梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

小説・「プロローグ・海」(3)

  「何してるのよ。そんなところにねころがって、いやらしい」   
    K子さんの声です。でも意外なことにその声は、ボクがそうした甘ったれたボクを思わず見つめなおさざるを得ないほど、強烈でそれゆえにあたたかい響きを持っているような気がしました。それが余りにも意外であったために、返す言葉がすぐには見つからないでいるうちに、K子さんはおそらく波とでも鬼ごっこをするのでしょう、向こうへ行ってしまいました。でもいくぶんそのK子さんの言葉に元気づけられてか、ボクはその場に起き上がりました。もう海も空も鉛色になって、西の方に太陽が真っ赤に燃えながら落ちていこうとしています。K子さんの姿がシルエットになって波打ち際で踊っていました。長い髪の毛だな、今までK子さんのことなど落ち着いて眺めたこともなかったので、今さらながらそんなことに気づいて感心したのです。それにしてもボクはいったい何故にこんな浜辺に来たのでしょう。忘れものを探すためでした。それでは何故忘れものなどしてしまったのでしょう。この浜辺に来たからでした。何故この浜辺に来たのでしょう。そうそう、絵をかくためにこの浜辺に来たのでした。そういえばそうでした。ボクには恋人がいたのです。そしてその恋人との生活プランをたてるために、ボクはこの浜辺に絵をかきにきたのです。でも恋人との生活プランと絵をかくことにどんな関係があるというのでしょうか。ボクにはよくわかりません。ただそんな気がして、しゃにむにボクはこの浜辺にやってきたのです。そして事実、ボクは向こうの岩の海岸で、今日半日かかって絵をかいたはずなのです。でもそのときかいた絵は、帰るときとなり村とボクの町の境にある鉄橋から川に投げ捨ててしまいました。何故というに、そのときはもう胸がジーンと鳴り出していて、もしかしたらそれがこの絵のせいかもしれないとたまらなく不安になったからです。でも胸の鳴るのはそれでやむどころか一層激しくなるばかりで、ますます不安になりその結果何かあの浜辺に忘れものをして来てしまったのかもしれないという結論に達したのでした。だというのに、あの岩の海岸すらもう今はなくなってしまったではありませんか。ボクはまたヤケクソになってその場に寝ころんでしまいました。あたりはもうすっかり闇につつまれ、ときおり、波の音に混じって駅の方で汽車の通る音がひびいいて来ます。そしてたしか春だというのに、とても寒いのです。ボクはブルブルふるえながら、タバコをすおうとマッチをすりました。
(1966.3.20)