梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

新釈・男と女の物語・《「古事記」》

 男と女の物語は、「恋」をテーマにしなければ成り立たない。語る方も、聞く方も、それを一番に望んでいるからである。「恋」とは、「相手を必要と感じる」ことであるが、その思いが成就されることは容易ではない。 


第一話・イザナギ・イザナミ
 「古事記」の冒頭には、イザナギ、イザナミという男女の物語が記されている。以下、私の脚色を加えて紹介したい。二人は「恋」をして愛し合ったが、「国造り」という仕事があったために、四十人もの子供を産まなければならなかった。当初は、「子造り」の方法が不具合で、子は産まれたが育たなかった。「天の神々」に相談すると、「女が先に『好き』と言うのはよくない」と助言された。そこでイザナギの方から「ああ、何と素晴らしい女(ヒト)なんだろう、好きだよ。」と言って「子造り」を行った結果、「淡路島」が生まれ、以下「四国」「隠岐」「九州」「対馬」「壱岐」「佐渡」「本州」という順に「国造り」を順調に達成することができたのだった。その後も二人は、「子造り」に励み、島ばかりでなく、「石」「土」「砂」「家」「海」「河」「波」「分水嶺」「峡谷」「霧」「船」「食物」などを司る神々を産み続けたが、第三十三番目に・カグツチという「火之神」を出産した時、突然、災いがやって来た。イザナミは体調をこわし(産道に火傷を負い)、それもとで「黄泉の国」へと旅だってしまった。イザナギは、「たった一人の子のために、私の愛しい妻は逝ってしまった」と悲嘆にくれ、泣きながらカグツチを斬首する。しかし、それでも苦しみは増すばかりでがまんできない。「もう一度、イザナミに会いたい」という一心で「黄泉の国」までやってきた。イザナギは、イザナミが葬られている墓の入口で叫んだ。「私の大好きな愛しい女(ヒト)よ、あなたと共に造った国はまだ完成していません。帰ってきてください」
すると、中から、なつかしいイザナミの声だけが聞こえた。
 「くやしい。もう少し早く来てくれれば黄泉の国の食べ物を食べずに済んだのに・・・。この国の食べ物を口にしたら、もう帰ることはできないの。」
 イザナギは、その場に倒れ込み、耐えていた。心の中で「そうか・・・。でも私は諦めない。イザナミよ、思い直してくれ。一目だけでも会いたいのだ」と叫びながら。その気配を感じたのか、再びイザナミの声がした。
 「・・・・。でも、私の大好きな愛しい男(ヒト)よ、こんなところまでよく来てくれました。私ももう一度あなたと「国造り」がしたいのです。帰りたい・・・。しばらくの間、黄泉の国の神々に相談します。待っていてください。一つ約束です、その間、絶対に私の姿を見に来てはいけません・・・。」
 イザナギは狂喜した。「イザナミに会える。イザナミと一緒に帰れる。もう少し待っていれば夢が叶うのだ」
イザナミの声が消えてから、どれくらいの時間が経ったろうか。何の反応もない。でも、イザナギは待った。待って、待って、待ち続けた。時間だけが無為に過ぎていく。
(イザナギは、過ぎ去った「国造り」の日々を思い出していた。初めての子は、弱々しかった。慈しみ育てたが三年経っても歩くことができない。このままでは、二人の「国造り」という仕事は頓挫してしまう。「葦の船」に乗せて、流し去ることにした。イザナミは泣いていた。その愛しい姿が今でも目に浮かぶ。二人目は「淡島」と名付けたが、死産だった。「天の神々」によれば、「子造り」の失敗は、すべて自分の責任だ。どうして私の方から「好きだよ」と声をかけなかったのだろう。そのために、イザナミの大切な子を二人もなくしてしまったのだ。私の「意気地なさ」が彼女を不幸にしてしまう・・・。)
 あたりは、真っ暗になっていた。イザナギの心に、ふと小さな「不安」が生じた。このまま待っていていいのだろうか。今、イザナミは何をしているのだろう。私は彼女を「黄泉の国」から救い出したい。何もしないで待っているだけでいいのだろうか。イザナミは「黄泉の国の神々と相談する」と言った。黄泉の国の神々は、彼女にどんな助言をしているのだろうか。時間がかかりすぎる。
イザナギは、焦り始めた。このままでよいのか。私は何もしなくてよいのか。また、私の「意気地なさ」が彼女を不幸にしてしまうことはないか。黄泉の国の神々の言葉が聞こえるような気がした。「イザナミよ、あなたの方から出ていくことはない。あなたの愛しい男(ヒト)が迎えにくるまで、待つのだ。・・・。もしあの男があなたを本当に必要としている(愛している)なら、こんなに長く待てるはずがない。・・・。もう、イザナギはあなた達の造った国に帰っていったかもしれない。」
 そんなことはない。私は今、こうしてイザナミを待っているではないか。
イザナギの不安は膨れあがった。「黄泉の国の神々が、イザナミを騙している!?」
イザナギはもう待てなかった。再び、私の「意気地なさ」が彼女を不幸にしてしまうことは、がまんできない。私は「意気地なし」ではないのだ。絶対に彼女を救い出す。イザナミよ、待っていてくれ、今そこに行くから・・・。
 イザナギは、髪に挿した櫛を手に取ると、それに灯をともして墓の中に入っていった。真っ暗な闇の中を、小さな灯をたよりにゆっくりと進む。プスプスプスという異様な声がする方に灯を向けると、イザナギは仰天した。そこに横たわっていたのは、全身が蛆虫に食い荒らされた老婆の腐乱死体であった。「これは、イザナミではない!!」、直感したイザナギは出口に向かって逃げ出した。その瞬間、「よくも、私に恥をかかせたわね」という声が追ってきた。まぎれもないイザナミの声である。そんなはずはない。あのイザナミが、あんな老婆の姿になるわけはない。イザナミはどこにいるのか。イザナギが振り向くと、追いかけて来たのは黄泉の国の「醜い女」たちであった。イザナギは髪の毛に乗せている蔦の冠を投げつけた。冠はたちまち葡萄に姿を変え、女たちはその実を拾って食べ始めた。その間にイザナギは必死に逃げた。女たちは、食べ終わるとまた追いかけてくる。早い早い、イザナギは瞬く間に追いつかれてしまった。今度は、髪にもう一本残っていた櫛を投げつけた。櫛はたちまち筍に姿を変え、女たちはそれを抜いて食べ始めた。イザナギは、その間に、逃げに逃げた。しかし、追っ手は執拗だ。今度は、黄泉の国の兵隊千五百が怒濤のごとく押し寄せてくる。イザナギは腰の剣を抜き、後ろ手に振り回しながら、逃げ続け、やっとのことで国境までたどり着いた。そこには、豊満な実をたわわに実らせた桃の木が一本生えていた。イザナギはその実を三個もぎ取って、追っ手に投げつけた。桃の実は悪霊邪気を振り払うといわれるとおり、追っ手は、蜘蛛の子を散らすように、ことごとく逃げ去ったのである。
 イザナギは一息ついた。でも気がかりなのはイザナミのことである。「私の愛しいイザナミはどこに行ってしまったのだ。あの時、たしかにイザナミの声がした。『よくも、私に恥をかかせたわね』、声の調子は怒っていた。私は、イザナミにどんな恥をかかせたのだろうか。イザナミはなぜ怒っていたのだろうか・・・。もう私にはわからない。」そんな自問自答を繰り返しながら、イザナギの意識は朦朧となり、いつしか深い眠りに陥った。夢の中でイザナミが微笑んでいる。「私の愛しい男(ヒト)、よくこんな所まで来てくださいました。ありがとう。私が愛した男(ヒト)はあなただけでした。だから、もう一度、あなたと国造りがしたかった。でも、今となっては叶いません。あなたは、どうして私の姿を見てしまったの。あれほど、約束しておいたのに・・・。」イザナギは夢の中で答えた。「私の愛しい女(ヒト)よ、私はあなたの姿など見ていない。私が見たのは醜い老婆の屍だ。私はあなたを救い出すために墓の中に入ったのだよ。でもあなたを見つけることはできなかった」イザナミは寂しそうに微笑みながらつぶやいた。「あなたは黄泉の国を知らない。その老婆こそ私の姿なのです。もし黄泉の国から出られれば、昔の姿に戻れたのに・・・。あなたは私の姿を見て逃げました。もうどうすることもできません。終わりです。さようなら。」
 ふと気がつくと、国境の向こうにイザナミが、なつかしい「昔の姿」で立っていた。しかし、加えて、その坂道は、千人で引かなければ動かせないような巨大な岩石で塞がれ、二人の行き来を完全に阻んでいる。 
 かくて、イザナギとイザナミの「恋」は終焉を迎えたのである。


 二人の「恋」が成就しなかった原因は何だろうか。
私見によれば、それは、男の「衝動」と「錯覚」である。イザナギは、三十三番目に生まれた「火之神」・カグツチを斬首した。カグツチを出産したことがイザナミの死を招いたことは疑いない。だが、イザナギとイザナミは、「国造り」という仕事のためにカグツチを生んだのではなかったか。「火之神」が「国造り」にとって不可欠な存在であることは言うまでもないことだろう。明らかに、イザナギは冷静さを失っていた。イザナミにしてみれば、文字通り「腹を痛めて」生んだ我が子を、一時の「衝動」にかられて抹殺した夫に失望したかもしれない。でも、そのことを責めたりはしなかった。
 イザナギの「錯覚」は、まだ続く。その一に、自分を「意気地なし」と見誤ったことだ。彼が当初の「子造り」に失敗したのは、「無知」だったからに過ぎない。事実、「子造り」の知識を得てからは、四十もの神々を次々と産み出すことができたのだから。また、「もう一度、イザナミに会いたい」という一心で「黄泉の国」に出向く行動力をみても「意気地なし」ではなかった。イザナギは、ただひたすら、いつまでも、待ち続ければよかったのだ。世の中には、自分一人の力ではどうすることもできないことが、たくさんある。そのことに彼は気づかなかった。「黄泉の国の神々が、イザナミを騙している!?」という「錯覚」は致命的であった。(もともと、黄泉の国の神々など、イザナミの他に存在しなかったことは、後になってわかることだが・・・。<注>「故、その伊邪那美命を号けて黄泉津大神と謂ふ」(「古事記」・岩波文庫28頁)
 その二に、イザナミの屍(醜い老婆)を「イザナミではない」と見誤ったことだ。彼は夢の中でイザナミに弁明した。「私はあなたの姿など見ていない。私が見たのは醜い老婆の屍だ。」こと、ここに至って、イザナミの望みは絶たれ、言うべき言葉を失っただろう。何を言っても、あなたには通じない。これから先、二人の世界が相容れることは、決してないのだ・・・。「あなたは、いったい何を見ていたのですか。誰だって、自分の醜い姿を見られたくない。だから、あれほど約束しておいたのに。あなたには、私の「心」が見えていなかった。そのことにあなたは気づかない。あなたは「醜い老婆」と言い捨てましたね。そう、私は「醜い」のです。あなたは「醜い私」から目をそむけた。もう「私を必要と感じていない」証拠です。私には、あなたの「心」が見えるのです。私もまた、「醜い私」を「必要と感じていない」『あなた』など『必要としていない』のです。でも、こんな話、あなたにはおわかりいただけないでしょうね。今は、何を言ってもむなしいばかりです。これで終わりにしましょう。お別れします。さようなら」
 そのとおり、イザナギには、イザナミの「心」がまだわからない。
その「不可解感」「錯覚」は、今の時代の「男」にまで「脈々と」受け継がれているようである。(2006.6.1)