梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

大衆演劇・劇場界隈・大江戸温泉物語「ながやま」(片山津温泉)

金沢と福井の中間、北陸本線・加賀温泉駅で下車、山側を辿れば山代温泉、山中温泉、海側に赴けば片山津温泉という道程である。東京お台場を本拠地とするスーパー銭湯の覇者「大江戸温泉物語」は、山代温泉には「加賀の本陣・山下家」、片山津温泉には「ながやま」という温泉旅館(系列店)を経営している。その「売り」は〈天然温泉1泊2食・大人4名様以上1室利用なら1名様・365日いつでも同一価格6700円〉ということで、宿泊・飲食費が「格安」で済むことであろう。「ながやま」では、大衆演劇場「ながやま座」を設置、豪華絢爛夢芝居が「ご宿泊者観劇無料」で観られるサービスを提供している。他にも「夕食は四季折々の創作バイキング」「○学生未満無料」「ドクターフィッシュ」「チョコレートファウンテン」「似顔絵コーナー」「金魚釣り」等々、魅力的な企画が目白押しといった次第で、たいそうな賑わいであった。
 午後1時30分から大衆演劇観劇。「鹿島順一劇団」(座長・鹿島順一)。なるほど、劇場「ながやま座」は「舞台付の大広間」、そこに座布団だけを並べただけの客席だが、いっさいの飲食は禁止、専属の従業員(若い女性)が、宣伝・接待・管理を任せられ、「明るく、爽やかに」孤軍奮闘している姿を見聞しているだけで、「元気をもらう」ことができるというもの、経営者の(並々ならぬ)「熱意」「手腕」が窺われた。加えて公演が、斯界屈指の実力派劇団「鹿島順一劇団」とあっては、まさに「言うこと無し」、至福の時間を過ごせるに違いない。劇場入り口にはりだされた、演目は二日替わりだが、なんと初日から千秋楽までの「演目」がズラリと一覧できるようになっている。通常の劇団では「あまり予告すると、演目を選ぶので入りが悪くなるのでは・・・」という危惧から、「来てのお楽しみ」という空気が漂うように見受けられるが、堂々と「手の内を明かし」「観る観ないはお客様の自由」といった潔さに脱帽する。芝居の外題は、お馴染みの「新月桂川」。出来栄えは「相変わらず」の面白さ、とりわけ桂川一家の兄弟分を演じた座長・鹿島順一と三代目虎順の「呼吸」がピッタリで、双方を「思い合う」風情が、そこはかとない「色香」を感じさせるほどに見事であったと思う。今日の舞台では「割愛」されていたが、仇役、まむしのゴン次(春大吉)が、「アンチャン(兄、ゴン太・春大吉・二役)の仇だ!」といって、千鳥の安太郎の「煙草入れ」に《八つ当たり》する場面を観られなかったのは残念。この兄弟、仇役だが「どこか脱けている」「憎めない」、しかも容貌が「瓜二つ」(双子かも?)といった設定で、柄が悪いのに「アンチャン」「アンチャン」と甘ったれる弟・ゴン次の姿も「見どころの一つ」だと、私は思う。
 舞踊ショーでの一コマ、三代目虎順の個人舞踊(坂本竜馬)、はじめは「淡白・単調」に、徐々に「思い入れよろしく」、結びは「感極まって」といった景色の描出は秀逸、お見事という他はない。途中で贔屓筋が「花」をつけに来たが、タイミングが合わず立ち往生気味、舞踊終了後の「手渡し」となった。虎順いわく「ボクの踊りを観て下さっているお客様のために、踊りを中断するわけにはいきませんでした。それがボクの《主義》ですから」。聞きようによっては「何と傲慢な!」「若造のクセに生意気な!」「贔屓をバカにするつもりか?」と受け取られかねない言辞を堂々と吐く魂胆が素晴らしい。座長クラスでも、扇子を放り投げ、スキップを踏んで「花」を「もらいに行く」姿は珍しくない。それが「旅役者」の自然な姿だと思う風潮に「敢然と」立ち向かう三代目虎順の姿勢を、私は全面的に支持、その雄々しさに涙する。断じて「旅役者」は「河原乞食」「男芸者」と蔑まれてはならないのだ。(2009.9.9)