梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

尾見茂会長の「正念場」

 4月1日のYahooニュースに以下の記事が載っている。
〈政府は1日、新型コロナウイルス感染症対策本部会議を開き、大阪、兵庫、宮城の3府県を対象に「まん延防止等重点措置」を適用すること決めた。基本的対処方針分科会の尾見茂会長は記者会見で、4月から開始が予定されている高齢者へのワクチン接種が終わるまでが「正念場」だと述べた。〉
 為政者、専門家、マスコミは、未だに「感染者数」(PCR検査陽性者数)の《増減》をメルクマールとしているようだが、「疫病」を考えるうえで最も重要なことは、その病気で《何人死ぬか》(致死率)ということだろう。
 毎日、何人の人がコロナ(が原因)で死んでいるか、ということは、厚生労働省が「死者が陽性者であればすべてカウントするように」という通達を出しているので、正確にはわからないが、多いときで1日当たり100人台、最近は50人未満で推移していることはわかる。
ちなみに3月31日から4月1日にかけての死者数は18人、これまでの累計は9207人(感染者の累計は47万8415人)であった。(「東京新聞」4月1日朝刊・「国内の新型コロナウィルス感染者」による)
 この数値が多いものやら少ないものやら、ただ数字を眺めているだけではわからない。
 まず、致死率(死者数の累計の感染者の累計に対する割合)は1.9%である。感染者100人に対して2人が死ぬという計算になるが、どう考えても、この疫病によって「バタバタ死んでいく」という状況ではない。
 次に、1日当たりの死者数は多いときで100人台、平均で30~40人だとすると、(死者数の全体は1日当たり3500人といわれているので)、死者数全体の1%前後、多くても3%程度だということがわかる。つまり、毎日97%の人たちがコロナ以外の原因で死んでいるということだ。ここでも「新型コロナウィルス感染症」という病気が、きわめて深刻・重篤な結果をもたらすことはない、ということがわかる。
 にもかかわらず、為政者、専門家、マスコミが《そのことに触れずに》「感染者数」だけを取りざたしているのは何故か。この疫病を《利用》して、様々な「権益」を得ようとしているからであろう。特に、ワクチンが問題である。政府は何故《無料》でワクチンを国民に打とうとしているのか。まさか、国民一人一人の生命を《本気》で守ろうとしているわけではあるまい。コロナの場合、「ワクチン」と称している薬剤は、実はワクチンではないことが判明している。ワクチンではないものをなぜワクチンと称しているのか。しかもそれを《無料》で提供するというのだから、怪しい。その説明をすることなく、専門家の尾見会長は〈4月から開始が予定されている高齢者へのワクチン接種が終わるまでが「正念場」だと述べた〉そうだが、彼はつねに「正念場」という言葉を使って、国民の不安を煽り続けてきた。もしかして自分の地位、身分、権益が守られるかどうかの「正念場」だったりして・・・。嗤うほかはない。
(2021.4.2)

「東京大衆歌謡楽団」の《魅力》

 ユーチューブで「東京大衆歌謡楽団」の演奏風景を観た。場所は東京・浅草神社の境内、黒山の人だかり(聴衆)の真ん中とおぼしきところで、7人の男性が演奏している。そのうち、「東京大衆歌謡楽団」のメンバーは4人、他の3人は「浅草ブルースカイ・ハモニカバンド」のメンバーで、4人の演奏を応援しているらしい。
 どのメンバーも一人ひとりが「誠実に」自分のパートを務めており、皆、輝いている。「東京大衆歌謡楽団」の4人は壮年の兄弟で、○太郎(昭和58年生まれ?)が歌唱、○次郎(昭和60年生まれ)がアコーディオン、○三郎(昭和62年生まれ)がベース、○四郎(平成元年生まれ?)がバンジョーを担当している。応援の3人は、いずれも昭和中期に生まれた初老の風情で、ハーモニカ、ギター、ドラムを担当する。
 「東京大衆歌謡楽団」のキャッチフレーズは《昭和を令和に歌い継ぐ》ということで、昭和末期に生まれた 4兄弟が、前世代から受け継いだ「昭和歌謡」の真髄を、淡々と(あるときは粛々と)披露する。歌唱を担当する○太郎は、ロイド眼鏡に燕尾服といった昭和のモボスタイルで、礼儀正しく、歌声(クセのない美声)にも「昭和のぬくもり」が感じられて厭きない。レパートリーは広く、東海林太郎、藤山一郎はもとより、松平晃、霧島昇、ディック・ミネ、楠木繁夫、小畑実、田端義夫、岡晴夫、近江俊郎、津村謙、春日八郎・・・などなど、時には神楽坂はん子まで、「朗々と」歌い通すのだ。彼らの演奏を聴いていると、自然に体が揺れ出し、手拍子を打ちたくなる。その証拠に、黒山の聴衆のほとんどが、体でリズムをとりながら手拍子を打っている。時には「間の手」も打ち、「声」も掛ける。あの「大衆演劇」と同様に、大きな元気をもらうことができるのである。
 ユーチューブでは、彼らの演奏を聴いている人々の姿も映っており、そうした聴衆も輝いている。まさに、演奏者と聴衆が「一つ」になって、《昭和を令和に歌い継》いでいる風景だ。中でも、幼児の手を引いた若い両親が目を引く。幼児もまた両手を叩いているのだから、着実に昭和の歌声は令和の世代に引き継がれていくだろうと、(私は)確信する。
 「東京大衆歌謡楽団」の演奏にはクセがない。だから30分に10曲のペースでも、聴いていて疲れない。むしろ、聴けば聴くほど力が沸いてくる感じだ。演奏にはクセがないが、《クセになる》魅力なのである。疑いあらば、ユーチューブでご御照覧あれ!昭和世代の人ならば、間違いなくハマりますぞ・・・。
(2021.3.31)

今年の桜

 今年の桜は、平成という「平和」な時代を愛おしむかのように、なぜか散り急がない。いつまでも平和であってほしい。そうした願いが桜にもあるのだろうか。いや、いや、そうではなさそうだ。来年は目にすることができないだろう私のために、できるだけ永くその艶姿を見せてくれているのではないか。そんなことを思いながら、懲りずに、いつもながらの駄句を詠む。
■    冷雨しとしと満開の花散れず
■ 病室の窓に名残の花吹雪
■ これでもう見納めだろう花筏
■ 満開の桜に語る「暇乞い」 
■ 余命知り満開の花まだ散らず
■ 散り厭う花の心は読み取れず
オ・ソ・マ・ツ!
(2019.4.10)