梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「死刑」より重い《刑罰》

 インターネットの「ヤフーニュース」に「工藤会の野村被告ら再び接見禁止 控訴審の影響考慮か 福岡地裁」(8/27(金) 22:23配信 毎日新聞)という見出しで、以下の記事が載っている。
〈市民襲撃4事件で殺人や組織犯罪処罰法違反(組織的殺人未遂)などの罪に問われ、福岡地裁で死刑判決を受けた特定危険指定暴力団「工藤会」(北九州市)のトップで総裁の野村悟(74)と、無期懲役を言い渡されたナンバー2で会長の田上不美夫(たのうえふみお)(65)両被告について、福岡地裁が接見禁止を決定していたことが27日、捜査関係者への取材で判明した。
 両被告は24日の判決公判で、裁判長に向かって「後悔するぞ」などと発言していた。接見禁止は、被害者や証人への圧力による罪証隠滅の恐れがある場合に認められている。両被告は既に控訴しており、控訴審への影響を考慮したものとみられる。
 両被告の接見禁止は1審の証拠調べが終わった2020年9月に約6年ぶりに解除され、工藤会関係者や福岡県内外の暴力団幹部が相次いで接見に訪れていた。〉
 総裁は「死刑」、会長は「無期懲役」という判決で、被告らは「大いに不満」のようだが、そのような刑罰を与えなくても、彼らを「反省」させる方法がある。その一つが「接見禁止」だが、それでは生ぬるい。無罪を主張している者に対して、自らの罪を認めさせる方法は、《一切のコミュニケーションを禁止》することだ。一日中、誰とも会わない、会話をしない。何も無い独房の中で、ただ食事だけを与えて、コミュニケーションを《断絶する》(何もさせない)のである。そうすれば、本人は《内省》(自問自答)せざるを得なくなる。何日間耐えられるか。精神的な拷問に他ならず、やがて《拘禁反応》が現れ、人格が崩壊するかもしれない。だから、人道的立場からそのような扱いは行われていないと思われるが、「死刑」「無期懲役」よりも重い《極刑》として検討するべきだと、私は思う。
(2021.8.28)