梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「高群逸枝全集 第一巻 母系制の研究」(理論社・1966年)通読・11

《子の所属》
【要点】
 孝徳天皇大化元年の「男女之法者、良男良女共所生子、配其父」の詔は一般大衆に向かって発布されたもので、その当時一般大衆の族制が、この詔と反対の事情、すなわち子が父に付かず、父と姓を異にしている事情にあったことは、続いて発布された大化二年の詔に「父子易姓、兄弟異宗、夫婦殊名」とあるによって明らかである。家族観念はすでに普及していたけれども、それが表面の形態となって現れることについては、なお力強く遺存している氏族的婚姻制および氏族的奴隷制がこれを阻止していたのである。しかるに、部曲廃止と土地国有によって事情は転移した。「配其父」というこの詔の主旨は、かくて徐々に貫徹して行った。
◎天平5年国郡未詳計帳
・戸主従八位下呉原忌寸五百足 年五拾参歳 正丁 右頬黒 右大舎人
・母粟田忌寸宅売 年捌拾貳歳 耆女 右目上黒子
・男呉原忌寸鎌麻呂 年参拾陸歳 正丁 右頬黒 侍
・男呉原忌寸鈴麻呂 年参拾歳 正丁 額黒子
・男呉原忌寸倭麻呂 年貳拾陸歳 正丁 右頬黒子
・男呉原忌寸東人 年拾捌歳 少丁 無印
・男呉原忌寸弟鎌 年拾捌歳 少丁 上唇黒子
・男呉原忌寸真鎌 年拾参歳 小子 右頬黒子
・男呉原忌寸鎌主 年漆歳 小子
・女呉原忌寸御宅売 年参拾陸歳 丁女 頤黒子
・女呉原忌寸木村売 年貳拾陸歳 丁女 右目黒子
・女呉原忌寸東方売 年拾陸歳 小女 耆(右鼻辺黒子
・女呉原忌寸真虫売 年拾伍歳 小女 無印
・女呉原忌寸弟虫売 年拾壱歳 小女 左頬黒子
・女呉原忌寸虫名売 年伍歳 小女
・孫女呉原忌寸豊嶋 年伍歳 小子
・孫女呉原忌寸清刀自売 年参歳 緑女
・孫女呉原忌寸真清売 年貳歳 緑女 生益 上件三口鈴麻呂男女
・孫女呉原忌寸大成売 年参歳 緑女 倭麻呂女
・弟呉原忌寸右麻呂 年参拾漆歳 正丁 右頬黒子
・姉呉原忌寸刀自売 年陸拾壱歳 老女 頤黒子
・男櫟井朝臣牛甘 年参拾歳 正丁 左目下黒子
・女櫟井朝臣刀自売 年参拾陸歳 丁女 右目尻黒子
・女櫟井朝臣奈等売 年参拾歳 丁女 左目上黒子
・姉呉原忌寸黒女 年伍拾漆歳 丁女 右頬黒子
・女鰐部連白刀自売 年参拾漆歳 丁女 無印
・依當直時売 年陸拾貳歳 老女 和銅五年逃
・宇治部廣津売 年参拾陸歳 丁女 上唇黒子
・戸宗方君族入鹿 年漆拾歳 耆老 左頬黒子
・男宗方君族弟桑 年貳拾参歳 正丁 頬疵
・男宗方君族小桑 年貳拾歳 小丁 右目本黒子
・孫女宗方君族愛売 年貳歳 緑女 生益
・丸部安太 年肆拾玖歳 正丁 右頬黒子
・男丸部酒麻呂 年拾歳 小丁 右目尻黒子 
・男丸部筏麻呂 年伍歳 小子
 戸主五百足の七男六女はすべて父と同氏名であり、孫の一男三女も同じ。房戸宗君族入鹿および丸部安太の一家も父子同氏名であるが、これに反して五百足の母は子五百足、右麻呂、刀自売、黒女と異氏名である。また、刀自売の一男二女は櫟井朝臣氏で、これも母子異氏名であり、その妹黒売の女も鰐部連氏で母の氏名と異なっている。かつての母子同名の俗は完全に逆となり、ここには父子同氏、母子異氏の制が始まっている。つまり、これが母の所属から子を奪還した第一の過程である。
 しかし、その奪還は'「氏名」においてのみ貫徹したが、身柄についてはまだ多くの余地が残されている。戸主五百足の姉刀自売と黒女との所生である参拾六歳の女、参拾歳の男女の三人は、各々の父家たる櫟井朝臣氏、鰐部連氏に対して氏名のみは同じであるが、同籍せず、従って同居もしていない。すなわち子の所属は完全に氏名の変更だけで、未だ同籍、同居の実際方面にあっては母家にあるものが多いのである。
 大宝2年、養老5年、神亀3年、天平5年の戸籍、計帳を見ると、同籍夫婦322組の子1140人、片籍者451人の子1098人となり、同籍者の子に対して42人だけ少ない。比率は、同籍夫婦の子50.9%、片籍男女の子49.0%であるから、未だ、子の所属状態が、家族制度的に貫徹していなかった事実を、明確に物語っている。


【感想】
 ここでは35人の氏名、年齢、続柄、特徴が記されているが、この人たちが皆、同じ家に「同居」していたとは思えない。戸主、その母、姉、弟、子供たち(男、女)、孫まではわかるが、戸主の妻、息子の嫁(孫の母)はどこにいるのだろうか。また、戸主の姉とその子供は記されているが、姉の夫はどこにいるのだろうか。同居しているのだろうか、別居しているのだろうか。さらに、唐突に、いきなり、 
・依當直時売 年陸拾貳歳 老女 和銅五年逃
・宇治部廣津売 年参拾陸歳 丁女 上唇黒子
・戸宗方君族入鹿 年漆拾歳 耆老 左頬黒子
という、3人の人物が登場するが、戸主とはどのような続柄なのだろうか。
 著者によれば、父系制になったのは「氏名」だけで、およそ半数の実態は、まだ母系制のままということである。 
 ここでは、子がどこに所属するか(父か、母か)について述べられているので、次(妻の所属)を読めば、疑問が解けるかもしれない。
(2019.11.1)