梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「自閉症 治癒への道」解読・34・《付録1 母子抱きしめ療法による自閉症からの回復》(マーサ・G・ウェルチ)

◎要約
《付録1 母子抱きしめ療法による自閉症からの回復》(マーサ・G・ウェルチ)
 前章で、著者・ティンバーゲン夫妻による著述は終了し、以下は「付録」である。その1は、本書の「核心」ともいえる「母子抱きしめ療法」がウェルチ博士自身の手によって綴られた論文である。以下はその要点である。
【はじめに】
・自閉症は母子間の絆づくりの不調によって起こる。
・母子抱きしめ療法によって治ってしまった自閉症児にまったく器質的病理が残っていないという事実からみて、自閉症の原因としては環境的因子とくに母子の相互作用の面が最大の役割を演じていることが示唆される。
・抱きしめ療法は母親と子どもの両方に等しく有効である。母親は、「正常なやり方」で子どもの要求を理解したり、反応したりすることができないようにみえる。
・しかし、ひとたび母親が自閉症の子どもの抱きしめを始めると「例外なく」、子どもからの積極的強化によって、自分自身の抵抗や嫌悪感を克服することができる。十分な接触を通して、いったん母親に正常な関係形成の可能性がみえてくると初めて、子どもの行動に制限を設ける、適切なふるまい方を要求する、やりとり関係を期待するなど、子どもに対してより正常な行動がとれるようになってくる。
・自閉症の原因が、生物学的素因があるか否か、出生後の環境によるものか否か、にかかわりなく、抱きしめ療法は、本質的治癒といわぬまでも、根本的な改善をもたらすことができる。
【文献展望】
・カナーは、①人や場面と関係をつけることの障害、②ことばの欠如ないしはことばがコミュニケ-ションにに役立たないこと、③同一性保持への強迫的執着、④早期の発症、を自閉症の診断基準として設定している。この他に、高次機能の分野における発達の遅滞、運動に関する習癖や異常、見かけ上の聾などのような異常な知覚的反応(という基準)もある。
・自閉症の治療の試みにはさまざまなものがある。①ショック療法(今はおおかた見捨てられている)、②薬物療法(子どもの感受性を改善するための補助手段として用いられる対症療法の域をでていない)③教育的方法(ある程度のかぎられた成功を収めているが治療場面以外での維持がむずかしい。④両親の利用(人力の有効利用、治療効果の面でも有望である)、⑤遊戯療法と精神分析的心理療法(他の方法と比べて一般的によりよい結果をもたらしていない)、⑥施設収容(最後の手段である)
・オゴーマンは、子どもがまわりの環境からひきこもるのは、(最初の)母親との正常な関係からのひきこもり、その関係形成の失敗の延長であるという考え方を述べている。
・ザスローとブレーガーは、自閉症の子どもとその母親は否定的な情緒的反応の「閉鎖系」の中に閉じ込められていると言っている。
・ボウルビーは、問題が個人にかぎられたものではなく、家族のふたり以上の成員の間に発生するという認識の重要性を述べ、母親が子どもからの信号を鋭敏に感じとり、子どもが母親との相互作用を自分の主導権で確立できると気づいた時に、たしかな愛着が結果として生ずることを示唆している。
・ウィニコットは「物を使う能力の発達も、それを助長する環境しだいであり、成熟過程の、別の例である」と述べている。
・したがって、母子関係の障害が大きければ大きいほど、子どもは他人からの助けや治療から益を得る率が少なくなる。基本的な絆が確立されるまでは、父親や治療者も含めて、誰も母親以上に母親に近づくことができない。


《感想》
 以上は、この論文の前半であり、「抱きしめ療法」の前提が述べられている。そこで重要なポイントは、「問題が個人にかぎられたものではなく、家族のふたり以上の成員の間に発生するという認識の重要性」という一点であると、私は思った。「抱きしめ療法は母親と子どもの両方に等しく有効である」ということであり、子どもを変えようとして母親が変わる、母親が変わることによって子どもが変わる、子どもが変わることによって母親がさらに変わる、といった循環(上向きのらせん)を可能にするということである。つまり、自閉症を治すためには、まず母親が変わらなければならない、母親が変わらないまま子どもが変わることはない、ということでもある。では、なぜ母親が変わらなければいけないのか、それは「問題が個人にかぎられたものではなく、家族のふたり以上の成員の間に発生する」から、ということに帰結するが、そこらあたりが、この卓見が「現代社会」に受け入れられなかった所以ではないだろうか。しかし、自閉症の原因を「母親に押しつける」ことは不当であるといった論議は、治療・教育の次元とは異なる。いわば「政治」の次元ではないだろうか。いずれにせよ、マーサ・G・ウェルチ博士は、(母親であると否とにかかわりなく)「女性」であることに間違いはない。そのことに注目したいと思う。(2013.12.25)