大衆演劇・劇団素描「樋口次郎一座」(座長・樋口礼二郎)
【樋口次郎一座】(座長・樋口礼二郎)〈平成21年9月公演・ゆうパークおごせ〉)。 「演劇グラフ」(vol99・2009・9) によれば、〈樋口次郎一座 「樋口劇団」としての創立は昭和初期。九州における剣劇の第一人者であり、大スターであった初代・樋口次郎の時代から、剣劇・侍物を得意とするが、どんなジャンルの芝居においても観る者の心を揺さぶる二代目・樋口次郎の構成・演出は秀逸。毎日繰り返される稽古の厳しさも有名〉〈座長三代目・樋口礼二郎 昭和55(1980〉年12月8日生まれ。九州出身。血液型O型。初舞台3歳。「樋口次郎一門」総帥・樋口次郎の実子。7歳の時「橘菊太郎劇団」に入団。20歳で舞台を離れるが、父からの要請で「樋口次郎一座」へ入団。親も子もない厳しい稽古に耐えつつ、日々精進を重ねている。舞踊での可憐な女形にも人気が集まっている。座長 樋口征次郎 昭和41(1966)年8月12日生まれ。九州出身。血液型O型。初舞台20歳。「樋口次郎一門」総帥・樋口次郎の実子。平成18(2006)年、再び劇団に復帰し、弟の礼二郎座長とともに「樋口次郎一座」を牽引。「樋口次郎一門」の伝統的な舞台を引き継いでいる。お芝居はもちろん、舞踊ショーで魅せる侠気のある立ち役には定評がある〉とのことである。芝居の外題は「唐人お吉」。配役は、明烏のお吉・樋口礼二郎、船大工鶴松・樋口征次郎、棟梁・杵築竜也(?)、下田奉行・二代目樋口次郎、お吉の朋輩・小柳忍、三波若奈、といった面々で、なるほど舞台に隙がない。観客数わずか12名、客との呼吸がとりにくい状況だが、舞台は舞台、絵巻物のような名場面が次々と展開されていく。所々に「節劇」(唄・天津羽衣?)も挿入され、まさに創立以来の「伝統的なお家芸」といった風情で、その素晴らしさを堪能できた次第である。二代目・樋口次郎といえば、私が最も愛好する「鹿島順一劇団」の座長・鹿島順一の「師匠筋」に当たる。「演劇グラフ」(vol68・2007・2)の中で、鹿島順一は以下のように語っている。〈最初に預けられたところは二代目・樋口次郎さんが浅井礼二郎という名前でやっていた「浅井礼二郎劇団」で、樋口さんがまだ36歳くらいの時。そこで2年間修行しました〉〈旗揚げ当初は着物もかつらも自分のものしかなかったので、ゲスト時代にためていたお金でそろえていきました。その時、二代目・南條隆座長からはスピーカー、二代目・樋口次郎先生からは照明を頂きました〉。なるほど、歌・芝居・踊りの「三拍子揃った」、名優・鹿島順一の「原型」(礎・ルーツ)は、二代目・樋口次郎の「芸風」にあったのか、今日の舞台姿を見聞して、心底から納得したのである。さらに言えば、総帥はじめ総座長、座長が口を揃えて言うことにゃ、「お客様あっての役者稼業、私たちは、たとえお客様が一人でも芝居をします、毎日毎日が修行、どうか私たちにお芝居をさせてください。私たちを育ててください」だと。けだし名言、大衆演劇界の「至言」ではないだろうか。実力のある劇団ほど、観客数を「歯牙にもかけていない」ことの「証し」として噛みしめたい「言葉」であった。
(2009.9.15)
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