梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「自閉症治療の到達点」(太田昌孝・永井洋子編著・日本文化科学社・1992年)精読(9)・Ⅱ章 自閉症の治療と治療教育・2

【要約】
【2.治療形態】
・治療の形態としては、医療機関に限れば、外来、デイケア、入院の別がある。外来治療では、通常は子どもと母親と一緒に来院し、子どもの発達評価などに基づいて母親が療育指導を受ける。この延長として、比較的長い時間治療を受けるデイケアがあり、デイケアより短い治療の場として外来ケアが区別される。
1)外来治療
・基本的には個人を対象にして行われる。
・2歳から3歳頃にかけては、外来通院・通所指導が中心となる。自閉症の診断を伝えて、その知識や発達の捉え方などを親に教えることから始める。次いで、言葉や適応行動の発達を促す療育指導が行われる。この時期は、異常行動の矯正は重点になってこない。偏食が育児上の苦痛となるが、すぐに矯正すると他の行動障害を強くするかもしれないので、粘り強い働きかけが必要となる。睡眠障害には、薬物の使用が有効な場合がある。
・学童期には、家庭と学校での不適応行動が治療の中心になってくる。
・学校卒業後は、社会参加が課題となり、作業所、職場での適応が問題の中心となる。(対応については6節を参照されたい)
2)デイケア
・子どもが昼間、家庭を離れて比較的長時間を過ごす場所と機能をさす。保育園、幼稚園、学校、学童クラブなどが該当する。
・医療的デイケアは、外来と入院の中間的なものである。入院治療のように社会から隔離することなく、外来よりもより計画的で多面的かつ濃厚な治療ができる。
・デイケアより短時間の外来ケア(仮称)という治療形態もある。比較的長い時間を使う精神療法、心理指導、学習指導などがこれに当たる。
3)入院治療
・自傷行為、多傷行為が著しい障害を与えるときには、その行為を緩和するために入院治療が適応となる。
・生活のリズムが著しく乱れ、家庭生活が困難である場合にも、適応となる。
・子どもと親のよくない関係ができ、子どもの状態が不安定になったときも考慮される。
・親や家族が自分自身の生活の質的向上のために子どもを一時的に預けるレスピットケアも考えられる。
【3.治療教育】
・治療教育は、自閉症の治療において中心的な役割を担っている。治療教育は、デイケアで行われる働きかけの中心である。保育園、幼稚園、小・中学校、学童ケアなどにおいても有効に適用できる、学校卒業後の受け入れ機関においても応用できる方法である。
1)治療教育の歴史と意義
・治療教育は、教育的な手段を使って、精神障害に基づく精神機能の障害や行動の異常を改善するように働きかけたり、精神発達や適応行動を促進したりする方法である。
・治療教育は、今世紀の始め頃より起こった精神医学的治療法である。
・「治療教育学は、児童や青年に見られる知的障害や感情的欠陥、神経的・精神的障害の治療に際して教育的な方法を求める学問である」(Asperger,1961)
・「教育にともなっての各種の精神活動によって、一方では脳およびその他の神経系統の廃用性萎縮を防ぎ、他方訓練によって、それらの正常機能の増進を可能にする。この神経活動は同時に身体各部にも影響し、全身の代謝を旺んにし、その諸機能の活動を促し、相互間の調和をもたらし、ひいては障害部位の快復転機をも促進する。学習またはそのほかの教育は、元来子ども自身の自然な欲求であるから、それを満足させることで、子どもの欲求不満や不全感は解消され、情緒は安定し、異常行動はなくなるか、または著しく減少する」(菅,1965)
・治療教育の目的は、発達障害児の適応行動の獲得や異常行動の予防と減弱に置かれているのみでなく、精神機能の発達の促進と脳機能の増進にもある。
・オペラント学習理論による行動療法、その発展である認知行動療法も、治療教育に含まれる。
・治療教育は、個々の障害の本態の解明と経験的実践の科学化に伴って、時代とともに変化し、豊富になっていく。
2)自閉症の治療教育
・治療教育は、現在、自閉症に対する不可欠な働きかけの方法になっている。
⑴初期の治療
・自閉症は発見当初、精神分析的な考え方の影響を受け、親の性格や養育方法の不適切さによる心因性の障害と考えられたため、治療については、親によって代わって子どもを受容することを主体とする精神療法が本質的な治療とされた。(具体的な方法は、受容的遊戯療法 親から早期に切り離すこと)
・その後、自閉症の原因は心因でないことが明らかになり、精神療法は無効と言わざるを得ないことが認められるようになった。有害であるとする主張すらも現れてきている。
⑵自閉症の治療の質的転換
・1960年代より、教育的あるいは行動的接近法が取り入れられ始めた。(治療教育の概念が導入された)
・自閉症についての考え方が、次のように変革された。「自閉症は、乳幼児期に現れる、人との関係の成り立ちにくさを中心とする障害である。情緒的な交流の薄さと特異な症状は、自閉症状という形をとって早期に現れる。年齢とともに変化し、その状態は比較的特異的なパターンをとって変わっていく。この障害の基礎には、高次の中枢神経系におけるまだ特定できぬ“システム”の障害があると考えられる」。
・Rutter & Sussenwein(1971)は、自閉症児の治療の場についての比較研究を行い、「自閉症児は受容的な自由な場より、構造化された場のほうがよく学習することを指摘し、教育的な構造化の必要性」を主張した。
⑶ 行動療法の見直し
・当初から行われてきたオペラント型の行動療法(Lovaas,1966)は、動物をモデルにしたものであり、報酬として即物的な食べ物・飲み物を使ったが、現在ではほめ言葉、スキンシップなどの人間的報酬へと変化してきている。
・異常行動のみを標的とするパニッシュメントによる陰性オペラント療法については、反省が生まれてきている。(虐待につながりやすい。その方法で常同行動を消去しても、別の行動が出たり、不穏になったりする)
⑷認知的・発達的視点の導入
・最近の行動療法は、オペラント型から認知行動療法と呼ばれるまでを含むようになってきており、行動変容法と言われている(小沢・上里,1992)
・この先駆けは、Schopler(1971,1971a)のTEACCHに見られる個別教育の方法である。発達評価とそれに基づいた視覚認知課題の系統学習と物理環境の構造化が基本となっている。
・Rutterら(1971,1973)は、自閉症への働きかけとして、構造化された行動的、教育的働きかけの重要性を指摘している。精神発達を促すことと常同行動やこだわり行動の減弱と予防がその柱であり、親が子どもに対処するプログラムの必要性をあげている。精神発達では、認知、言語、社会性の発達および学習の促進が考慮されなければならないとされている(Rutter,1985; Howlin & Rutter,1987)。
・我々も、自閉症の治療教育について、認知的発達的な観点が必要なことを、早い時期から主張し、実践してきた(仙田ら,1978)
⑸妥当な治療教育の現在的用件
・現在、自閉症の働きかけは、いろいろの考え方と手法があり、混沌としているが、いくつかの原則が明らかにされてきた。その第1は、自閉症は発達障害であるので、発達的観点が必要であるという点である。第2には、自閉症は、自由な、受容的な方法では有意義な学習をしがたいことである。第3には、異常行動の減弱だけを主要な目的とするべきではなく、必ず、適応行動のプログラムが用意される必要があることである。第4には、行動の変容は、普通の子どもで適応できる範囲から逸脱しないことである。
・最も妥当な治療教育の要件は、精神発達の促進と広い意味での行動の変容の2つの側面から構成されることである。さらに、社会参加の観点も含め総合的な視野に立って計画され、行われる方向性を待たなければならない。
【4.認知発達治療の原理】
・我々は、自閉症児の精神機能の発達の障害の特徴は、シンボル表象機能の出現の著しい遅滞、あるいはその機能が出現した場合にはシンボルの動的操作の障害である、と考えている。
・それゆえに、表象機能における認知の側面の発達を促し、その障害を改善したり、克服することが治療教育の焦点の1つであると考えられる。(「認知発達治療」)
・この節では、その原理に限って述べる。(詳細は第Ⅳ章を参照されたい)
1)認知発達治療の基本的な考え方
・認知発達治療は、自閉症の認知発達段階に基づいている。自閉症の発達段階分けは、認知発達治療に科学性を与える。
・自閉症の表象レベルとしての認知の障害は、特異的な発達的な障害であり、脳機能の障害の反映と想定される。したがって、認知レベルに働きかけて認知の発達を促すことと、認知の障害を改善したり克服したりする働きかけが不可欠と思われる・
・自閉症児は認知発達にあった課題を選べば、それらの課題をよく遂行する(Arpern,1967)
。このことから、自閉症に認知の発達に合った課題を適切に配列すれば、認知の発達を促し、認知障害の改善や克服に向けての働きかけが可能であることが仮定された。これが、認知発達治療の中心を構成している認知発達学習の理論である。
・認知発達治療は、学習セッションのみならず、日常のセッションまで広げることができる。働きかけにより、認知のレベルを引き上げ、情緒の安定と発達を促し、子どもの行動を変えて、環境に能動的に適応できるような可能性を付与することが予測された。脳機能に対しても、その活性化を促し、障害を代償・克服するように働くことも期待される。
・行動療法と比較してみると、行動療法は目に見える行動だけを対象にしてきたが、認知発達治療は、認知力を発達させることによって、行動に柔軟性を持たせ、内的に行動を変化させる治療教育である点で異なっている。
2)認知発達治療の理論的な意義
⑴治療の3つの次元との関連
・第1の次元(基本的障害の代償と克服)との関連で見ると、認知発達学習は、自閉症の認知の障害の改善や克服をねらい、認知能力を発達させることである。同時に、対人関係を含め情緒の発達を促すことをねらいとしている。心理教育学的アプローチではあるが、脳の機能の活性と不全の克服にも関連していると思われる・
・第2二次元(個々の適応行動の発達を促すこと)との関連では、認知機能を高めることにより適応行動の獲得において柔軟性を持たせることが期待できる。発達段階から期待される適応行動と年齢や社会的環境から要請される適応行動を組み合わせることにより、治療者は、獲得すべき適切な適応行動をえらぶことができる。
・第3に次元(行動の異常と偏奇の減弱と予防)との関連では、子どもの認知の発達に合った課題による働きかけと、子どもが自由に衝動を表現できるような設定の中で、異常行動は減弱する。自閉症児の認知能力に合わせた働きかけは、自信をつける作用を生み、異常行動への予防へとつながる。
⑵認知発達学習の意義
・Stage分けによる発達段階評価は、自閉症の精神機能レベルでの基本障害と考えられる表象能力に焦点を当てた評価法である。この段階分けは、思考の主体となる言語理解の水準によって発達段階を決めているために、課題の選択に指針を与え、自閉症における学習を容易にする。スモールステッププログラムは、Vygotsky(1978)の言う最近接領域を示している。
・Stage別に適切な課題を選んで適用すると、本人の理解のレベルに合っているので、子どもは自発的にその課題に取り組むことが期待される。
⑶認知発達治療の限界
・自閉症児において、認知発達を促し、発達の節目を乗りこえて、その障害を克服することは、非常に困難である。そのため、同じ認知発達の段階内に止まっていようとも、自閉症児の生活全体を見わたし、治療の第2の次元の観点から、認知発達の水準をふまえつつ適応行動を豊富にする働きかけを同時に行う必要がある。
・また、認知発達治療は、働きかけの第2の側面である受け入れや環境整備の働きかけと組み合わされたとき、その有効性が発揮されることになろう。


【感想】
 ここでは、治療教育の形態や、自閉症の治療教育のついての歴史・基本原理が端的に述べられている。当初は(1960年頃まで)、精神分析的立場から「受容的遊戯療法」が 本質的な治療とされたが、1960年代以降、「行動的接近法」が取り入れられ始めた。この障害の基礎には、高次の中枢神経系における“システム”の障害があると考えられるが、Rutter & Sussenwein(1971)の比較研究、Schopler(1971)らによって、「自閉症児は受容的な自由な場より、構造化された場のほうがよく学習することを指摘」され、教育的構造化、すなわち「オペラント型行動療法」「TEACCHプログラム」などが取り入れられるようになった。現在、自閉症の働きかけについて、いろいろな考え方と手法があり、混沌としているが、①自閉症は、発達障害なので発達的観点が必要である、②自閉症は、自由な、受容的な方法では有意義な学習をしがたい、③異常行動の減弱だけを目的とするべきでなく、適応行動の獲得プログラムが必要である、④行動の変容は普通の子どもでも適応できる範囲から逸脱しないこと、などの原則がある。我々は、自閉症の特徴は、シンボル表象機能の出現の著しい遅滞、あるいはシンボルの動的操作の障害であると考え、「認知発達治療」を行う。それは、認知の発達を促してその障害を改善・克服する働きかけを主軸に置き、そのことにより、行動や情意の発達を動かしてその障害を改善・克服することをねらいとしている。(認知力を発達させることによって、行動に柔軟性をもたせ、内的に行動を変化させる治療教育である)そのために、まず自閉症の表象能力に焦点をあてた「発達段階評価」(Stage分け)を行う。次に、その発達水準に合ったスモールステップのプログラムに基づいて、学習を支援する。とはいえ、認知発達を促し、発達の節目を乗り越えてその障害を克服することは、自閉症児において「しばしば非常に困難である」。そのため、自閉症児の生活全体を見わたし、適応行動を豊富にする働きかけを同時に行う必要がある。
 と、言うことで要するに、まず自閉症の(表象機能における)「認知発達」を促せば、対人関係やコミュニケーションの問題、常同行動並びに様々な行動上の問題が、改善・軽減・克服できる、ということであろう。いわば、「知・情・意」の中の「知」を最優先する考え方だが、はたして、「情・意」が置き去りにされることはないのだろうか。著者は、自閉症を(脳機能障害が推測される発達障害であり)「行動的症候群」としているが、人間の行動を(大きく)左右するのは「知」であるか、「情」であるか、「意」であるか、それが問題である、と私は思った。(2014.1.10)


【付記】
 この節では、「①自閉症は、発達障害なので発達的観点が必要である、②自閉症は、自由な、受容的な方法では有意義な学習をしがたい」と述べられているが、発達的観点は「認知」(知)の領域に限られており、「情意の発達」という観点が抜けている。また、「自由な、受容的方法では有意義な学習をしがたい」と判断した根拠は何か、判然としない。既存の方法を見ただけで判断することは独断に過ぎない。「自閉症児は認知的な学習が可能である」ということは、認知的な障害がないことを証明している。「情意的な学習」に特化した治療教育を目指さなければ、「自閉」という問題はいつまでも改善されないだろう、と私は思った。
(2016.12.5)