梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

内閣府世論調査の《嘘》

 東京新聞4月4日付け朝刊・22面 「こちら特報部」の記事によれば、内閣府が1日発表した「社会意識に関する世論調査」で「現在の社会に満足している」と答えた人が過去最高の66%に達したという。調査の対象は18歳以上の1万人で有効回収率は59.9%であった。この結果から、国民の66%が「現在の社会に満足している」と勘違いしてはならない。内閣府の調査対象は1万人、回答者はおよそ6千人、そのうちの66%、およそ4千人が「満足」しているに過ぎない。つまり、1万人のうち「満足」は、(多く見積もっても)40%だったということが示されているのである。
 また、同記事には「社会への満足度」の推移という折れ線グラフも載っている。それを見ると(民主党政権時の)2012年には40%台であったが、(第二次安倍政権発足時の)2013年には50%を超え、以後上昇を続け2017年には65.9%という数字が示されている。政府は、第二次安倍政権以降、国民の満足度が「うなぎ登り」に上昇していることを強調したいのだろうが、あまりにも見え透いた「世論調査」(世論操作)である。内閣府は1月~2月、戸別訪問方式で調査を実施したのだから、当然「人為的な操作」も可能である。今、はやりの「忖度」も垣間見られる。
 一方、「検索サイト『ヤフージャパン』が内閣府の調査発表を受けて、ネット上で同じ質問をぶつけたところ、3日午後6時半時点で約2万8千人から回答が寄せられ、「満足」は27.4%、「満足していない」は72.6%という結果」(同記事)だったそうである。
 どちらの結果を信じるかは「個人の自由」だが、いずれにせよ「現在の社会に満足している」国民は40%に過ぎないことは確かである。「66%」という虚妄な数字に騙されてはいけない。(2017.4.4)

白紙領収書「慣行」の《怪》

 10月6日の参院予算委員会で菅官房長官、稲田防衛相は、出席した政治資金パーティーで主催者から白紙の領収書を受け取り、金額や日付けは後から自らの事務所で記入したことを認めた。それは国会議員の「慣行」であり、高市総務相も「規制法に領収書の作成方法は規定されておらず、法律上の問題は生じない」との見解を示したそうである。(東京新聞10月7日付け朝刊1面)しかし、白紙領収書に水増しの金額を記入すれば違法である。
 規制法に領収書の作成方法が規定されていないのは何故か。領収書とは「代金を受け取った者が支払った者に対して金銭を受け取ったことを証明する書類」であり、そこに金額や日付けが記入されていなければ、ただの紙切れに過ぎない。受取人が領収書に金額、日付けを記入することは当然至極のことだからこそ、あえて作成方法を規定する必要など無いのである。それが《世間の常識》である。白紙領収書のやりとりを「慣行」だと強弁する国会議員の面々は、自らの厚顔無恥を自覚できず、すでに選良としての資質・資格を失っているのだ。加えて、その「慣行」の理由を、「多くの出席者がいるパーティーで短時間に領収書を作成することが難しい」などと弁明するようでは、まさに「語るに落ちた」典型で、図らずも当該議員連中の事務処理能力不足を天下に露呈しているに過ぎない。
(2016.10.7)

安倍首相・真珠湾スピーチの「空虚」

 昨年末の28日、 安倍首相は真珠湾を訪れ「全ての、米国民」に対して哀悼の演説を行った。その内容はおおむね以下のように要約されるだろう。
①(“リメンバー・パールハーバー”という米国民の感情に寄り添い)日本国総理大臣として「哀悼の誠」を捧げる。
②敗戦後、日本人は「不戦の誓い」を貫き、その「不動の方針をこれからも貫いて」いく「決意」である。
③米国は、日本人に対して「善意と支援の手」「寛容の心」を示してくれた、そのことは子孫に語り継ぎ忘れることはない。
④今、私は「オバマ大統領と共に、世界の人々に対して」「和解の力」を訴えたい。
⑤世界は「戦争の惨禍を」「いまだに」繰り返し、「憎悪が憎悪を招く連鎖」はなくならない、今こそ「寛容の心、和解の力」を必要としている。
⑥日米同盟は、そのことを「世界に向かって訴え続けていく任務を帯びている」『希望の同盟』である、
⑦パールハーバーは「寛容と和解の象徴」である、世界中の人々がそのことを記憶し続けてくれることを願い、そのための努力を続けていくことをオバマ大統領とともに誓う。


 はたして、安倍首相はこの内容を「理解」しているのだろうか。《自分で何を言っているのかわかっているのか》とは、ドラマなどでよく聞かれるセリフだが、それがピッタリ当てはまるようなスピーチであった、と私は思う。まず第一に、〈②敗戦後、日本人は「不戦の誓い」を貫き、その「不動の方針をこれからも貫いて」いく「決意」である。〉は《嘘》に等しい。安全保障関連法案で自衛隊の武力行使を容認し、憲法改正を悲願としている安倍首相の言葉とは思えない。日頃、口にしている「テロとの戦い」も放棄し、テロリストに対しても「不戦の誓い」を貫くのであろうか。安倍首相の言う「世界中の人々」にテロリストは含まれいないのだろうか。・・・まさに「言行不一致」の典型である。第二に、再三、同席者のオバマ大統領を名指し「オバマ大統領とともに」という文言を繰り返しているが、大統領の任期はまもなく終わる。その大統領「とともに」誓ったとしても、その誓いは「期限切れ」になることは必定である。安倍首相は自らを「日本国総理大臣」と名乗っているのだから「米国大統領とともに」と言わなければ意味がない。はたして、次期大統領とも《ともに》誓うことができるのだろうか。それとも次期大統領に「寛容の心、和解の力」を求めるメッセージだとでも言うのだろうか。・・・まさに曖昧模糊とした「政治家特有」の文言なのである。
 ことほどさように、安倍首相の演説は《空虚》であった。もし「不戦の誓い」を貫くのであれば、「日本国憲法では、永久に戦争を放棄している。したがって、いかなる武力紛争にも加担しない。憲法第九条こそが『寛容と和解の象徴』である。」ことを表明するべきであった、と私は思う。(2017.1.1)