梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「自閉症 治癒への道」解読・37・《追記》【プレコップ博士の中間報告】

◎要約
《追記》
【プレコップ博士の中間報告】
・ドイツのプレコップ博士は、(ニコ・ティンバーゲン博士の情報を得て)1981年からウェルチ博士の「強制抱きしめ療法」を37組の親に始めてみた。対象児37例のうち8例は、子どもの力が強すぎる、母親の体調が十分ではない、母親の時間がとれない、両親にとってこの方法が信じられない、などのことがわかった。残りの29例は以下のように分類される。①カナーが記述した典型的な自閉症19例、②アスペルガー型の子ども6例、③脳の構造上の損傷がある二次的影響として起こる「結果的自閉症」4例。子どもの年齢は2歳半から17歳半にわたっており平均年齢は7歳半であった。①②群に入る25名のうち21名は、生まれた時から(驚くほど)おとなしく「よい」赤ちゃんであり、(あまり)母親の注意をひきつけることがなかった。21名のうち6名は身体接触を(はっきりと)いやがった。12名の母親は、子どもが泣き叫んだ時、ひとりにして放っておくといちばん早く静まったと報告している。25名のうち4名はよく「泣く子」であった。そのうち1名は泣きやむまで終始抱いてばかりいたが、他の3名はそういう手のかけ方は不規則であった。おとなしい赤ちゃんの母親は全員「きょうだいの他の子が泣いた時にはいつも普通に反応していた」という。このきょうだいたちは皆、接触を好む、積極的な魅力的な子に育っている。ということは、この親たちは子どもを正常に育てる能力のある人たちであり、彼らのひとりが自閉症になったのは基本的には子どものパーソナリティーによるものであることを示唆している。
・プレコップ博士が調べたところでは、この子どもたちのカルテには(生育歴に関して)「体重、頭囲、授乳量、歩き始めや話し始めの時期などのような客観的かつ測定可能な具体的な情報ばかりで、子どもが母親からの接近やなぐさめを求めていたかどうか、受けていたかどうかなど、愛着的行動に関しては、まったく記述されていなかった」。
・自閉症児のうち24人は、以前からプレコップ博士の治療(統合的なもの)を受けていた(数ヶ月~4年間・平均2年間)が、結果は(自閉症児の場合には)失望すべきものであった。
・29名の自閉症児に対して、1981年8月から12月の間に「強制だきしめ法」(原則としてひとり1日1~2回、1回に1時間)を行った。
【結果】(4か月後)
・ただひとりの例外もなくこの子どもたちは全員が、よりリラックスし、より静かになり、受容力が高まり、より機敏、より快活になり、母親とも速やかにより多くの接触をもつようになり、よりじっと目を合わせるようになった。「抱きしめ」が、それ以前の治療で得られたものよりずっとめざましい重大な変化をひき起こした。抱かれることに対する最初の極端に強い抵抗は、まもなく母親との接触による明らかな喜びに取って替わった。母親との関係は全体として親密かつ「より意識的」になった。逆に、不機嫌、反抗、破壊的傾向は弱まっていった。母親たちは、最初にはひどくためらっていた人も、たいへん努力を要した人も、子どもとの親密な接触をひどくいやがっていた人も、すべて子どもの変化を見て大喜びした。治療者が強引に勧めてくれたことを感謝する人もいた。どの母親も「抱きしめ」によって子どもの真の情緒面の進歩が現れはじめたことを認めている。また、自信をもち始め、将来「抱きしめ」をやめようという人はひとりもいなかった。
【補遺】
・4人の母親は、子どもの物の扱い方に多様性が増したと報告している。5人の子どもには、周りの環境とかかわることへの興味が出ている。そのうちの2人(11歳と12歳、いずれも3年間プレコップ博士に3年間指導を受けていた)は、初めて「意識して」クリスマスをすごし、プレゼントを配る間も自分の番を待ち、自分のプレゼントを人に見せたりした。またオウム返ししか話せなかった3人の子どもは、抱いてもらっている間、以前に経験したことを母親に話しはじめた。(それまで不定詞と電文体だけを使っていた)ひとりの子どもは、初めて「ぼく」という語を使い、感情を自分の声の調子で表した。2人の子ども(3歳と3歳半)は、母を「ママ」、祖母を「ババ」と呼ぶなど、初めてことばを人とのやりとりに使い始めた。「自閉症だけでなく筋緊張低下もある」とされていたひとりの子どもは、まもなく筋の緊張を回復し、力強く動き回ったり、冬には元気よく雪かきをするようになった。アスペルガー型の子どもたちは、興味の範囲が広がり、新しい人間関係の形成にも関心をもち始めた。人との接触はよりやさしくなり同情心も増した。チェス(高い能力の片鱗)をしていた9歳の子どもはクリスマスプレゼントに、機械的な玩具ではなく、抱っこできるぬいぐるみのくまを欲しがった。そして初めてベッドで母親に寄り添うようになった。今まで時計と自動車道路の絵だけを描いていた6歳半の男の子が、今では動物や人間の物語を描き、ごっこ遊びでも相手の子どもの意見にそって役割がとれるようになった。
・どの例でも真の進歩がみられてはいるが、プレコップ博士は「まだ完全に回復した子はいない」ことを強調し、この結果だけではウェルチ法への心酔も全面拒否も正当化することはできない、としている。
*しかし、ウェルチ博士、ザッペラ博士、われわれ自身が、この本の中で紹介している多くの例は、より長期にわたる治療を受けており、実際に完全か、あるいはそれに近く回復している。プレコップ博士は「抱きしめ法」を、より大規模に行うべきだと感じているが、われわれも同意見である。(著者・ティンバーゲン夫妻)


《感想》
 以上は、ニコ・ティンバーゲン博士の講演記事を契機に、ドイツで「抱きしめ法」を導入したプレコップ博士の「中間報告」である。最も興味深いことは、博士が治療対象としていた37例のうち8例(22%)が、「抱きしめ法」を、母親に余力がない、時間がない、単純すぎて信じられない、などの理由で「拒否」した点である。それは、今から32年前(1981年)のことだが、はたして現代の(日本の)両親はどのような反応をするだろうか。おそらく、当時とまったく同じ理由で「全面拒否」する両親が大半であろう。しかし、日本にも「日本だっこ法協会」という団体があり「抱っこ法による個別援助」「各地での子育て支援活動」「研修会」「援助者の養成」「会報発行」などの活動を行っている。今後、そこでの実践が「実を結び」、日本全国に(よりいっそう)波及していくことを期待したい。
《追記》
・報告の中の「オウム返ししか話せなかった3人の子どもは、抱いてもらっている間、以前に経験したことを母親に話しはじめた。(それまで不定詞と電文体だけを使っていた)ひとりの子どもは、初めて「ぼく」という語を使い、感情を自分の声の調子で表した。2人の子ども(3歳と3歳半)は、母を「ママ」、祖母を「ババ」と呼ぶなど、初めてことばを人とのやりとりに使い始めた」いう一節もまた、たいそう興味深かった。それまで不定詞と電文体だけを使っていた子どもが、初めて「ぼく」という語を使い、感情を自分の声で表したという事実、3歳・3歳半の子どもが「ママ」「ババ」と呼び、初めてことばを人とのやりとりに使い始めたという事実、それらがともに「抱いてもらっている間」に生じたという事実は、人は相手と「最も密着」している関係の中でのみ、「自分」を「自分」として意識できるということを物語ってはいないか。つまり、母親に抱かれ「快感」(恍惚感)を味わっているのは誰でもない、「自分」なのだ、その「自分」こそ「ぼく」に他ならない、ということを深層部分で認識(理解)する、しかも母親に抱かれているのは、今「自分」しかいないというという「自信」と「誇り」(晴れがましさ)、「喜び」が芽生え始める。自分は母親といる時が「いちばん幸せだ」という愛着(絆)を感じ始める。そのことが「社会性」(発達)の第一歩に他ならない。だとすれば、「抱きしめ法」の眼目は、まず母親が子どもを抱くことによって「幸せ」を感じること、次に、その「幸せ」(感)を子どもに「身体接触」(密着)を通して伝えることであろう。「自閉症児」と呼ばれる子どもの母親にとって、今問われていることは、そのことに他ならない。(2013.12.29)