梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「自閉症 治癒への道」解読・25・《第10章 事例》(4)

◎要約
《フェイ》(両親から提供された情報)
・フェイは1975年11月11日に生まれた。(両親はその1年前、4歳の男児・アドリアンを養子にもらっていた)
・出生時体重3000グラム、陣痛促進、鉗子分娩。
・母乳をスムーズに飲めず、1日目は何も飲んでいなかった。(誰も気づかなかった)
・4日後、たえまなく泣き叫び、特別看護室へ。鎮静剤が与えられ、鼻腔栄養になった。
・4時間毎に母親がそばに来た。次の4日間、母乳を哺乳びんで与えた。
・10日後、退院、自宅に戻った。
・2日後、母親が重い胃腸炎にかかり母乳が出なくなったので、以後4週間ミルク(混合栄養)を与えた。
・1976年1月4日(フェイ生後1か月)、父親は遠隔地に単身赴任した。(その直前、暴風のため4日間停電)
・1976年7月22日(フェイ生後8か月)、仮宿舎で父親と一緒に暮らすようになる。(両親は家の売却、引っ越し、新居探しのため不安が高まり、子どもへの注意が十分に向けられなかった)
・仮宿舎で1週間過ごした後、母親の所用(馬の輸送)のため、子どもたちは母親の両親に預けられた。
・その2週間後、アドリアンは友だちがいないため不機嫌になりはじめたが、1週間、以前住んでいたところの友だち一家で過ごしたところ元気を取り戻した。
・1976年10月1日(フェイ生後11か月)、家族は新居に引っ越した。
・1976年12月20日(フェイ1歳1か月)、次男のジョンが生まれた。
・両親には経済的不安があり、暖房も十分ではなかった。
・1977年8月(フェイ1歳8か月)、ティンバーゲン夫妻が初対面。その時、フェイは「われわれの方を見ようともせず、誘いかける様子でもなく、さりとて泣きもしなかった。われわれの存在を素通りしてその先を凝視しており、常同的なやり方でくり返し首を振っていた」。母親の話では、見知らぬ人に出会った時、他の人がこの子を非難した時、頻繁に首を振る、「とてもおりこうな赤ちゃん」であり、ひとりで好きなようにさせておいた、ということであった。ひとり立ちや歩行ができなかった。言えることばは「ビン」と「アドリアン」の二つだけだった。
・訪問数日後、フェイをひとりにしておかないで、家族の中へひき入れ、親や兄弟や動物や、友だちとのやりとりを増やすよう助言(手紙)した。
・フェイとジョンは、母親の姉のところへ1週間遊びに行った。(姉は、知恵遅れの幼児指導の専門家で、自身にも生後6週間の赤ちゃん、フェイよりも3か月年上の子どもがいた)両親はアドリアンを連れてフランスにいる母の弟を訪ねた。(父親がフェイばかりをかわいがり、アドリアンがやきもちをやいている様子があったため)
・それから7週間後、「フェイはずいぶん違った子どもになってきた」。①フランスから帰ると、歩いていた。②よくしゃべるようになっていた。(二、三語つなげて言う)③人づきあいもよくなり、積極的になった。(お手伝い、片づけ、頼まれた物を持ってくる)④ジョンとふざけるようにもなった。
・1977年12月(フェイ2歳1か月)、母親は「母子グループ」に、週2回(1回2時間)に通い始めた。(おもちゃ、絵の具、ジグソーパズルなどで自由・並行遊び)
・アドリアンとはますます仲良くなり、日曜学校に同行したり、ごっこ遊びができるようになった。
・この頃、ティンバーゲン夫妻と再会。①上手に歩いていた。②はじめちょっとはにかんでいたが、まもなくやりとりをはじめ、視線も普通に合い、上手に話していた。③首振りもかげをひそめていた。
・1978年8月(フェイ2歳9か月)、ティンバーゲン夫妻と再々回。15分もしないうちにエリザベス・ティンバーゲンの膝にのぼって、飾り箱や粘土を見せてくれた。箱の絵を示しながら「これは何」と尋ね、エリザベスの答えをオウム返しして「これはお人形さんの頭」「これは手」などと言った。しばらくして、ニコ・ティンバーゲン博士にも近づき、手遊びに興じた。昼食の時も、誰とでも機敏にやりとりをしていた。今や、フェイのことばは「年齢並み」以上であった。
・1981年5月(フェイ5歳6か月)、母親からの手紙には「フェイは物静かで、勉強のほうの進み方もゆっくりですが、あらゆる面で全体的に進歩しています。たいへんに女性的・母性的で赤ちゃんが大好きですし、私たちみんなにお母さんぶったりしています。学校でも先頭に立って遊ぼうとする様子も出てきているそうです」と書かれてあった。


【著者注記】
・このケースは、「早期発見」「濃厚愛護」「よい家庭生活」によって、脱線が急速に修正され、医師の目にふれるに至らなかった(数多くの)子どもの典型である。
・鉗子分娩、出産直後から最初の数日間、母子の相互作用が著しく阻害されたこと、授乳が安定しなかったこと、引っ越しなどにより両親のストレスが高まったこと、生後13か月に次子が誕生したこと、フェイへのかかわりが乏しかったこと、などが自閉症の誘因となったと思われる。
・両親は、この種の子どもについては経験がなく、忠告・助言に対して「全面的に応じ」、最善を尽くしたが、経験豊かな指導員の叔母の家族のところで1週間過ごしたことは、決定的な効果をもたらしたと思われる。また、母子グループへの参加も、正常への復帰を促進した。


《感想》
 このケースは、1歳8か月の時、両親の心配が生じたが、著者の面接・助言(手紙)により、「フェイをひとりにしておかないで、家族の中へひき入れ、親や兄弟や動物や、友だちとのやりとりを増やす」ことに最善を尽くした結果、2歳1か月頃には「回復の兆し」が見え、1年後の2歳9か月には「完全に回復」することができた、という成功例である。①両親が「全面的に」ティンバーゲン夫妻の忠告・助言に従ったこと(父親は義兄がやきもちをやくほどにフェイをかわいがったこと)、②弟が誕生し、兄弟関係が広がったこと、③経験豊かな叔母にもサポートされたこと、④「母子グループ」に参加したことにより、母親の気持ちが安定し、またフェイの友だち関係も広がったこと、等が「相乗効果」をもたらして、母子を「上向きのらせん」状態に導いたのだろう。ウェルチ療法の「抱きしめ」も、その過程の中で自然に(無意識的に)取り入れられていたことも間違いない、と私は思った。(2013.12.14)