梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

小説・「ダイアローグ・公園」(3)

 「何しているんだ。そんなところで」
 突然の大きな声に、ボクは飛び上がるほど驚いてしまった。そしてあわててズボンのお尻に手をやった。やぶけている。たしかにやぶけているのだ。「あれ、オカシイな」ボクはキツネにばかされたようにキョトンとして、そうつぶやいた。「オカシイじゃねえかよ。どうなっちゃってんだよ」「何がおかしいんだ。おい。何してるんだ、そんなところで」ふと見ると、ボクの目の前におまわりさんが立っているのだ。ボクはアッケにとられて、そのおまわりさんの顔をみつめた。「何してると聞いているんだ」ボクは何と答えていいかわからなかった。「ズボンがやぶけちゃっているんです」そう言いながら、ボクはシャクにさわった。どうしてこんなていねいな言葉づかいをしなければならないのだろうと、シャクにさわったのだ。おまわりさんは平気で言った。「今何時だと思っているんだ。二時だぞ、夜中の。疑われてもしょうがない。いったい何をしていたんだ」ボクは、もう少しやさしい口のきき方ができないのかと思って、そう言おうとしたがダメだった。「政治の話をしてたんだよ。政治の」意外なほどはしゃぎ回っていたさっきの気持ちがさめないのだ。「何。政治だって」おまわりさんの態度が、とたんに硬くなった。「誰とですか」「知らねえよ」ボクはイケナイイケナイと自分自身にいいきかせたが、いっこうにダメなのだ。「知らない筈がないじゃないか。嘘つくんじゃないよ」そのとたんに、おまわりさんは威嚇的になってボクの両手をつかむとガチャリと手錠をはめた。シマッタと思って、ボクはとんでもないことになったなと考えた。ボクは、それでも心をおちつけるためにフーッと息を吸い込んで溜息をついた。「知らない筈がないじゃないか。嘘つくんじゃないよ」そのコトバの響きが、ボクの心の中でコダマしているのだ。ボクは、ぎこちなく目をつぶってその響きを聞いた。だんだんボクはもう本当にオカシクなってしまった。何故というに、その響きが響きだけになって、ボクがそれから遠ざかって何処へ行ったか、何が何だかわからなくなってしまったのだ。イケナイイケナイと思いながら、ボクは我慢した。するといつのまにか余りにも威嚇的で生硬だと感じていたその響きが、信じられないほど調和的で柔軟な響きになっていたのだ。「知らない筈はないでしょう。嘘をついてはいけません」ボクは、またまた飛び上がるほど驚いてしまった。ボクの横にはさっきの「政治」のヒトがすわっているのだ。ボクは、キチンと両手を膝の上において硬くなっていた。
(1966.3.25)