梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

 映画「非行少女」(監督・浦山桐郎・1963年)

 映画「非行少女」(監督・浦山桐郎・1963年)をDVDで観た。戦後の青春映画の中でも屈指の名作である。原作は森山啓の「青い靴」(三郎と若枝)、ストリーは以下の通りである。【サイト「映画.com」より引用】
〈十五歳の若枝はうす汚ないバーで酔客と酒を飲み、ヤケクソのように女給のハイヒールをかっぱらってとび出した。東京で仕事に失敗して帰って来た二十一歳の三郎は、職安通いの空虚な毎日を送っていた。暗く陰うつな北陸の空、金沢の映画館の前で幼ななじみの二人は再会した。三郎はうらぶれた彼女に、なけなしの金からスカートを買ってやった。喜んだ若枝は、のんだくれの父親長吉と、いやな継母のいる家をとび出したわけを話した。若枝をこれ以上堕落させまいと決心した三郎は、翌日から少しずつおくれた勉強を教えてやった。若枝の心にやすらぎがよみがえり、三郎はうれし泣きする彼女の涙をそっとすすってやるのだった。しかし、その若枝をグレン隊の竜二がしつこく追いまわし、例のハイヒール代三千円をタテに彼女を犯そうとさえした。秋祭りの日、思い余った若枝は学校にしのびこみ金を盗み出したが、小使いに見つかって逃げた。三郎の家では、兄の太郎が村会議員に立候補するため大盤ふるまいの最中、そこへ泥酔した長吉が若枝のスカートを手にどなりこんできた。が、小使いが若枝の盗みをバラしたことからたちまち青菜に塩となった。三郎はその前に竜二から三千円をせびり取られており、いままでの若枝への夢が急に崩れてゆくのを感じた。彼は太郎のすすめを入れて遠縁の家の養鶏場を手伝うことになった。若枝はムリヤリ叔母の家にひきとられたが、ぬけ出すと三郎のもとに走った。だが三郎の態度はつめたく、心のよりどころを失った彼女は、三郎が去ったあと、失火で鶏小屋を全焼させてしまった。誰のせいでもない、ただ偶然がそれを支配しただけなのに世間はあらぬ噂で二人をしめつけた。非行少女の保護機関である北陸学園に入れられた若枝は、暖い眼に見守られながら静かな数週間をすごした。ここでも同級生の富子や新子の誤解から反感をかったが、しまいには同じ境遇にある者同士の奇妙な友情が生れるようになった。若枝はその間たった一度だけそっとぬけ出して、自分の家を見に行った。が、失火事件以来父親たちはどこかへ行ってしまったことが判った。三郎は金沢でバーテンをやりながら細々と暮していた。ある夜、竜二と出合った彼は殴りあいをはじめ、松太郎に助けられた。松太郎は小さな工場で辛抱づよく動きながら組合運動に活躍している男だった。“努力はいつか報われる”その彼の言動は強く三郎の胸を打った。彼はいままで道で若枝に会っても顔をそむけていた自分が恥かしくなった。三郎は学園に急ぐと、彼女にむかって叫ぶのだった。「元気出すのやぞ、二人で何とかやろうぜ」行方の知れなかった長吉は、女にも逃げられ病気で倒れていたのだ。若枝は大阪へ働きに行くことになった。彼女の中に雑草のようなシンの強さを見てとった三郎は、何も言わずに大阪行の列車にのせた。「三年たったら迎えに行くから頑張るんや」三郎が叫んだ。〉(私が観た作品では、非行少女の保護機関・北陸学園は「恵愛学園」だった。また、そこを「そっとぬけ出して、自分の家を見に行った」という場面はなかった。さらにまた、三郎に影響を与えた松太郎という人物も登場しなかったが・・・。)  
 この物語の背景には(10年前の)「内灘闘争」がある。米軍の射撃演習場になったこの地域では「反対闘争」が展開されたが、反対派は切り崩しに遭い、補償金で収まるグループ(金持ち)と、あくまでも反対を貫こうとするグループ(貧乏人)に分裂した。三郎(浜田光夫)の兄・太郎(小池朝雄)は前者の若手、最近では町会議員に立候補しようとしている。若枝(和泉雅子)の父・長吉(浜村純)は後者の一人、ことあるごとに太郎を目の敵にしている。三郎は、兄の「裏切り行為」を許せず、選挙運動にも協力しない。
 さて、主人公の若枝は15歳、まだ「子ども」である。しかし、とりまく周囲の「大人」は、ほとんどが彼女に害毒を及ぼしている。筆頭は両親、母(佐々木すみ江)は継母で、若枝の実母が病床にある時から父と同棲していた。若枝の継母に対する憎しみ、父に対する不信感は根強く、それが非行の源泉だ。次に叔母(沢村貞子)、金沢で連れ込み旅館を営み、若枝を「こき使う」ことしか考えない。さらに、中学校の用務員(小沢昭一)、日ごろから若枝に目をつけ、体に触ろうとする。職員室に忍び込んだ若枝を見つけ、用務員室に閉じ込めた後、500円札を握らせて「泥棒はいけないよ」などと猫なで声で「言い寄った」が、若枝に突き飛ばされて逃げられた。チンピラの竜二(杉山敏夫)など他の「大人」も大同小異で、若枝の味方はいなかった。
 しかし、三郎だけは違っていた。映画館の前で不良学生に絡まれていた若枝を助け出し、スカートを買い与え、若枝の「隠れ家」(米軍演習場の弾薬庫跡)で勉強を教える。若枝の怠学を改めさせようとして学校納入金までプレゼントしたのだが、彼は失業中で「不安定」な立場だった。そのため、しっかりと若枝を支えることができず、「失火事件」を起こさせてしまったことは否めない。
 一方、若枝は「恵愛学園」の生活で立ち直ることができた。当初は園生のボス・富子(吉田志津子)、ナンバー2・新子(大原好江)との対立(勢力争い)もあったが、マラソン大会がきっかけで、「気心が知れ合う」ようになる。正月の帰省で叔母が迎えに来た時、若枝はきっぱりと拒絶する。「オバちゃんの家は嫌いや!」叔母が職員の武田(高原駿雄)に向かって、「あんなこと言わせておいていいんですか。私が唯一の身内なんですよ」と抗議しても、武田は平然と「あれでいいんです。あなたが風俗営業をしている限り帰すわけにはいきません。それが大人の責任です」。富子も、正月の帰省中に、男と家出したが捨てられて、学園に戻って来た。若枝は、(継母に逃げられ)行方不明中の父が飯場で負傷(爆破作業中)、武田と一緒に面会・引き取り後、学園に戻ると部屋に富子がいた。あわてて煙草を隠そうとしたが、若枝だとわかると「やっぱりダチカン」と語りだす。スイッチをひねったラジオからは「やっぱり、あたしはダメなのね」(「未練ごころ」こまどり姉妹)という歌声が流れ、富子は涙ぐむ。「そんな弱虫でどうする」と若枝が富子を励ます。この時から、二人の絆はいっそう強くなった。
 やがて4月、若枝は大阪の縫製工場で働くことになった。三郎にも相談しようと思ったが、「決心が揺らぐ」ことを恐れて、若枝は一人金沢駅へ向かう。途中の電車の中で、大切に持っていた(盗んだ)ハイヒールを取り出し、川へ投げ捨てた。「非行」との決別である。長吉から若枝の大阪行きを聞いた三郎は、金沢駅に駆け付け、若枝に向かって「どうして俺に相談もせず黙って行くのや」と詰め寄るが、若枝は「もう、どうしていいかわからん」と泣き出す。三郎も再就職は果たしたが、まだ「不安定」、これといった見通しがあるわけではなかった。だから三郎も、今は大阪行きを認めざるを得ない。「石の上にも三年」だ。もし、3年経って二人の気持ちが変わっていなかったら、再会しよう。 
 二人で大阪行きの列車に乗り(三郎は次の駅で下車)、別れの抱擁を交わす。さて、これからどうなるか。どこまでも続く線路を写しながら(まっすぐな前途を暗示しながら)、この映画は「終」となった。三郎と若枝は、これまでも偶然遭遇したとき、なぜかお互いに「身を隠す」ことがあったが、これからは「堂々と会えるようになろう」と約束して・・・。 
 二人の今後は「不透明」だが、そこがこの作品の優れている点だと私は思う。1年後には「非行少年」(監督・河辺和夫・1964年)という作品も封切られ、根岸一正、長浜鉄平らが、非行中学生の実態を生々しく描出した。まさに「双璧をなす」青春映画として引き継がれてほしいが、こちらはDVD化されておらず、今は見聞することができない。まことに残念だ。
(2021.8.9)