梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

出血性大腸憩室症の疑い・7

 今日の午前10時、駅前の病院から退院することができた。この病院は80年余の歴史があり、地域でも有名だ。医師、看護師、薬剤師、看護助手、ヘルパー、事務職員、調理師、調理員、清掃員に至るまでベテラン揃いだが、それだけにチーム・ワークという点では難がある。つまり、各自が自分の実力を信じて「協力・連携」(情報交換)がおろそかになるのだ。一例を挙げると、同室の患者(50代男性)が、その日、胃カメラ検査を受ける予定だった。しかし、朝食を摂っている。前日21時以降は飲食禁止だったので、本人は当然知っているはずだが・・・。私は「今日じゃなかったのか」と思っていると、朝食後、看護師が車椅子を押して迎えに来た。「さあ、検査に行きましょう」と連れ去った。すると10分もしないうちに戻って来て、しきりに謝っている。「どうもすみません。かん違いで、係が食事を出してしまいました」。本人は「初めてなので様子がわからないよ」と応じていたが、普通の病院ならあり得ないことであろう。推して知るべし、そんなことは日常茶飯事、氷山の一角に過ぎないか。病室の内外で聞こえる(スタッフの)「打ち合わせ」の声、廊下で機能訓練に励む訓練士や患者の声、簡易トイレなど物資を運搬する物音も耳障りだ。要するに、人的にも物的にも「穏やかでなく」、患者は心して自分の心身を守らなければならないということである。
 さて、私自身の病状もまた穏やかではない。始まりは10月の初め(1日)、湿疹のため大学病院皮膚科を受診したことである。診断は「浮腫性紅斑」、内服薬プレドニン、アレロックを処方された。その3日後、食欲不振の原因を探るため「大腸カメラ検査」をこの病院で受けた。その際、(14ミリの)ポリープを切除、同時に複数の憩室が認められた。安静のため3日間の入院を余儀なくされた。この間(10日間)、血液をサラサラにする薬(バイアスピリン)を止めていたが、退院後、(14日目に)再開。
 「浮腫性紅斑」の治療は10月中旬(18日)に終了。
ほぼ半月間、小康状態を保っていたが、11月1日夕に吐き気、2日未明に腹痛、その後血便が認められたので、再度、駅前の病院消化器内科を受診。「虚血性大腸炎の疑い」で入院治療を勧められたが、点滴を打って自宅に帰宅、以後2日間絶食した。バイアスピリンは1週間中止。腹痛は消失、血便も認められなかった。
半月後(16日)湿疹が再発したので再び大学病院皮膚科受診。診断は「多形紅斑」。原因を探るため「皮膚生検術」を行う。アレロックを服用して4日後(19日)に再受診。「薬疹の疑い」(バイアスピリン、タケキャブ)もあるので循環器担当医に告知するとのこと、循環器担当医は直ちに薬を変更(バイアスピリン→クロピドグレル、タケキャブ→ランソプラゾール)。その結果「多形紅斑」はほぼ治まりつつある。
 そして、今回の「出血性大腸憩室症」だ。この経過を見ると、もともと大腸に憩室が多発していた、②血液サラサラの薬を「飲んだり止めたり」したので薬疹が現れた(薬疹がバイアスピリンによるものか、クロピドグレルによるものかは、判明しない)、③「暴飲暴食」のため大腸の負担が倍増し、さらにクロピドグレルが憩室からの出血を誘発、下血を招いてしまった(血尿は私の見間違いだった)、ということになるだろう。
 だからまず、私は今後いっさい(断煙同様に)、断酒を敢行しなければならないのである。加えて飽衣美食の習慣もまた・・・。でも心配御無用、ノンアルコールと豆腐があるではないか。 (2019.12.25)