動パタンのことである。Wisconsin霊長類研究所の研究者は、実験室の子ザルが野生養育条件下の子ザルにみられる社会的行動の発達と本質的に同じものを示すような養育の範例を工夫した。反対に、これらの範例を変容させたり分裂させたりすることによってサルの社会的発達を規準的パタンから逸脱させることができる。これらの逸脱の形式、すなわちサルの示す行動異常が本章の根幹になるだろう。
・本章は4部に分かれている。第1部では、養育経験とはかかわりなくすべての赤毛ザルが示す行動、実験室の環境で母ザルや仲間と広く交渉をもつ機会を与えられたサルの“正常な”社会的発達について取り扱われる。第2部では母ザルや仲間ザルと一緒の養育範例の要素を取り除いたり、変容させることによってどのような行動がおきるかについて取り扱われる。第3部では、赤毛ザルの特殊な形式の精神病理学的行動すなわち抑うつをわざわざつくり出し、そのデータが紹介される。第4部では、不完全な初期の社会的経験のために、異常、すなわち現実には存在しない社会的行動を示すようになったサルにリハビリテーションを行うための前向きの努力について取り扱われる。
・われわれはただデータを提出し、ここでひき出されるどんな類推も厳密には読者の判断にまかせたいと思っている。
【Ⅰ 優性行動と“正常な”社会的発達】
・赤毛ザルは、生下時には比較的無力な動物であるが、数ヶ月もたってくると幅ひろい世話を要求しつづけるようになってくる。
・赤毛ザルは、多くの優性行動パタンや反応傾向をそなえて世の中へ出てくる。
(a)反射タイプの行動は、生下時、その直後にあらわれ、動機づけの要因とは比較的独立している。
(b)生まれたての赤ん坊ザルが自由選択事態におかれると一貫した社会的偏好がみられる。(c)潜在的行動パタンは、生下時ではなくて幼少期の終わり頃にあらわれる。
・われわれは、これらのパタンを非学習性または優性行動パタンとよぶ。
A 反射行動
・赤毛ザルは胎内にいるとき、あるいは生後すぐに①すがりつき反射(腹部の表面を他のサルのからだに接触させること)と②捜索吸啜反応の2つの重要な反射行動をあらわす。そのような反射行動によって子ザルは母ザルと親しく身体接触を保ち、母親から栄養を取ることができる。子ザルを平たくて固い平面に上向きに寝かせてみると、すぐさまうつ伏せの姿勢になる。そのとき、柔らかいものでおおわれたものがあれば、そのまま背中をつけてそれにぴったりとくっつけてしまう(MowbrayとCadell 1962)。このことは、脊椎動物におけるすべての反射体系のうちで最も主要で共通のものとしてみられている平衡復帰反射としてのすがりつき反射の優性遺伝を示しているのである(Hnmburgur 1963)。
・生まれたての赤ん坊ザルの顔、口の付近を刺激してやると口による接触がなされるまでは頭を両側にあるいは縦に回転させたりする。しかし、すぐさま吸啜するようになる(HarlowとHarlow 1965)。
・赤毛ザルは正常な社会的行動を発達させるものもそうでないものもすべて生下時にあるいは生後まもなくすがりつき反応や吸啜反応を示す。
B 社会的偏好パタン
・子どもの赤毛ザルは、選択状態におかれると、たとえ以前に1度もどの種の成熟したサルに当面していなくても、赤毛ザルにきわめてよく似た弁髪のある成熟した雌のマカークザルまたは短毛のマカークザルよりも成熟した赤毛ザルへの偏好を示す(Sackett,SuomiおよびGrady 1968, Sackett 1970)。同時に、赤毛ザルの子ザルは、以前に見るという経験をしていなくても、成熟した雄の赤毛ザルよりも成熟した雌の赤毛ザルの方を好む(Suomi, Sackettおよび Harlow 1970)。
・最初の1か月以内に社会的経験をすると、これらの非学習性の偏好が変わりうるのだという結果(Sackett Porterおよび Holmesu 1965)があるが、これは後の時期の正常または異常な社会的行動をもたらすかもしれない要因がすでにこの初期にあらわれているという点で重要な意味をもっている。
C 潜在的行動パタン
・優性反応には、生下時には示されないがずっと後になってあらわれてくる行動があり、これは、明らかに以前のまたは現存の環境条件とは別のものである。そのような2つの行動は恐怖反応と攻撃反応とである。
・赤毛ザルの種(Altman 1962)では、しかめ面をしたり連合発声をするといった恐怖反応は、完全な社会隔離状態で育てられた(Sackett,1966)とか、母ザルや仲間ザルと一緒に育てられた(Harlow, Harlowおよび Hansen 1963)ということとはかかわりなく70日から110日の間にかけてあらわれてくる。つぎに、攻撃反応(“暴力的威嚇”や、かみつき)はおよそ6か月になってはじめてあらわれるが、うまく社会化された子ザルの場合、1年たつまでは比較的おだやかな行動である(Rosenblum, 1961)。
・これら2つの反応体系の出現は、子ザルの現在の行動レパートリーに統合されていくが、その統合のされ方は後の発達にとって決定的な役割を果たす。われわれの仮定としては、恐怖反応の種に適切な社会発達への統合は、母ザルまたは代用母ザルの存在によって促進されるということ、攻撃反応の適切な社会的活動への統合は、年長の仲間ザルと遊ぶことによって促進されるということ、そして母ザルまたは代用母ザルがいない社会的環境、または仲間ザルと交わる機会に欠けている社会的環境で育てられた子ザルは、後には異常な社会的行動をたしかに示すだろうということである。換言すれば、種の規準的な社会的発達にとって、子ザルの環境について最小限度社会的に必要とされることは、ある形式の母ザルがいることと仲間がいるということである。
・実験室内の「遊び場装置」で、生後1年間母ザルと子ザルが生活した経過を観察した結果、以下のことが明らかになった。
*赤毛ザルの子ザルは、母ザルと身体接触をしながら、両腕に抱かれて揺すられながら最初の1か月を過ごす。
*最初の1か月までに、子ザルは母ザルと短時間はなれて自分のまわりの世界を探索しはじめるようになる。
*子ザルが母ザルの保護的なだっこからはなれる程度は、母ザルの許可の関数としてみられる。母ザルの態度はたえず時間とともに変わってくるが、2か月になると子ザルの回復反応は最大に達し、4か月までに母ザルは子ザルを外の世界におしやってしばしば拒絶する。その結果、子ザルが母ザルと接触して費やす時間の量は2か月後には急に減少していく。これは、探索しようとする子ザルの熱心さが増していくことと、子どもを揺すって保育していく母ザルの熱心さが減少することとの間の交互作用に基づくものである。
*子ザルの探索行動の発達は2か月目に入ると急速に増加しはじめてくる。子ザルは母ザルを基地として、無生物の遊具や生き物の遊び仲間を調べるために、遊び場に短時間侵入する。しかし、立腹刺激を与えると、子ザルは母親のもとへチョコチョコと走って戻ってくる。母ザルは子ザルにとって安全な基地となっているのであり、子ザルの恐怖反応が生じる時期では非常に重要な役割を果たしている。母ザルから隔離された3か月の子ザルが恐れると思われる刺激を、子ザルと母ザルが一緒にいるときに与えると、こんどは類似の恐怖反応は生じてこない。
・8か月ないし10か月までに、遊びはサルの行動レパートリーを支配するようになり、成長するにつれてだんだん攻撃的になり性的な面も発達をとげてくる。この時期までに性的役割が分離してくる。8か月の雄は同性の仲間ザルを選ぶが、8か月の雌もやはり雌の仲間ザルを選ぶ(Suomi, Sackett および Harlow 1970)。遊び場では、雄と雄と一緒に遊ぶ傾向が強く、遊びは攻撃的であり、乱暴でもつれ合った遊びである。8か月の雌はまれに雄と遊びはじめるが、その遊びは主として接触のない遊びである。
・生後1年の終わりまでに、攻撃的ならびに性的行動は、母ザルや仲間ザルと交わって育てられているうちにうまく統合されていく。遊びは子ザルの活動性を支配しつづけ、母ザル指導型の行動は減少しつづけ、自分のからだに口で接触するとか、手足を用いて自分の
からだを握りしめる行動とか、定型的なゆすりの行動などは事実上なくなってくる。
・最初の1年間母ザルや仲間ザルの中で育てられてきたサルは、後になって同種の他のサルと交わる機会が与えられると十分な社会的行動を示しつづける。あからさまな攻撃によるというよりもむしろ威嚇とかしかめっ面をするとか、ねらいをつけるといったような一風変わった身振りによる社会的な指図をして、非常に安定した優位ハイラーキーを急速に確立していく。性的に成熟してくると、これらのサルはもっと熱心になり悪ずれしてくる(Senko 1966)ようになり、実験室で生まれた多くの霊長類と対照的にそういう行動をたやすく再現していく。母ザルや仲間ザルの中で養育された雌ザルは、一般的にはすぐれた母ザルになってくる(Harlow, Harlow, Dodsworth および Arling 1966)。
・最初の1年間に広範囲の母性的経験や仲間ザルとの経験をもった赤毛ザルは、実験室で生まれて初期に十分な社会的経験を与えられていない霊長類がもっているような重厚な行動異常をめったにあらわすことはない。過度に自分のからだに口で接触するとか、自己攻撃をするとか、手足を用いて自分のからだを握りしめるとか、強迫的な揺すりとか、定型的な動揺を伴った握りしめなどはめったにおこらない。
・母ザルや仲間ザルの中で育てられたサルは、野生の環境で観察されたサルにまったく匹敵している(Altman 1962, Imanisi 1963, Koford 1963, Southwick, Berg および Siddiqi 1965)
・出生後すぐ母ザルや仲間ザルがいる社会的環境で育てられたサルは、種にとって規準的社会的行動というような範囲内での行動パタンを発達させていくことができる。


 以上が、第1部の要点である。著者らは「序」で〈第1部では、養育経験とはかかわりなくすべての赤毛ザルが示す行動、実験室の環境で母ザルや仲間と広く交渉をもつ機会を与えられたサルの“正常な”社会的発達について取り扱われる〉と述べているが、「子ザルが“正常な”社会的発達」を遂げるためには、①母ザル(または代用母ザル)が必要なこと、②子ザルの生得的な「すがりつき反射」「吸啜反応」が母ザルとの「身体接触」の中で保障されること、③母ザルは子ザルの潜在的行動パタンである「恐怖反応」に対して、「安全基地」の役割を果たすこと、④また「攻撃反応」は、仲間ザルとの「遊び」によって適切に調整されること、といった条件をクリアする必要があることが、明解に「実証」されていた。サルが成体に成熟するまで5~7年かかると言われている。人間が成熟するまでには15~18年かかるとして、約2~3倍の速度で発達するが、だとすれば、サルの生後1年間は、人間の生後2~3年間に相当する、などと考えながら、とりわけ〈子ザルが母ザルの保護的なだっこからはなれる程度は、母ザルの許可の関数としてみられる。母ザルの態度はたえず時間とともに変わってくるが、2か月になると子ザルの回復反応は最大に達し、4か月までに母ザルは子ザルを外の世界におしやってしばしば拒絶する。その結果、子ザルが母ザルと接触して費やす時間の量は2か月後には急に減少していく。これは、探索しようとする子ザルの熱心さが増していくことと、子どもを揺すって保育していく母ザルの熱心さが減少することとの間の交互作用に基づくものである〉。〈子ザルの探索行動の発達は2か月目に入ると急速に増加しはじめてくる。子ザルは母ザルを基地として、無生物の遊具や生き物の遊び仲間を調べるために、遊び場に短時間侵入する。しかし、立腹刺激を与えると、子ザルは母親のもとへチョコチョコと走って戻ってくる。母ザルは子ザルにとって安全な基地となっているのであり、子ザルの恐怖反応が生じる時期では非常に重要な役割を果たしている。母ザルから隔離された3か月の子ザルが恐れると思われる刺激を、子ザルと母ザルが一緒にいるときに与えると、こんどは類似の恐怖反応は生じてこない〉という記述に、特段の興味をそそられた。(2014.3.12)