梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

《「聞く力」を育てるために》・おわりに・「いくつかの留意点」

おわりに


最後に、いくつかの留意点を話したいと思います。
 ① 指導者は、自分の「声」が、子どもにとって「最も聞きやすい音」であるかどうか、つねに「確認」していなければなりません。私は、当初、指導の場面で「よーく、聞いてください」ということばを、何回も繰り返していました。それを見た、ある校長先生が、「そういわなくても、よーく聞くようにならなければ、指導とはいえない」と助言してくださいました。全く、そのとおりだと思います。指導者は、今、自分が発した声が子どもに聞こえたか、ことばとして伝わったかを「瞬時」に判断できなければならないと思います。そのためには、子どもの「表情」を見逃さないことが大切です。「聞こえたとき」「伝わったとき」、「表情」(特に目)が輝きます。自分の「声」は、聴力検査の「検査音」であり、また何よりも重要な「教材」であることを銘記する必要があるでしょう。
② 学習場面で、子どもが「あくび」をすることがあります。そんな時は、ただちに、その活動は中止しましょう。指導者の「負け」です。子どもの「責任」ではありません。「つかれた」「つまらない」「わからない」「よく聞こえない」、いずれにせよ、学習の「効果」は全く期待できません。指導者には「計画通りやらなければならない」という気持ちがあるので、「もうすこしだから、がんばってやろうね、我慢も、勉強のうち」などと強行することもありますが、自己満足にすぎないことを銘記する必要があるでしょう。
③ 聴覚障害がある場合、「聞く」ことに「集中持続できない」ことは当然です。しかし、そのことが「見る」ことにも影響を及ぼしている場合があるので、注意が必要です。私が出会った、ある子ども、小学校5年生の時、は次のような作文を書いています。
<きょう、私は知った。何を知ったのだろうか。それは「I子」という人間のことだ。I子という人間はとっても考え深い人だ。なぜわかったかというと、この前、先生がI子さんへの手紙があるでしょう。あれをI子さんは、今でもよんでいるんです。 そのよみ方に私は感心したんです。I子さんのよみ方は、一字一字よむごとにじっくり考えて先生の気持ちやみんなの気持ちをしろうとしているのです。私のよみ方はただ童話をよむときと同じようにぺらぺらとよむだけで「あ、わかった」というだけだ。それなのにI子さんはその二十倍も百倍もしろうとしている。そのI子さんのしんけんなしりたがり屋に感心してしまった。みならおう!I子さんのいいところを.。>
この子どもは、聴力90デシベル以上の「高度難聴」のため、相手の話を「読話」で理解しなければなりませんでした。「読話」は、唇の動きを「見続け」、その意味を「瞬時」に判断する活動ですが、「文章」を読むときにも「読話」の方法で「文字の羅列」をたどっていることが窺われます。「ぺらぺらとよむだけ」であり、場合によっては、「斜め読み」になっているかもしれません。
はじめにも述べましたが、「視覚依存」の学習パターンは、「見る」活動そのものを「おろそか」にするおそれがあります。
今回は触れませんでしたが、「見る力」にも、「感度」「弁別力」「記銘力」「分析力」「統合力」「構成力」といった過程があります。(「ITPA言語学習能力診断検査」には「視覚回路」の内容があり、それらの能力を測定することができます)聴覚障害児の「見る力」の実態を見極め、「問題」があれば、それを軽減する活動に取り組むことが大切です。
私自身は、「塗り絵」「ピクチャーパズル」「線引き」「パズルボックス」「文字の視写」などの活動に取り組みました。 特に、それらの活動を通して視覚的な「集中持続力」を養いながら、同時に「単語を復唱する」という聴覚的な活動を「併行」することによって、「目」「耳」「手」の「協応」がスムーズにできるようにしようと考えました。日常生活の場面では、「見ながら聞く」「聞きながら見る」「何かをしながら聞く」「聞きながら何かをする」という活動がほとんどでしょう。「情報の同時処理」能力を養うことが大切だと思います。


 今、学校現場では「特別支援教育」という考え方が導入されています。文部科学省の調査によると、「特別な支援」を必要としている子どもたちが、約6%いるということです。昔、「言語障害児」の出現率は約5%といわれていました。では、その6%の中に、「言語障害児」は含まれているのでしょうか。「当然含まれている」と、私は思います。かつては、「言語発達の遅れ」といわれていた障害が、「学習障害」(LD)という名称になったからです。かつて「言語治療教育」と呼ばれた内容は、「特別支援教育」の「一部」に他なりません。「特別支援教育」は、日本の学校教育において四十年前から始まっていたのです。その拠点は、全国の学校に設置されている「言語治療教室」(言語障害特殊学級)だと思います。「特別支援教育」が、理念ではなく「方法」として確立することを念願しています。(おわり)