梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

テレビの「品格」

テレビの「品格」
 民放テレビ番組(「秋の教育スペシャル」・11月11日・フジ)の中で、ある中学校の取り組みが紹介されていた。生徒を信頼して、定期試験には監督者を置かないという。また、生徒会が文房具の「無人販売」を担当し、売上げ金額の誤差が0円になることを目標にしているという。いずれも、社会生活を送るうえで、「私たちが相互に信頼し合う」ことが大切であるという「意識」を養うためであろう。この取り組みをどう評価するか。進行役のビートたけしは、「その信頼は学校の中だけのことに過ぎない。社会に出れば通用しないだろう」と言った。一方、「爆笑問題」の太田光は、「教員が本当に生徒を信頼しているのなら、テスト自体をしなければよい」と言った。その場の一同は「爆笑」したが、その「爆笑」こそが「問題」であると、私は思う。「中学校で定期試験があることは当然である」という常識、「学校内の信頼など無力である」という思い上がり、見下しが社会に蔓延している。その先棒をかついでいるのが、他ならぬテレビ関係者であることを証明していた。引退した久米宏が、「テレビは国民の鏡。低俗な内容は国民がそれを求めているから・・・」のような発言を「他人事」のようにしていたが、その無責任さこそが、テレビの「品格」を象徴しているのである。子どもたちが「見ている」のを承知の上で、視聴率稼ぎのために「低俗な番組」(大人同士の悪ふざけ、からかい、いじめ、やらせ等)を流し続けてきたテレビ関係者の責任を、国民に転嫁することができるだろうか。民放番組が、スポンサーの「提供」(プレゼント)で作られ、無料で視聴できるからといって、国民が「得」をしているわけではない。見えない「受信料」は、しっかりとスポンサー商品の価格の中に組み込まれている。正に「タダより高いものはない」のである。
 テレビの「品格」を高めるためには、民放各社が「受信料」を徴収し、「番組」自体の売上競争を展開することが必要である。そのことによって、間違いなく「番組」の質は向上するだろう。国民の感性は、テレビ関係者が考えているほど「低俗」ではない。
(2006.11.14)