梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

《「聞く力」を育てるために》・2・「弁別力」

2 弁別力
 その2は、「弁別力」であります。「音を聞き分ける」ということです。「感度」が正常であっても、「弁別力」には個人差があります。「弁別力」は、周囲の様々な音を聞き、それらの「差異」を聞き分け、分類する能力ですから、生まれつき備わっているものではなく、生後の「学習」によって身につくものです。前にも述べましたが、「日本語を聞き分けられても、英語は聞き分けられない」という私の実態がそれを証明しています。私には「英語を聞き分ける」という学習が不十分だったのです。その結果、私の英語の「弁別力」は、ほとんど身についていません。
 さて、私たちは、まず「音」を「全体のまとまり」として、おおざっぱに「聞き分け」ます。まだ歩けない赤ちゃんは、耳だけが頼りです。「オルゴールの音」「チャイムの音」「掃除機の音」「足音」「お母さんの声」等々、生活の中で聞こえる音で周囲の物事を理解します。目が見えるようになると、「音がした方を見る」(キョロキョロする)という行動が目立ちます。「詮索反応」といいます。はじめは、物珍しいので、様々な音がするたびにそちらを見ますが、数ヶ月もすると、特別な音だけにしか興味を示さなくなります。音を聞くだけで、今、どんなことが起きているか「想像」できるようになるからです。  「弁別力」の第一段階は、「音」を聞いて、その意味を理解するようになるということです。言い換えれば、「音の世界」の中で生活できるようになり、そのことを通して、他人との「つながり」(音の意味を共有する)が生まれるようになるともいえるでしょう。 「弁別力」の第二段階は、今述べた、「特別な音」にだけ興味を示すようになるということです。では、特別な音とは何でしょうか。それは「人間の声」です。「人間の声」は、私たちの生活にとって、必要不可欠なものであることに気づきます。「お母さんの声」「お父さんの声」「兄弟の声」、それらは他の音に比べて一定ではありません。その時々によって、微妙に変化するのです。ただ「発声」しているのではなく、ことばを話している(「発語」している)からです。                             お母さんの「同じ声」でも、「マンマ」「ネンネ」は違います。その違いを聞き分けられるかどうか。さらに、その「マンマ」「ネンネ」という音は、お父さんの「違う声」でも「同じ」だと判断できるかどうか。
 「弁別力」の第三段階は、声の「異同」にかかわりなく、「マンマ」「ネンネ」という語音が「同じ」であることを理解できるということです。音響学的には、お母さんの「マンマ」と、お父さんの「マンマ」は全く違います。しかし、それが「同じ」であると判断できる(概念認知)ことによって、はじめて「ことばを聞き分ける」ことができるようになるのです。 
 「弁別力」の第四段階は、「音」を「全体のまとまり」としてではなく、「一音」「一音」に分析し、その「異同」を聞き分けられるようになるということです。「マンマ」「ネンネ」の「マ」と「ネ」は違う音だが、「ン」は同じである、というように。
 この「弁別力」を測定するために、「語音聴力検査」という方法があります。テープから聞こえてくる「ア」「キ」「シ」「タ」「ニ」・・・というような音(単音)を「一音」ずつ聞いて、それを筆記する検査です。音の大きさは「快適レベル」で行い、正答率が何パーセントであったかを測ります。正常である場合、40デシベルで100%ということになります。聴覚障害は、医学的には「伝音性難聴」と「感音性難聴」(混合性難聴)に分類されますが、「感音性難聴」の場合は、「快適レベル」であっても「キ」「シ」「チ」などの子音部を聞き分けることは困難であり、100%正しく聞き分けることはむずかしいでしょう。特に、各周波数の聴力に大きな差がある場合(高音急墜型など)には、不可能であることを理解する必要があります。一方、「伝音性難聴」の場合は、音を大きくするだけで「弁別力」が高まる可能性がありますので、「医学的所見」「オージオグラム」の結果を参考に、その実態を的確に把握することが大切です。
 昔は「聴能訓練」、今は「聴覚活用学習」といわれる内容は、この「弁別力」を養うことが目標とされていますが、その方法は専門的な知識と技術に裏打ちされたものでなければなりません。
まず、指導者自身が、相手の「聴力」「弁別力」の実態を理解し、つねに「快適レベル」で音を聞かせることができるかどうかが、問われます。最近では、補聴器が「耳かけ型」になり、「卓上補聴器」「定音圧訓練器」「聴力型聴能訓練器」などで、指導者が「音」を
モニターすることが少ないように見受けられますが、実際はどうなのでしょうか。指導者は、自分の声、教材として使われる音資材を、どのようにフィードバックしているのでしょうか。
 また、「聴覚活用学習」には、トレーニングの要素が含まれます。一定の教材を、繰り返し学習することが原則になります。そのためには、オープンリールの「テープレコーダー」は、不可欠の機器だと思われますが、今は市販されていないようです。各教室では、どのように調達されていますか。
 さて、「弁別力」を養うための「聴覚活用学習」は、どのように進めればよいでしょうか。まずはじめに、「耳を使う」という意識を養うことが大切です。今、「音がしているかどうか」を聞き分ける学習に、「いす取りゲーム」があります。音楽に合わせて歩き、音が止まったら、いすに座るというルールですが、聴覚障害がある子どもでも「ある程度までは」勝ち残ることができます。よく行動を観察すると、その子は、音を聞いていなくても、いすに座ることができます。他の子どもがいすに座ったら、自分も座ればよいからです。しかし、最後の二人になったときは、勝ち残れないでしょう。その子は、他の子の行動を「見る」だけで、音を聞いてはいないからです。「耳を使って」はいないからです。聴覚障害があれば、その代償手段として「目を使う」ことは当然です。その結果、生活の中で「視覚依存」の行動パターンが身についてしまっているのです。教室の中で、「よく聞こえるように」「よく集中するように」と座席を最前列にすることはありませんか。しかし、「後ろを振り向く」「キョロキョロする」など、かえって落ち着きがなくなる場合があります。その子の「情報収集」は、「見る」ことに重点がおかれているからです。
 「耳を使う」という意識を養うことは、「視覚依存」の行動パターンを打破することです。そのためには、「見せないで聞かせる」という方法が有効的だと考えられますが、その子にとっては、かなりの「苦痛」(ストレス、フラストレーション)が生じることを留意しなければなりません。それを軽減するためには、最初は「見せながら聞かせる」「聞かせてから見せる」「見せないで聞かせる」というステップを組むことが大切だと思います。「耳を使う」ことが、「楽しい結果」「喜び」につながるような工夫が必要です。
 つぎに、「聞き分ける音」の内容を整理します。
第一段階は、「音を聞いてその意味を理解する」ことです。様々な生活音(電話・チャイム・掃除機など)、雷、風、雨、波などの自然音、電車、飛行機、自動車、警笛など乗物の音、動物の鳴き声などを聞いて、それに該当する「写真」「絵カード」とマッチングする、といった活動が考えられます。
 第二段階は、「人間の声を聞いて、誰の声かを理解する」ことです。周囲の物音の中で、「人間の声」に「特別な関心」をもつようになれば、その声を聞いただけで、その人の顔が目に浮かぶようになります。母、父、兄弟姉妹、祖母、祖父などの家族の声、先生、友だち、「大人」「子ども」「男」「女」「店員」「アナウンサー」「外国人」等々の「声」を聞いて、それに該当する「写真」「絵カードとマッチングする、といった活動が考えられます。
 第三段階は、「ことばを聞いて、その意味を理解すること」です。前段階で、誰が話しているかを聞き分けられるようになりました。次は「何について、どんなことを話しているか」、その意味を理解するようになります。周囲の人は、当初、「聞き分けやすいことば」で話しかけます。「マンマ」「ワンワン」「ネンネ」「パンパン」「ブーブ」など、音が「繰り返し」含まれていることばで話しかけます。この段階は、母国語(言語)の学習において、きわめて重要な意味があると思います。音声に「意味」があることを理解する段階だからです。物音は、その事物を表すだけで、それ以上の意味はありません。私たちは犬の鳴き声を聞いて、そこに犬がいることを理解します。それは、具体的な事物を、具体的に理解する段階です。しかし、「ワンワン」という人間の音声を聞いたとき、そこに人間がいる(人間が話している)という具体的な事実を理解すると同時に、その人の頭の中には「犬」が思い浮かべられているという「想像」(イメージ)を「抽象的」に理解するのです。つまり、「聞く」「見る」という活動の対象が、具体的な物から抽象的な物へと広がります。言い換えれば、「見えない物を見る」(想像する)という段階です。「ワンワン」という人間の音声は、犬の鳴き声ではありません。にもかかわらず、その音声を通して、私たちは犬の鳴き声を思い浮かべ、犬の姿を見る(想像する)ことができるのです。視覚的な学習においては、実物、写真、絵、略画(記号)、文字というように、その対象が「抽象化」されていきます。同様に、聴覚的な学習においても、物音、声、単語(「擬音語」「擬声語」、「名詞」「動詞」「形容詞」)、句、文というように、その対象が「抽象化」されていくのだと思います。この段階は、「聞く」ことを通して、抽象的な学習が始まる「第一歩」の段階であり、だからこそ、きわめて重要な意味をもつと考えられます。「ワンワン」という擬声語を聞いて「犬」を想像できるということは、その子が、将来にわたって「ことば」を身につけることができるだろう、という可能性を証明することになるのです。
 さて、聴覚障害がある子どもに、この「第三段階」の学習を行う場合、どのような点に留意することが大切でしょうか。 
 はじめは、「楽器」「動物の鳴き声」などの「擬音語」「擬声語」を聞き分ける活動が有効的だと思われます。                              
<ステップ・1>
 タイコ、ラッパ、スズを目の前に置き、指導者が音を出して「見せ」ます。指導者が鳴らした楽器を「見て」、子どもも鳴らします(模倣)。どの楽器が、どんな音を出すかがわかった段階で、両者の間に衝立を置き、お互いの動きが「見えない」ようにします。指導者が、衝立の陰から、一つの楽器の音を出して「聞かせ」ます。子どもはこちらをのぞき込むかもしれません。そのときは、十分に見せる必要があります。もし、のぞき込まなくても、同じ音を鳴らせるようであれば、「楽器音を聞き分ける」ことができたのです。お互いの楽器を見せ合い「できたこと」を喜び合いましょう。次に、役割を交代します。子どもが楽器を鳴らし、指導者がその模倣をします。たまには、指導者が「わざと間違えて」、その子の「正誤弁別力」をたしかめる工夫も必要でしょう。学習の主人公は、子ども自身であることを確認するためです。
<ステップ・2> 
 指導者は、タイコ、スズを鳴らして「見せながら」、「トントン」「シャンシャン」という「擬音語」を「聞かせ」ます。ラッパは、楽器を見せながら「プップー」という「擬音語」を聞かせます。できるようになったら、ステップ・1と同様に、衝立をはさんで「模倣」をし合います。
 大切なことは、楽器の音ではなく「擬音語」を聞き分けられるようにすることです。はじめは楽器音→「擬音語」、次に「同時」、さらに「擬音語」→「楽器音」、最後に「擬音語」だけ、というように「聞かせる音」をきめ細かに「変化」させていく必要があります。
役割を交代したとき、子どもが自然に「擬音語」を発したとすれば、大成功です。もし、子どもが「楽器音」だけ鳴らしたとしても、それはそれでよいのです。「正しい反応」を要求し過ぎたり、できるようになったことをいつまでも続けていると、子どもの意欲が低下します。15分以内の活動内容を計画しましょう。「擬音語」だけで聞き分けられるようになったら、次のステップに進みます。
<ステップ・3>
 指導者は、「トントン・タイコ」「シャンシャン・スズ」「プップー・ラッパ」というように、「擬音語」のあとに「名詞」を「聞かせ」ます。 
 大切なことは、「擬音語」ではなく、「名詞」を聞き分けられるようにすることです。
徐々に「タイコ・トントン」「スズ・シャンシャン」「ラッパ・プップー」というように、「名詞」→「擬音語」の順に「聞かせ」、「名詞」だけでも「聞き分けられる」ようにします。つまり、「タイコ」「スズ」「ラッパ」という「語音」を「まとまり」(全体)として、聞き分けられるようにすることです。そのとき留意しなければならないことは、子どもの「聴力」の実態です。指導者は、その子どもが、それらの「語音」をどのように聞いているか、いつも念頭においておかなければなりません。聴覚障害がある場合、「語音」の「子音部」を聞き分けることは困難でしょう。しかし、「音節数」や「母音部」は「聞き分けられ」る可能性が高いと思います。「タイコ」は「アイオ」、「スズ」は「ウウ」、「ラッパ」は「アッア」というように聞こえていたとすれば、その「母音部」の違いを聞き分けることが、大きな「手がかり」になると思います。また、「アイオ」と「ウウ」では、はっきりと「音節数」が違うので、「聞き分けやすい」と思います。したがって、指導者は、それらの「違い」を子どもが「はっきり」と聞き分けられるように、「聞かせ方」(話し方)を訓練する必要があるでしょう。
 「動物の鳴き声」においても、「ワンワン」「モーモー」「コケコッコー」などの「擬声語」から「犬」「牛」「鶏」などの「名詞」を聞き分ける活動が考えられますので、皆さんで工夫してみてください。
 「名詞」を聞き分けられるようになった
ら、そのレパートリーを増やし、「聞く」という活動に対する「自信」を高めることが大切です。身の回りの生活用品、乗り物、食べ物、動物、植物、場所、建物、自然現象等々、数多くの「写真」「絵カード」が市販されています。それらを使って「名詞」を聞き分ける学習を「繰り返し」行うことが「弁別力」を高めます。「名詞」のレパートリーが増えてきたら、「動詞」「形容詞」も聞き分けられるようにしたいと思います。最近では「絵カード」ではなく、「動画」を使ったPC学習ソフトも開発されています。(例・『ことばの玉手箱』IBM)「音教材」としては改善の余地がありますが、工夫すれば有効的に活用できると思います。また、英語の学習教材としてCD、テープ付きの「絵カード」も市販されています。(例・『英語カード』くもん、『英語カルタ』研究社)これらは、「聞かせる」音声言語が、「単語」から「句」「文」へとステップ化されており、学習プログラムを計画するときの参考になると思います。
 以上、「音声言語」を一定の「まとまり」(全体)として聞き分ける活動について説明しました。 
 さて、第四段階は、「ア」「キ」「シ」「タ」「ニ」など、語音を「一音」ずつ「聞き分ける」ことです。この段階は、語音を「一瞬に」聞き分ける弁別力が必要であり、聴覚障害がある子どもにとっては、最も「困難」な活動だと思われます。私たちでも、英語の「R」と「L」を聞き分けることは容易ではありません。同様に、「シ」と「チ」「キ」を聞き分けることは、まず「不可能」と思った方がよいでしょう。前に述べた「語音弁別力」は、この能力を測定することですが、快適レベルで50パーセントの弁別能力があれば、かなりの音声言語を聞き分けられ、生活の中で「耳を使う」ことが可能だと思われます。
 日本語の音韻体系の特徴は、「等時的拍音形式」(時枝誠記)といって、そのリズムにあります。日本語の単語は「一音」「一音」の「長さ」が一定であることが原則です。「カラス」「ネコ」「スベリダイ」という単語の「一音」「一音」の長さは一定(直音)で、しかも、その「一音」「一音」を「一文字」で表すという特徴があります。(例外は、「長音」「促音」「拗音」「拗長音」などで、「東京」は「長音+拗長音」の「二音節」、文字は「トウキョウ」の「五文字」で表します。)「カラス」を「カーラス」「カラース」などと発音すれば、とたんに「日本語」ではなくなってしまうのです。いわゆる「外来語」は、外国語の音韻体系を日本語の音韻体系に「変換」したものであり、「バナナ」と言っただけでは、通じないかもしれません。
 日本語の音韻体系が「等時的拍音形式」であるということは、「聞き分ける」活動にとっては「わかりやすい」利点があると思います。「あ」という文字は、つねに「ア」という語音と対応しているからです。(英語の「a」は、その時々によって「ア」と読んだり「エイ」と読んだりしなければなりません。)
 語音を「一音」ずつ「聞き分ける」には、「木」「目」「歯」「毛」「手」など、一音節の単語を聞き分ける活動があります。しかし、今述べたように、それはたいへん「むずかしい」活動であることを、指導者は銘記することが大切です。また、そのためには「文字」という媒体が不可欠であり、まだ文字を習得していない段階では、困難な活動だと思います。(つづく)