梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「死ぬ」ということ・3・《また「振り出し」へ》

 もうすぐ春だ。でもこの冬は、友人、知人、同世代を生きた知名人たちが「バタバタ」と斃れて逝った。これまでの「三人称の死」(他人の死)が、「二人称の死」(身近な君の死)になり、やがて「一人称の死」(私の死)になるはずだが、まだ(遺書を除いて)「自分の死」を記した人はいない。記そうにもその能力が喪失してしまうからだ。
 したがって、「自分の死」は、「生きている」ときに、あくまで想像の次元で記すほかはない。私は安らかに、文字通り「眠るように」死ぬだろう。「死」とは、もともと安らかで穏やかなものである。苦しいのは「生きている」からである。「病んでいる」からである。「死」はそれらの苦しみから解放される唯一の手段(最後の切り札)なのだ。 
 私の祖母は昭和27年の大晦日、流行性感冒に罹り72歳で死んだ。私の父は昭和48年の冬、胃癌のため67歳で死んだ。母は昭和20年の春(私を出産4か月後)、39歳で死んだ。母の死については全く記憶がないが、祖母と父の死は鮮明に憶えている。いずれも、安らかに「眠るように」死んだ。だから、私もそのように死ぬはずである。
 私は現在74歳、祖母、両親の享年をとうに超えている。そのことに感謝しなければならない。また、私が「生きるため」に、犠牲になった人々も数多くいるだろう。その人たちに詫びなければならない。これまで(還暦以後)「いかに生きるか」ではなく「どう死ぬか」が、私のテーマであったが、どのように死のうと「そんなことはどうでもよい」ことがわかってきた。「死」を覚悟して「生きる」ことが大切なのであり、「死ぬこと」自体からは何も生まれない。あらためて「どう生きるか」が問われなければならない。私の人生は、またまた「振り出し」に戻ったようである。(2019.2.18)