梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

小説・「黄昏のビギン」・第4章・《羽二重団子》

 「去る者は追わず、来る者は拒まず」が、私の処世術である。私は、花形ユキから自宅の電話番号を聞いていたので、すぐにでも連絡することはできたが、相手からの連絡を待つことにし、相変わらずシロとの散歩を続けていた。しかし、一週間たっても、二人は駅前の広場に現れない。自宅にかかる電話も、マンション経営、大豆の先物取引、葬儀の互助組合、屋根の修理などなど、一方的で無遠慮な勧誘ばかりだった。
 「こちらから、電話をかけてみようか・・・・?」、私は迷った。
その日、犬小屋の前で、シロに声をかけた。
「シロ、花形さんに電話をかけてみようか?」
シロは、何も応えなかった。
「そうか、シロには関係ないもんな」
 私は、このまえ花形ユキに伝えた自分の話を思い出していた。(お前は、何が言いたかったのか? 問われるままに、思いついたことを話したが、自分が「寂しい」ということを訴えたかったのか、それとも、自分は「特別」であるということを自慢したかったのか。いずれにせよ、「自業自得」「身から出た錆」の話など、何の役にも立たないではないか)
たしかに、私の半生は「自由」と「独立」を目指していた。その結果は私なりに満足している。だが、それを他人に語れるほどの中身があるだろうか。
 と、その時、私の中にある思いが浮かんできた。(そうか、花形ユキは、私の話なんかどうでもよいと思っているのかもしれない。自分の話を聞いてもらいたいのではないか。その話を私にしてもよいかどうか迷っているのではないか。私がどんな人間か、自分の話をしても心配がないかどうか、見定めているのではないか?)
 だとすれば、花形親子は「来る者」に違いない。拒んではならないはずである。
私は、迷わず電話の受話器を取り、ダイアルした。
すぐに相手が出た。
 「はい、花形でございます」
「もしもし、ジョーです。ご無沙汰しております」
「まあ! ジョーさん。こちらからお電話しようとずいぶん迷ったんですのよ。でも、御迷惑だと思って・・・。」
「迷惑だなんて、そんなことはありません」
「お元気でしたか?」
「いえ、元気ではありません。みなさんにお目にかかれない日が続いたもんですから・・・。」
「まあ、どうしましょう!」
「このまえ御馳走になったので、お礼をさせてください。今日の三時、いつものところでお待ちしています」
「わかりました」
 そうか、やはり、花形親子は私からの連絡を待っていたのだ。しぼんでいた風船に力強く空気が吹き入れられたように、私の気持ちは膨らんでいた。
すぐさま犬小屋に走り、「おいシロ、今日、花形さんに会えるぞ!三時だ、三時。いつもの所、いつもの所」と、呼びかけた。
シロは、眠そうな目を開けると、一言「ワン」と応えた。
(三時までにはまだ時間がある。お礼の品物を買ってこよう。)
私は、勝手に決めていた。(あの親子へのお礼は「羽二重団子」しかない。もし、魔法瓶の中がブランデーやウイスキーなら、チョコレートに決まっている。しかし、日本酒だったのだ。だとすれば、和菓子に決まっているではないか)
 「シロ、ちょっと買い物に行ってくるからね」
私は、日暮里まで「羽二重団子」を買いに行き、三時に備えた。
(2006.7.20)