梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「自閉症 治癒への道」解読・26・《第10章 事例》(5)

◎要約
《ジョージ》(1979年に両親から提供された情報)
・両親は教員、ジョージは第四子。
・ジョージの出産は正常、「何も別に変わったことはなかった」。
・「たいへん楽な子だった」「父親にはほとんど気にとまることがなかった」
・ほぼ2歳の頃、「ややひきこもりがち」「他人との接触を避ける傾向がある」ことに初めて気づいた。(親が抱こうとすると押しのけたり親の顔を叩いたりする。夜ベッドに連れて行くと素早く毛布の中にもぐりこむ。朝ベッドの中にいたがる。母親が抱こうとすると顔をそむける。いつでも始めは飲んだり食べたりすることをいやがる。誰かが話しかけたり、彼のことを話したりすると、すぐに滑り降りて床に寝そべったり、テーブルの下にもぐりこんだりする。膝の上に抱いておこうとするともがいたり、わめいたり、蹴ったりした)
・母親は、ふたりだけになって一つの部屋に入り、自分のからだに子どもをしっかり押さえつけ、語りかけたりせず、ただいつまでもゆすってやるのが最善の方法だと気がついた。そうすると子どもはだんだん諦めて、もがかなくなり、なでられることも受け入れるし、食べたり飲んだりすることも自分からするようになった。母親に体を拭いてもらったり、洗ってもらったり、着物をきせてもらうこともできるようになった。
・ジョージは、昔も今もさまざまな常同行動をもっている。(イヤの時首を振る、爪噛み、何本かの指をしゃぶる、ベッドにいる時誰かが近づくと首を前後に激しくゆする)
・ことばの発達は「やや遅れ気味」であったが、特に問題はなかった。ただし、混乱状態になると、声が小さくなり発音も不明瞭になってくる。
・衣服の着脱が自分でできるようになったのは7歳、靴のひもが自分で結べるようになったのは10歳。(無気力が目立った)
・親類や友人が「甘やかしすぎ、もっと厳しくやらねば」と言い始めたが、時々、たいへん優れた技術的能力を発揮して驚かせることもあった。(訪問した家で見てきた鳩時計と同じものを、段ボールと針金で組み立ててしまった)
・3歳過ぎの頃、眼科医の治療を受け、治療はうまくいったが、いっそうひきこもるようになってしまった。
・母親がついていて一緒にさせるようにしないと、自分からは何もしようとしなかった。
・部屋の隅のテーブルの下で「ラジオをいじって」過ごした。
・4歳になった時、幼稚園に入った。朝から、登園を激しく拒否した。母親は、我慢と忍耐の連続によって、何とか毎日遅刻せずに幼稚園に連れて行った。
・幼稚園で、ジョージは完全に孤立していた。友だちからは「奇妙」に思われ、いじめられたが「仕返し」はしなかった。
・ジョージは再び「全体的逆もどり」を示したので、手に負えなくなったので、両親はその幼稚園をやめさせ、小学校に入るまで「家で教えよう」と決心した。その結果、就学前には十分に回復して、普通小学校に入学できた。(自閉的な行動の多くは続いていた)
・しかし入学後、ジョージは先生との接触を全くもたなかったし、友だちの誰ともつきあわなかった。登校を拒み、ひきこもって長い間、床に寝そべって「ラジオをいじっていた」。
・家族は、地域の人々から「子どもを育てる能力のない変わった人たちだ」と見られ、誕生日に招待しても誰も来なかった。
・ジョージは再び「逆もどり」し始め、おねしょ、起床拒否、拒食をするようになった。テーブルの下に隠れるようにもなった。
・両親は(ふたりとも教員免許状をもっていたので)、合法的に学校をやめさせ、自宅で教えることに決めた。すると、すぐに進歩し始め、生活や周りの世界に興味を示し、学習も進んだ。父親は、学習障害児を対象にした「音楽療法士」だったので、(自閉的な傾向のある教え子(女児)と一歳年下の男児を一緒に教え、女児に男児の面倒をみるように仕向けたところ、女児は孤立の殻から抜け出し、男児との関係をつくることができた)という経験から、ジョージにも同じ方法でやってみることに決めた。これがうまくいった。他の家族の手伝い、看病などを通して、学校へ行く準備ができたと思わせるほどにもなったが、「進歩」と「逆もどり」の揺れ動きは9歳頃まで続いた。
・8歳の時には、「まだ九九が覚えられないが、むずかしい専門的なエレクトロニクスの述語などを知っていた」。学校で発表する時「あまり難しい話をしないでね、みんながわからなくなってしまうから」と先生に注意されるほどであったが、保護者参観日などでは、「おびえた小鳥のようにうずくまり、すっかり自信を失ってしまった」。
・10歳の時、大きな庭付きの家に引っ越した。その新しい環境がジョージに急成長をもたらした。①繊細でおとなしい男児と友だちになった。②数羽のあひると羊を飼い、それが最良の友だちになった。③新しい学校、新しい先生のもとで、水泳ができるようになった。ジョージは友だちに対して「やさしく注意深く、決して傷つけたりしないようになってきた」。動物に対しても、なでたり話しかけたり、抱いたりして、おびえている時には、なだめてやることもできるようになった。動物たちはジョージに一番なついていた。
・12歳になった時、エリザベス・ティンバーゲンが、家族を訪問した。ジョージは最初から屈託なく親しげにふるまい、笑みを浮かべて握手をした。正常に視線を合わせ、目を輝かせて生き生きと話をした。「普通中学校で頑張っていたが、まだ時々手助けが必要であった」そうである。動物には依然として興味をもち、昆虫にも関心を広げた。自分の動物が主役の物語も書いた。電気関係に対する興味も続いていた。周りの世界を信頼しすぎて傷つくことも多かったが、温かい調和のとれた家庭の雰囲気の中で、正常に回復していた。


【著者注記】
・ジョージは正式に自閉症と診断されたことはなかったが、両親の話から典型的な自閉症の症状を示していたことがわかる。①乳児期「おとなしすぎる」、②2歳時の対人的ひきこもり、③同一性の固執(いつもどおりでないことへの怖れ)、④ベッドの中にいたがる傾向、⑤数種の常同行動、⑥話しことばは発達していたが、対人的なストレス、なじみのない環境、体調不良等によりたちまち崩れる(コミュニケーションには役立たない)などである。
・乳児期の引っ越しや、たびたびの転校、教師が変わるなどの環境変化のため、一時的退行を示したのは、初めは軽度だった状態が悪化したということかもしれない。
・両親の扱い方では、二つの側面を強調したい。①ジョージが2歳頃、母親がウェルチ流の「強制抱きしめ」に匹敵することを、本能的に、非常にうまくやっていた。②父親が(職場の)学校でやり始めた方法を、そのままジョージに利用することを、思いついた。(病人やおとなしい男児、動物など他者の世話をするようにさせた。父親は以下のような一般的コメントをしている。⑴仲間の教師の中には、生徒の早期の自閉的傾向に気づく人はほとんどいないし、普通以上の配慮を与える必要性を認めていない。⑵自身も生来内気で傷つきやすい大人のほうが、この種の子どもについてはよい成績を収める。⑶自閉症の子どもには何にもまして愛情が必要である。愛情あるやり方を強く拒んでいる時ほど、それだけ愛情を必要としている。⑷この子どもたちは順調に伸びた場合でも、依然として敏感で傷つきやすい人間である。(しかし、心を決めて自分の恐れを克服する時にはしばしばたいへんな勇気を示す)。


《感想》
 この事例は、乳児期おとなしく「たいへん楽な子」であり、また第4子ということもあって、2歳頃まで「放っておかれ」状態が続いた。(母子や兄弟とのやりとりが乏しかった)そのために、2歳以後、さまざまな「自閉的状態」が現れたという典型的なケースではないか、と私は思った。子ども本人には何の異常もないのに(傷つきやすいという素質はあったかもしれないが)、「育てられ方」次第では、いつでも「自閉症になり得る」ということが示されている。「おかしい」と気づいたとき、母親は本能的に「抱きしめ療法」を取り入れた。その結果、回復の兆しをみせたが、成長するにつれて(年齢並みの)「集団への参加」を強いられる。そのたびに退行を示し、登園・登校拒否をくり返したため、両親はやむなく「自分たち」(自宅)で教育を行う決心をすることになったが、ジョージにとっては、むしろそのことが幸いして、順調な回復を可能にした。父親が、いみじくもコメントしている通り、現在の学校の中で「生来内気で傷つきやすい大人(教員)」を見つけ出すことは至難のことではないだろうか。また、「(自閉症の子どもは)愛情あるやり方を強く拒んでいる時ほど、それだけ愛情を必要としている」「この子どもたちは順調に伸びた場合でも、依然として敏感で傷つきやすい人間である」といった指摘は、わが子を回復させた親なればこその「至言」として肝銘しなければならない、と私は思った。(2013.12.15)