梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

《「聞く力」を育てるために》・1・「感度」

谷俊治先生は、「聞く力」を七つの過程に分析して説明されておられます。


1 感度
その1は、「感度」であります。「どれくらい小さい音が聞こえるか」ということであり、いわゆる「聴力」であります。音は、物体が振動することによって生じます。それが空気を振動させ、その振動が人間の鼓膜に伝わり、内耳の聴覚神経を刺激し、それが脳に伝わったとき、私たちは「聞こえた」と感じることができます。その聞こえ始めた「最も小さい音」を0デシベルの大きさと言います。正常な聴力は、0デシベル以上の音を聞き取ることができます。注意しなければならないことは、この単位は人間の感覚をもとにして決められたものであり、物体が振動するときの「物理的な単位」ではないということです。
物体が振動しても、その振動が小さければ人間の耳には聞こえません。でも、音はしているのです。つまり、0デシベルは「音がし始めた」大きさではなく、「聞こえ始めた」大きさだということができます。(ただし、「音がし始めた」大きさを0デシベルということがあり、その場合は0デシベル・SPLという断り書きをすることになっています)
 人間の聞こえ方には「個人差」がありますが、0デシベルの音が聞こえれば、生活に支障はないということです。30デシベルの音が聞こえないと、ささやき声が聞こえにくくなり、40デシベルの音が聞こえないと、通常の会話が聞こえなくなる、90デシベルの音が聞こえないと、耳元での大声も聞こえない、と説明されています。また、一口に「音」といっても、様々な種類があります。「音色」「音質」などといわれていますが、音響学的には、それを「周波数」という基準で表します。生活の中で生じている自然な音は、様々な周波数が混合しており、いわゆる「雑音」といわれるものです。一方、専門家は、ある特定の周波数だけの音を人工的に作り出すことができました。それが「純音」といわれる機械音です。たとえば、テレビやラジオで使われる「時報」の音は「純音」(800ヘルツ)です。
 その人が「どれくらい小さい音がきこえるか」(感度)を調べる方法として、「純音聴力検査」があります。これは、125ヘルツ、250ヘルツ、500ヘルツ、1000ヘルツ、2000ヘルツ、4000ヘルツ、8000ヘルツの純音が、「どれくらい小さい音から聞こえ始めるか」を調べる検査です。人間の「話し声」は、250ヘルツから4000ヘルツの周波数だといわれているので、特に、その周波数に注目して「平均聴力」という値が設定されています。
 この検査を行うためには「オーディオメーター」という器具を使います。検査の器具や方法は様々ですが、要するに「音を聞かせて、その反応を見る」という点では共通しています。乳児に対しては、決められた周波数、決まられた大きさの音を聞かせ、「反射」(まぶた、手足などの動き)を観察します。幼児に対しては、音を聞かせて、その音源を探す行動(詮索反応)を観察します。学齢が近づく頃になりと、「音が聞こえたら手を挙げる、ボタンを押す」などの「条件付け学習」ができるようになるので、成人と同じ方法で検査をすることが可能になります。(いずれの方法でも反応が確認できない場合、専門家による脳波聴力検査という方法もあります)
 「音を聞かせて、反応を見る」ということは、口で言うほど簡単ではありません。こちらが音を出しても、相手が聞いているとは限らないからです。また、音を聞いたとしても、反応するとは限らないからです。「聞こえているかどうかわからない」という結果に終わることもしばしば生じます。 
 私の経験を反省すると、聴力検査は「再確認」のために有効ですが、その結果にだまされることがあるので、細心の注意が必要です。まず、生活の様子を「行動観察」することによって、「聴覚障害の有無」を判断することの方が大切だと思います。聴覚障害がある場合には、生活の中で「視覚依存」(眼に頼る、キョロキョロ見回す、相手の口元を見るなど)の行動が目立ちます。しかし、「聞こえる音」に対しては「的確に」反応します。一方、聴覚障害がないのに「音に反応しない」場合があります。「耳をふさぐ」「独り言を言う」などの行動が見られる場合には、まず聴覚障害はないでしょう。しかし、音に対して「敏感すぎる」という意味で「問題」が生じていることはたしかでしょう。「聞こえすぎる」ということは、「うるさい」ということですから、結果として「聞こうとしない」「聞こえない」ということと同じです。聴覚障害がある場合でも、「うるさい」ということがあります。音の聞こえ方は、周波数によって異なりますので、125ヘルツは0デシベルであっても4000ヘルツが90デシベルといった場合には、音は聞こえるが「はっきり聞こえない」という状態が生じます。音を大きくしても、はっきり聞こえるようにはなりません。そんな時は「うるさい」「聞こうとしない」「聞こえない」という結果になるでしょう。
 音の大きさには「快適レベル」があります。言葉や音楽を聴くときに、最も「心地よい」大きさという意味です。それは、聞こえ始めた最も小さい音より40デシベル大きい音、といわれています。したがって、聴力が0デシベル(正常)の場合には、40デシベルが「快適レベル」です。では聴力が80デシベル(聴覚障害)の場合はどうでしょうか。計算上は120デシベルということになりますが、実際は違います。90デシベルを超えると「痛覚レベル」といって、音を「痛い」と感じてしまうのです。「痛覚レベル」は、聴覚障害があってもなくても、同じといわれています。正常な場合には、0デシベルから90デシベルまでの大きさを「痛くなく」聞き分けることができますが、80デシベル以上の聴覚障害がある場合、「聞こえ始めた音」を10デシベル大きくしただけで、「痛い」と感じてしまうかもしれません。つまり、聞き分けられる音の大きさの幅が狭いのです。極端な場合には、「聞こえ始めたときはもう痛い」ということだってあるかもしれないのです。 
 聴覚障害の実態を的確に把握するということは、まず第一に、聴力(「感度」)を正確に測定するということです。第二に、「快適レベル」の大きさ、聞き分けられる音の大きさの幅を、正確に把握するということです。そのために、指導者は、「聴力検査」の技術を身につけなければなりません。前述したように、「聴力検査」は、相手に「反応してもらう」(反射・反応・条件付け)ことを前提としますので、相互の信頼関係が不可欠であり、検査者には、相手との豊かなコミュニケーション能力や、細心の観察力・洞察力が要求されます。いわば、「音」を媒介として、相手と「心のキャッチボール」をすることですから、「検査をしてやる」というような態度で接すると、正確な結果は得られないでしょう。その技術を習得するためには、数多くの経験を積み重ねることが大切だと思います。 私の場合、毎年、校内の「定期健康診断」の時に、全校児童の「聴力検査」(選別検査)を行いました。それが、たいへん役に立ったと思っています。(つづく)