梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「国技・大相撲」の終焉

 これまで連勝を重ねてきた横綱白鵬は、こともあろうに負傷再出場の御嶽海に対して「なすすべもなく」押し出された。付け人の肩を借りて花道を引き上げる御嶽海の姿を見ると、この勝負「はじめから決まっていた」と感じてしまう。明らかに横綱白鵬の「気力」は不十分、「わざとまけ」の典型であった。
 昨年秋の「貴乃花部屋」消滅、親方貴乃花廃業、年末の貴ノ岩引退、そして今場所の横綱稀勢の里引退をもって「国技・大相撲」は終焉を迎えたことになるだろう。今後、どんなに御嶽海、貴景勝、北勝富士、阿炎、阿武咲らが精進したところで「モンゴル相撲」に勝てるわけがない。事実、貴乃花以来、横綱になったのは稀勢の里を除けばすべてがモンゴル出身力士なのだから。私の独断・偏見だが「モンゴル相撲」に《相撲道》はない。「受けて勝つ」といった「横綱相撲」は存在しないのである。日馬富士の師匠は横綱旭富士だったが、朝青龍、白鵬、鶴竜の師匠は横綱経験者ではない。自分より格上に昇った弟子に対して「横綱相撲」を教えることは容易ではないはずだ。つまり、弟子は師匠の相撲を超えることはできないということである。白鵬の「張り差し」「かちあげ」「猫だまし」などは、格下力士の戦術であり「横綱相撲」にはない。それが《相撲道》というものであろう。
 近年では「モンゴル相撲」に限らず「大相撲」の世界でも《相撲道》は、時代遅れと敬遠され、各関係者には馴染まないようである。それならばそれでよい。日本相撲協会は公益財団法人として「太古より五穀豊穣を祈り執り行われた神事(祭事)を起源とし、我が国固有の国技である相撲道の伝統と秩序を維持し継承発展させるために、本場所及び巡業の開催、これを担う人材の育成、相撲道の指導・普及、相撲記録の保存及び活用、国際親善を行うと共に、これらに必要な施設を維持、管理運営し、もって相撲文化の振興と国民の心身の向上に寄与することを目的としています。」(日本相撲協会ホームページ「目的と運営」より引用)などと、大義名分を振りかざさずに、《公益》《国技》などという看板を捨て、純粋に《私益》を追求すればよいのである。現に、モンゴル出身力士の多くは「大相撲の興行」で得た私財をもとに相応の生活(社会的地位)を確保しているではないか。 とまれ、もう「国技・大相撲」の時代は(「平成」という元号とともに)終わったことはたしかである。
(2019.1.24)